或る駅

19

 

 これは遠い昔のことだ。

 私は鉄道に乗っていた。当時はまだ航空券が高価で、鉄道が長距離移動の主流だった時代だ。特に、寝ている最中に移動できる夜行列車は庶民に人気だった。今となっては想像もし辛いことだが、帝都から第二都市まで九時間もかかったのだ。しかし、当時は移動も旅の楽しみと捉えられていたような気がする。航空機全盛期の今、窓から見えるのは雲ばかりだが、鉄道は違う。車窓を流れる景色には人々の生活が根付き、飽きない楽しさがあった。

 ……話が逸れてしまった当時体験した不思議なことの話だ。

 当時の長距離移動の主流が夜行列車だったと言ったが、その日は夜行の席が取れなかったので昼間に移動していた。昼前に着いていなくてはならなかったので、朝早くに家を出なくてはならず寝不足だった。そんなこともあり、私は列車の中で眠ってしまった。乗客も全然いなかったので、向かい合わせになっている座席の一角を占領することができた。

 数時間経ち、目が覚めると列車は駅に停まっていた。時計を見ると、丁度下車駅に着く時間だった。危ない危ないと思い、急いで降りた。

 ホームに降りた瞬間、私は違和感を覚えた。ホームに誰もいないのだ。初めて降りた駅なのでよくわからなかったが、そんなに閑散とした場所ではなかったはずだ。当時は。改札にも駅員はいない。駅名標も見当たらなかった。ここで私は何かがおかしいと確信した。

 私は駅前のバスロータリーに出てみた。やっぱり人はいない。バスもない。自家用車が数台駐車されていたが、誰も乗っていなかった。遠くから弦楽器や管楽器の音が聞こえた。調音する時みたいだ。

 駅前の通りを歩いて行く。やっぱり人はいないが、電信柱にただ矢印だけが描かれた看板が立ち並んでいた。私はそれに従って歩いて行った。だんだん楽器の音が近づく。

 しばらくすると、大きな教会が見えてきた。そこから音が聞こえてくる。扉を開けようと手を掛けた。

「待って!」

その時、後ろから声を掛けられた。振り向くと、少年が立っている。

「そこに入っちゃ駄目だ!今すぐ駅に戻って!」

少年が言う。

「今ならまだ間に合う。駅に来る電車に乗るんだ」

どういうことかわからない。彼の声に危機迫るものがあり、とりあえず扉から手を離した。

「どういうことだ?」

私は彼に訊いた。

「ここは貴方がいていい場所じゃない。今すぐ帰るべきだ」

彼はそう言った。私は言い返す。

「ちょっと何言っているかわからない」

私は再び扉に手を掛けた。

「そこを開けるともう元の世界には帰れなくなるんだ!」

少年は慌てたように言った。彼はそれを言いたくはなさそうだった。

「ああ、もう!時間が無い!急いで!」

そして彼は私をひっつかみ、駅の方へ押した。私は二、三歩よろめいた。少年に文句言おうと見返す。しかし、私が彼に言葉を発することはなかった。

 教会の扉が開いていた。そして、中から人の形をした真っ黒の影のようなものが出てきた。それが少年をつかみ、扉の中に引き込んでいる。

 私は驚き、走って逃げ出した。気がつくと駅に着いていた。やっぱり無人の改札を抜け、停まっていた電車に駆け込んだ。すぐに発車ベルが鳴り、出発した。

 発車してからしばらくはぜーぜーと息を整えていた。整った頃に車内を見渡すと、いつから乗っていたのか何人も人が乗っている。しばらくして駅に着いた。駅名標を見ると、本来降りるべきだった。


 今となっては当時乗った列車もないし、検証することは出来ない話だ。私があのとき見たのは一体なんだったのだろうか。そして少年はどうなったのか……。今でも思い返す。

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或る駅 19 @Karium

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