秘密
林桐ルナ
秘密
僕には秘密がある。
誰にも話したことがない秘密。
誰にも言うことがなかった、とっても小さな秘密。
だけど僕にとっては、とても大切で、あの頃の気持ちと一緒に、大事にしまってある秘密--。
僕のうちの裏庭に、白いネズミが現れる。
雪みたいに真っ白な、赤い目をしたとても大きなネズミ。
雨がたくさん降った日の雨上がりに、初めてそいつを見つけた。
綿毛のような毛先に、水滴をつけて、庭の隅に出来た小さな虹のちょうど真ん中に、そいつは静かにうずくまっていた。
僕が近づいても、そいつは逃げようともしない。
そっと手を伸ばして、そいつの体を触ると、そいつは、驚くほど柔らかくて、ふわふわとあったかかった。
◇◆◇
「お母さん、ネズミがいたんだよ!! 真っ白なヤツ」
「ユウちゃん、ネズミはとっても汚い動物だから、絶対触ったりしたらダメよ。バイキンだらけなんだから」
「そうなの?」
「そうよ。分かったわね?」
「………はい」
お母さんとの約束を、破るつもりはなかった。
だけど、僕には、どうしても真っ白なあいつがとても汚い動物には見えなかった。
そしてまた、雨上がりの午後、あいつが現れた。
触ったらダメと言われたけどエサをあげたらダメだなんて言われてない。
僕はそいつに余ったキャベツの欠片をあげた。
おいしそうに食べる姿は、とても可愛かった。
「お前、名前なんていうの? もしまだ名前が無いなら、僕がつけてあげるよ。何がいいかな。真っ白だから、マシロってどう?」
するとネズミは、小さくキューっと鳴いた。
どうやら気に入ってくれたみたいだ。
マシロはその日から、僕の小さな秘密の友達になった。
「ユウキくん、何してるの?」
放課後の図書室で、リカコちゃんに話しかけられた。
「動物図鑑を見てるんだよ」
「へぇ。リカコも一緒に見てもいい?」
「いいけど…。僕今忙しいんだ。探し物してるから」
「探し物?」
「あ……」
誰にも言うつもりは無かったのに、つい口がすべってしまった。
「何探してるの?」
僕は迷った末に、リカコちゃんに秘密を打ち明けることにした。
「絶対誰にも言わないでね」
「うん。約束する」
「うちの庭に、真っ白なネズミが住んでるんだ」
「それって、ハツカネズミみたいなやつ?」
「ううん。もっと大きくて、ウサギみたいな丸いやつ」
「すごい!!」
リカコちゃんは目を輝かせて僕の話を聞いていた。
それから二人で真っ白なネズミがいないか動物図鑑で探してみたのだが、マシロみたいなネズミはどこにも載っていなかった。
一番似ていると思ったのは、ドプネズミと書かれているネズミだった。
だけどリカコちゃんの手前、マシロがこれに似ているとは、とても言えなかった。
「ドプネズミだなんて名前つけられて、なんか可哀想だね」
リカコちゃんが小さくそう呟いた。
その言葉を聞いて、思わず僕はリカコちゃんにこう言っていた。
「良かったら、マシロ、見に来ない?」
「本当?」
「うん。気まぐれだから、いつ出てくるか分かんないんだけど…。絶対誰にも言わないって約束してくれるなら、見に来ていいよ」
「うん。約束する」
僕はリカコちゃんと小指を絡ませて、ゆびきりげんまんをした。
うちに着くと、ポケットから鍵を取り出して玄関を開けた。
そして二人で庭にあるベンチに並んで座った。
「お庭があるおうちっていいね」
「そうかな。虫が来るからヤダってお母さんがいつも言ってる」
「うちも、おばあちゃんちには、お庭があるんだよ」
その日の夕方までねばってみたけど、マシロはとうとう現れなかった。
その日から、リカコちゃんはうちに遊びに来るようになった。
マシロを見に。
庭で二人でおやつのアイスを食べたり、絵を描いたりして過ごした。
晴れの日が続いたせいか、リカコちゃんが来るようになってからマシロは出てこなくなった。
リカコちゃんは、リカコちゃんが来たせいでマシロが隠れちゃったんじゃないかと言った。
僕は、なんだかリカコちゃんに申し訳ない気持ちでいっぱいになり、「なんか…、ごめんね」と呟いた。
「どうして? ユウキくんのせいじゃないよ。きっとマシロ、どっかに引っ越しちゃったんだよ」
「じゃあ、リカコちゃん、もううちに遊びに、来ない?」
「どうして?」
「どうしてって、リカコちゃん、マシロが見たかったんでしょ?」
僕はうつむいてそう答えた。
「そうだけど、ユウキくんと友達になれたから、別にいい」
リカコちゃんの言葉に、驚いて顔を上げた。
「そっか、…ありがとう」
僕は恥ずかしくなって、描きかけの迷路の線をなぞった。
「ねぇ、ユウキくん。ユウキくんは、お父さんとお母さんどっちが好き?」
「うーん。お母さんはいつも怒ってるし、お父さんは、休みの日お昼まで寝てるけど、お母さんは料理がうまいし、お父さんはプラモデルが上手だから、どっちもどっちかな」
「そっか。でも、どっちか絶対選ばなきゃいけなかったら、どっち選ぶ?」
「え…うん、そうだなぁ。お母さんかな。お母さんのが、泣き虫だから」
「そっかぁ。うちも、ママの方が泣き虫なんだ。これ、ユウキくんと私だけの秘密だよ。こんなこと言ったなんて知ったら、きっとママに怒られちゃう」
「うん。約束する」
そう言って、リカコちゃんと指を絡ませた瞬間だった。
リカコちゃんが小さな声を上げた。
「あ……」
その視線の先を辿ると、小さな虹がうっすらと架かっているのが見えた。
そして、そのちょうど真下に、ちょこんとうずくまるマシロの姿があった。
「マシロ、マシロだ!」
僕はまるで夢でも見ているかのような気持ちになって、リカコちゃんに言った。
「あれ、マシロだよ。間違いない」
「うん。本当に真っ白なんだね。会えて、良かったぁ」
小指を繋いだまま、マシロの小さな赤い目を、二人で見つめていた。
それは、時が止まったみたいに、とても不思議な瞬間だった。
するとマシロは突然に、キューっと鳴いた。
まるで、サヨナラを告げるように。
そして庭の草むらの方に走って行ってしまった。
一瞬の、出来事だった。
「マシロ!元気でね!マシロ!」
マシロの最後の姿を、僕とリカコちゃんは目を潤ませて見送った。
リカコちゃんが、引っ越して行ったのは、そのすぐ後のことだった。
きっとマシロは、最後にリカコちゃんに会いに来てくれたんだと、僕は思う。
◇◆◇
「ユウキー。荷造り終わったぁ?」
「うん。もうすぐ終わるよー」
「もう中学生になるんだから、自分のことは自分でしないとダメよー」
「分かってるって」
引っ越しの準備で追われていた僕の目に飛び込んで来たのは、机の奥にしまってあった古いお菓子のケース。
この中に自分の大事なものを入れてたんだよな。
そう思い、そのケースの蓋を開けた。
そこには似つかわしくない、真新しい色の生物学の本のコピーを見つめる。
『突然変異により体毛などが白い動物はアルビノと呼ばれ、さまざまな理由により自然界での生存率は低い。』
そしてその下からのぞいたアイスクリームの棒に、下手くそな字で書いてある文字を見つめた。
『ましろのおはか』
これが僕の、誰にも言えなかった、とても、小さな秘密。
おわり
秘密 林桐ルナ @luna_rin
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