真摯の章 第3話 老中
親賢
「かつて、吉岡殿か臼杵殿か覚えていないがどちらかから聞いたことがある。御隠居は、切支丹宗門について、宗旨に『主人を裏切ってはならない』という教えがあるので、謀反や裏切りを防ぐための有効な手段として考えていると。実際、切支丹となった者で大友家に謀反を企てたものを私は知らない。だが奇異な南蛮人が持ち込んだものだし、入門に際して先祖の御位牌を焼けと命じることなど、私は納得できていない。神道仏教を奉ずるこの国の伝統と余りにも違う。切支丹が豊後に到来してまだ日も浅いが、だからこそ、私は神道仏教の切支丹に対する優位を確信している。いくら南蛮人が珍奇な舶来品や国崩しを取扱って我らに莫大な利益をもたらすとしても、大友宗家の方々が奉じている程度では、大した影響力は持ち得ないだろう。何せ信者の数が違うから。そして先ほどのあなたの言葉ではないが、このような時のために、我ら老中衆がいるのだから。よって、縣に切支丹の国を建てる、これを転じて縣に切支丹を封じ込めてしまえば、我らにとっては大変良い結果を得るかもしれない。」
惟教
「切支丹は謀反を起こさないと聞きますが、周囲の切支丹でない人々は気味悪がって離れていくものなのでしょう。そう言えば、かつて周防の国主であった大内殿も、切支丹に好意的であったそうです。土佐を追われた一条殿も同じく。切支丹に肩入れするという事は、そうでない人々を他方へ結集させてしまう代償を得るのでしょう。」
親賢
「だからこそ、私は切支丹宗門に反対をしているのだ。御隠居には全く聞き入れて頂けないが。」
惟教
「そういえば、京の織田信長も切支丹には好意的だという話があります。」
親賢
「その話、私も伴天連から聞いたことがある。切支丹となった家臣も数多くいるという。」
惟教
「大友家は織田家とは友好関係を維持しておりますが、一つにこの辺りに理由があるのかもしれません。織田家は今や天下を抑えております。そう至ったのも無論、切支丹を保護したからではないでしょうが、都との折衝に、伴天連は活用できるのでしょう。」
親賢
「御隠居も同じような事を言っていたが、相手は比叡山を焼いた恐るべし者だ。仮に織田信長が謀反を避けるために切支丹を優遇したとしても、大内殿や一条殿のように謀反に合わないとも限らないかもしれない…佐伯殿、今の話は聞き流すように。」
惟教
「では、先の話に立ち返って、土持殿の命を助けるために、思い切って切支丹宗門の力を借りる事はできないものしょうか。御隠居や大殿の歓心を得るため、土持殿に対して、生き残った一族総出で切支丹に改宗して頂くというのは。そうなれば、土持殿が縣の一画に住まいを残すことも、御隠居は御承知されるかもしれません。なにせ、切支丹は謀反を起こさないのであれば。」
親賢
「それが実現できるのなら有効かもしれないが、土持家は宇佐の神官の出自だ。これを誇りにすること、大変なものがあるはず。果たして承知するとは思えないが。」
惟教
「南蛮人の教えに耳を傾けた禅僧が、争論を構えてやり込められて切支丹へと身をひるがえした例もあると聞きます。私はその宗旨について詳細は存じ上げませぬが、きっと不可能ごとではありますまい。」
親賢
「ふん、そうなっては私にとっては不愉快な事。だから申すわけではないのだが、恐らく土持は肯じることはない。これは古からの誇りの問題なのだ。我らはみな祖先の縁により土地と財産を確保し、それを目減りさせることなく子孫に伝えていかねばならない。土持も同様だろうが、今や縣の城下は焼失し、神社仏閣は尽く破壊され、風雨にさらされようとしている。御隠居や大殿の意志によって、そうなっているとはいえ、失敗した惣領として、先祖に面目が立つまい。全てを失った土持が、最後に残った心の自由まで捨てるものだろうか。きっと捨てはしないぞ。それまで捨てては、生きる奴隷ではないか。最も、切支丹は大臼の奴隷になることを説いているのであったな。その生き方は、連中らが説く言葉通りではある。」
惟教
「その他高名な方に宗旨替えをご説得して頂くことはできませんか。宇和島の一条殿や、あるいは親家様などは。」
親賢
「そのような事、御隠居や大殿を越えて、私から頼むことなどできるはずがない。こと宗門の件については、私にはなんの力もないのだ。口惜しいことだがな。不愉快極まりない事だが、伴天連どもに依頼してみるというのはどうだろう。」
惟教
「伴天連たちが最も頼みにしているのが御隠居である以上、その意に沿わない事を為し得るとは思えません。」
親賢
「あの連中は大臼の教えを広めるためだけに存在しているというからな。あの連中から見て異教の徒である土持が死ぬことで布教の機会を得られるのなら、喜んで人間の命を見殺しにするのだろう。伴天連は、大臼の前では全ての人間は等しい存在だ、とのたまっていたのだがな。」
惟教
「繰り返し申し上げ誠に恐縮ですが、親成殿を処断するのはあまりにも拙いやり方です。彼が薩摩勢と結んだのは、伊東氏に奪われていた財部の地を取り戻すためです。ここ至ってしまっては致し方ありませんが、彼を生かしておけば、以後の薩摩攻めでもきっとお役に立つでしょう。逆に彼を殺してしまえば、故無く殺したと言われても仕方がなく、縣の民心は決して恨みを忘れますまい。そも、ご隠居が日向を切支丹の国にするというのであれば、なおさらではないでしょうか。」
親賢
「佐伯殿、ここまで頭を捻ってみてもはや良策は無いように思えるが、私にどうせよと言われる。」
惟教
「どうやら御隠居に土持殿の助命を願い出る事、土持殿に宗旨替えを勧める事、並行して行うしかありません。御隠居へは私が諫言申し上げる次第、田原様にはそれに至った根拠、考え、予想の後詰をお願いいたします。」
親賢
「承知した。全てあなたの考えの通りにしょう。だが佐伯殿、土持の生殺与奪は、御隠居ただお一人が握っており、根本的にはすでに我らではどうにもならない。今一度、私の考えを申し述べよう。すなわち今や、老中たちが一味同心して意見できた時代ではない。吉岡、臼杵など今でも褒め称えられる我ら老中衆の先達が、配慮と労苦の末に作り上げたのが今の大友家家督の力だ。そして目下のところ、あなたが指摘した通り他国との関係は全くもって不調だが、これも完全な失政とは言えないから、今をもってその権威は絶対的である。故に、家臣如きが容易に意見できるものではないのだ。家臣を超えた特殊な地位にいる恐れ知らずの戸次殿ならば不都合なく意見できるだろうがな。」
惟教
「ですが、今後も失敗を重ねれば、御家の大事に関わることになりかねず、そうならないためにも、今のうちに手を打っておかねばなりません。そして、それができるのは我ら老中衆だけではありませんか。」
親賢
「私は十数年この役職を務めているからこそ痛感するのだが、大友宗家の力が強化されたことによって、皮肉なことに相対的とはいえ老中衆の影響力は低下している。戸次殿は主に私を佞臣の筆頭として頻繁に非難しているが、老中衆の力が弱いからこそ、あの御仁は筑前に留まり続けているとも言える。誇りも権勢欲も人一倍のあの戸次鑑連が老中で無いという事実、それこそが、現状の老中の様を残酷なまでに示しているのだ。老中になる旨味が、かつてほどには無いのだよ。よって佐伯殿、老中の役割について、過度な期待はしない事だ。しかし、あなたの行う助命活動、全力で支えよう。あなたの言う通り、老中の職責を果たすことを約束する。人事は尽くし、後の土持の命運は、天に祈るよりほかあるまい!」
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