豊後国 憂慮 天正六年(1578年)
真摯の章 第1話 佐伯
天正六年(1578年)初春、豊後国府内城下にて
佐伯惟教 大友家老中 松尾城攻略担当 五十代前後
田原親賢 大友家老中筆頭 四十代
土持親成 日向国松尾城城主
天正六年(1578年)初春、大友家は、日向国縣の松尾城を攻略した。虜囚の身となった土持親成の命を、その義兄である佐伯惟教が救わんとする。
親賢
「佐伯殿がなぜここにいる。松尾城はどうしたのか。」
惟教
「すでに平定なった松尾城は、田北殿にお任せしてありますし、私の嫡男惟真が兵の統率に当たっています。こちらへは田原様へ火急の用事があったため参上しました。どうぞ私の話をお聞きください。」
親賢
「城代として着任中のあなたがその任務から離れるほどの要件か。」
惟教
「この度の戦役の敵将、土持親成の以後の処遇について、私の考えをお聞き入れ頂きたく。」
親賢
「処遇も何も、土持はすでに捕囚の身で、早晩、我が領内へ送られる手はず。あなたが良く知っている通りで、土持を捕えた本人でもあるあなたに重ねて話せることも無い。以後の処遇については大殿の御沙汰が全てを決めることになる。これも当然あなたが知る通りで、特段、我らの関わる事はない。全ては予定通りということだ。」
惟教
「私の考えとは、その予定を曲げて彼を助命するべきである、ということです。それがなんのためにかと申せば、今後の日向攻略のために、土持を生かしておく必要があるという…」
親賢
「あなたの結論はわかった。しかし事前の降伏に応じず戦いに敗れた将の処置としては、現在の予定は然るべきもの。改めて言うが、城代として着任中のはずのあなたがその任務から離れるほどの要件ではない。それに、これは大殿と御隠居がご決定あそばしたもの。いらぬ口を挟めば不忠との謗りを受ける事だろう。」
惟教
「お言葉ですが、我ら老中衆、このような時に意見申し上げるために大殿に仕える者どもでもあります。特に日向一国を平定するという一大事業、この大友家の大事には、大殿が御判断を下す材料となる意見を揃えておく事は主従の本筋でもあります。田原様、どうぞ私の話をお聞きください。今、私と同意見の者は家中には多くありませんが、言い方を替えれば異なる見方を田原様に提示する事にもなるのです。以後の戦略を考えるに、きっと田原様の無駄にはなりますまい。そして田原様は大殿の伯父御でいらっしゃる。まだお若く戦場の経験をこれから積んで行かれる大殿は田原様に尋ねられる事も多いはず。知識という財産を得る過程に、私の意見が多少の役に立てば大変名誉な事です。」
親賢
「なんともこれは、常に寡黙な佐伯殿にしては珍しい。そこまで言うのであれば、よろしい。では、あなたがあくまで土持の助命に拘る理由を伺おう。また、ご不興を承知でも、進言する理由はどのあたりにあるのか、それも説明してほしいがその前に一つ、土持があなたの妹婿であるという事は除外して話を進めるように。」
惟教
「承知いたしました。もとより、彼が私の妹婿故に助命を乞うのではではありません。繰り返しますが、日向攻略を良き形で進めるためのものであります。」
親賢
「良き形で進めるとは具体的にいかなることか。」
惟教
「この度、当家は日向縣の松尾城を攻めたて土持領を蹂躙いたしました。戦のきっかけは薩摩勢に追い詰められた日向伊東氏から、出動を要請する矢の催促があったためです。」
親賢
「そう、そして今回、連中の窓口はあなたであった。」
惟教
「我が佐伯の地は豊後日向の国境にあるため、伊東殿が御隠居の庇護の下で府内に暮らす以上、彼ら駆け込むのに都合が良いのでしょう。そして、日向側の国境である縣の土持家は伊東家と領土紛争を抱えています。」
親賢
「伊東の使者も、命がけで縣を越えた事だろうな。伊東殿は日向における分国の諸権利の大部分を大殿へ譲ったから、日向に辛うじて残る伊東の家臣はもはや大友の家臣という事だ。当然、彼らは豊後を目指す。」
惟教
「当家におけるこの戦は、伊東と土持の争いに巻き込まれ、伊東に肩入れした事に始まります。調停者として日向に入り振る舞わなければ、一方を贔屓し一方を貶める事になります。すると贔屓された側は増長し、裏切る事すら躊躇わなくなるでしょう。それに伊東殿はかつて隆盛にある時、剛胆なお振舞で西国中に聞こえた方です。分国を大友家へ譲ったとて、今後どうなるかはわかりません。今の時点で、土持を殺してまで肩入れする必要はありますまい。」
親賢
「いや、大友宗家には肩入れする理由がある。伊東殿の息、義益殿の御正室は御隠居の姪御だし、その母御は土佐一条家の御正室であった。閨閥で繋がっているのだ。三年前、一条家は土佐を追われ、やはり豊後へ逃げ込んできた。伊東家に一条家、いずれも名門であり、保護者たる大友家が扶助せねばならない確固たる理由があるのだ。この理由を蔑ろにすれば、それこそ大友家は信用を失うだろう。ところで、あなたは殺してまで、という条件を述べている。この点、詳細に述べてほしい。私は、土持を生かしておいては伊東殿が不満を持つしかあるまい、と考えるが。」
惟教
「田原様ご存じの通り、土持は伝統的に大友家に敵対するものではありません。また、府内へ人質を差し出していた事も有ります。今回、主に所領の問題から薩摩勢と結んだ土持を倒しました。以後は、土持を従属させその財産を保護してやることを約束し、薩摩勢との縁を切らせた上で与力にするのが適当ではありませんか。この処置には伊東殿も不満を持つでしょうが、すでに伊東殿は分国を失っている有様です。後日、日向平定が為った後、旧領の飫肥を与えるだけで、復帰に感謝こそすれ、問題は起こさぬと考えます。縣は土持へ、財部には豊後勢を入れれば釣り合いもとれましょう。一度落ちるところまで落ちた日向の二大勢力を傘下に収めれば、薩摩勢と争うのにこれほど心強い事はありますまい。また日向を抑えれば、四国へ進出する足掛かりが増える事にもなります。」
親賢
「なるほど。聞けば誠にもっとも、道理ではあるが、その案について障害がいくつもある。」
惟教
「はい、御隠居の御意向ですね、良く存じ上げています。」
親賢
「その通り、縣を隠居の地とするとともに、切支丹の基地としても設えるというお考えだが、実はこれだけではない。今回の松尾城攻略によって、御隠居はお考えを一部修正されたのだ。」
惟教
「そのことは存じ上げませんでしたが、それは?」
親賢
「攻略なった縣は土地も豊かで南蛮船が立ち寄りやすい格好の海岸を備えているという事、また神社仏閣の焼き討ちも上首尾に進んでいるという二つの報告を受けられた御隠居は、縣に切支丹の国を建設すると、あの賢しげにふんぞり返った伴天連に約束をしてしまったという事だ。これは私が大殿から直接伺った。」
惟教
「それは、ご隠居先と定めた縣にて、城下を新たなる宗門により整え、南蛮の物売りが賑やかさを一層にする、とのお考えなのでは。」
親賢
「違う。切支丹の定めによって、切支丹のみを集めた国にするという事だ。恐らく、一向宗徒が加賀一国を治めたようにな。これが実現した場合、土持が縣に復帰する可能性など皆無になる。では、土持に代わりの領地を与えるしかないが、敗戦の将である彼にそのような事は通常ありえないだろう。生かしておく理由がなければ、灰となった神社仏閣と同じ運命を辿るしかあるまい。」
惟教
「今のお話が動き出せば、私が今お話しした事情などは全て一顧だにされないということになりましょう。」
親賢
「その通り、まして、土持の首を打てば、御隠居の計画もより一層やりやすくなるというだけだから、助命嘆願は難しいだろう。」
惟教
「大友家は毛利家との筑前豊前を巡る大いなる争いに際しても、救える者は救ってきた伝統があります。休松の戦いで我らに苦杯を飲ませた秋月種実や筑紫広門、かつて我らの同胞であった高橋鑑種殿、そしてこの私。」
親賢
「惟教殿。」
惟教
「このような実績伝統に裏打ちされた大友家の貴ぶべき血統実力があるからこそ九州諸国の守護職を頂き、九州探題の地位を持ち、都の主が織田信長に代わったとて尊崇されているのです。」
親賢
「まあ織田信長はそうかもしれない。しかし、鞆の浦の公方様は毛利と事を構える我らを今や非難する一方だぞ。薩摩勢にも我らを討つべく勧めているということだ。当然薩摩勢と通じた土持もこのこと知らぬはずがない。命を助けても、裏切るかもしれない。またあなたは、救える者は救ってきた伝統というが、私は余り理解できていないな。そんなもの、当家にあったかな。かつて秋月の親父の方や立花鑑戴は処刑されたし、近年、原田親種も自殺に追いやったし、これまで謀反を起こした連中はほとんど命を失っている。要は情勢の許す範囲では、謀反に対して死をもって報いてきた。先ほどあなたが述べた連中については、情勢が我らの味方ではなかったというだけではないかな。それにあなたは自分の名前も挙げたが、二十年前の件であなたは無実の身であったと聞いている…しかし、このような事情を持ち出してまで土持を擁護するとは、まああなたもそこまで必死になることはないのではないか。」
惟教
「田原様、ただでさえ城を攻めるだけでなく、城下の神社仏閣を焼払い余計な恨みをかってしまっているのに、この上、土持を殺せば、縣の住民たちからの怨念を覚悟せねばなりません。この点、御隠居はお気づきでないのかもしれず、思い起こさせる義務が我々にはあるのではないでしょうか。確かに、田原様ご指摘の通り、情勢が許す限りに救える者を救ってきたのでしょう。しかし、これには救う側にその必要もあったからだとは思いませんか。現在、両筑豊前が平穏であるのは、毛利との長い戦いが已み、その土地の実力者たちが大友の治世を認めざるを得ない状況があるためであって、決して、戸次殿や吉弘殿が睨みを利かせているためだけではないのです。諸国の実力者たちは、納得さえすれば大友の治世に協力してくれるのです。無論、毛利との戦がまた始まるような事態があれば彼らが謀反を起こす事もあるでしょうが、そのような弱みを我らが見せない事こそが重要なのではないでしょうか。勝利してなお譲るとは、慈悲であると同時に勝者のみの特権でもあります。毛利家と和睦して既に九年、いくつかの小さな謀反を含めても大友家領内は秩序を維持していますが、縣での誤った処置により、この秩序が瓦解してしまうとも限らないではありませんか。我ら武者による裏切りは、恐れからよりも蔑みから生じる事が多いもの。御隠居の引っ越しにせよ、切支丹への便宜忖度にせよ、このまま計画を推し進めれば恐れと蔑み、諸国の人々がどちらの気持ちを胸に抱くか、余りにも明らかです。」
親賢
「佐伯殿が大友家に復帰したのは毛利との戦が収束に向かう頃であったと記憶しているが、あなたもただ朴訥としているだけでなく、色々考えていたのだな。勝利してなお譲る、か。」
惟教
「私とてその恩恵に浴しています。伊予に十年も亡命していた私に対して、旧領復帰に老中就任という破格の厚遇が、復帰の条件でした。」
親賢
「かつて大内輝弘を周防へ送り込んだ件だが、毛利に対して圧倒的優位に立つ契機になった。その後和睦が成ったが、言われてみれば、これは勝利者たる我らが歩み寄った結果なのだろうな。そう思い返せば、確かに伝統かもしれない。」
惟教
「今、田原様が思い返された件も私の復帰の件も、今は亡き吉岡様、臼杵様が御隠居とよくよくご相談されて決まった事だと伺っております。他国に広く名声轟いたこのお二人の後を努めなければならないのは、僭越ながら田原様と私しかおりません。」
親賢
「年長の老中という事では朽網宗暦殿がいるではないか。あの人はもう喜寿が近いはずだが。」
惟教
「宗暦殿は伴天連と余りにも親しく公平を欠きます。それに御隠居に諌言できるほどの力はお持ちではありません。吉岡鑑興殿、田北鎮周殿は未だ若すぎますから適当ではなく、志賀道益殿は…」
親賢
「ああ、道益殿については私も適当でないことはわかっている。色々と噂もあるが、彼は悪い人ではない。これは私の姪の夫だから言っているのではないよ。つまり、立場、経歴、感情の面から、老中衆の中では私とあなたが最も適任というわけだね。なるほど、これが不興を得ることになっても進言するに十分な理由という事か。」
惟教
「御推察恐れ入ります。」
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