第四話


「ちょっとくらい引き止めてくれたって良いのに」

 幼子のように唇を尖らせている桜庭。

「あの会話の流れで引き止めようものなら、誰だってしばらく居座られると思うでしょう」

 それに、ほぼ初対面の女性相手に積極的すぎる。桜庭は相手に引かれていることに気がつかないほど鈍いわけないのだが。

「名前も呼んでくれないし」

 桜庭は教会を立ち去ると、一旦自宅アパートに向かった。

「それより志希さん、帰って何するんですか?」

「ナイショ」

 唇にひとさし指をあてて含み笑いをした桜庭。

 かなり上機嫌だ。

 桜庭の機嫌が良いときは、大体面倒事に巻き込まれると決まっているのだ。さっきまで拗ねていたのに。

 アレックスは密かに溜め息を吐いた。

 

「これよろしく」

 部屋に入るなり、鍵のかかった机の引き出しからファイルを取り出した桜庭は、中身を確認することなくおもむろにアレックスに差し出した。

「アッバーズ・カミロ…?」

 走り書きされた名前。その下にはアッバーズ・カミロという人物の大まかな経歴が記されている。

 紙は薄く黄ばんでおり、艶もない。古い紙なのだろうか。インクも色褪せているように見える。

「もっと詳しく調べてもらえる?」

 桜庭は鍵をかけ直しながら、アレックスを一瞥した。

「そうゆうのは志希さんの分野でしょう。俺はただのギャングです」

 アレックスと会話をする合間に、桜庭は着替えをしている。ミリタリージャケットを脱ぎ、白いシャツから黒いシャツへ着替えると、これまた黒いジャケットを羽織った。ちなみに既に着ているスラックスも黒だ。

「ただの、じゃないでしょ。それに最近はギャングだって情報戦が激しいらしいじゃん。俺を求めてるのが何よりの証拠。普段はこっちが協力してる側なんだからさ、たまにはそっちが協力してくれても良いんじゃない?」

 ギャングの情報網が必要だと判断した上で、アレックスに任せることにしたのだ。別に、桜庭が自分で調べても成果は出るだろう。だが問題はそこではない。

「俺は幹部ですが、今ここでの一存で頷くことはできません」

 桜庭はジャケットの内ポケットに拳銃と弾倉をいくつか忍ばせ、さらにナイフを一本ずつ革靴の踵部分の穴から底に滑り込ませた。穴から出ているナイフの柄に取りつけられた細い鎖をプルストラップに通して、鎖の先のアジャスターで少しだけゆとりを持たせてヒキワで留める。

「賢明な幹部の判断だね」

 桜庭に協力することは、敵を増やすことになる。構成員として正式に仲間にしたわけではないので、他の組織にはまだ桜庭を手中に収めることができる余地はある状態。抜け駆けをされた組織は当然焦るし、アレックスの組織を快く思わない。ギャング間での争いは激しくなることが予想され、それに伴い様々な取り締まりが厳しくなる可能性がある。そうすると収入が少なくなり、組織としても苦しいだろう。

「俺は犯罪組織についてあまり馴染みがないけど、個々の構成員に焦点をあてたら結構俺の情報網の支配下にあるんだ。それを使うことも出来る。けどさ、ギャングとかマフィアって、構成員が情報漏洩したら制裁されるじゃん?」

「組織にもよりますが、殺される場合もありますね」

「それが困るんだよね、とても」

 死なれたら、それなりに手間と時間をかけて築いたネットワークが一瞬で崩壊するのだ。出来る限り現状維持をしたい。

「…なるほど。そうゆうことですか」

「あ、わかってくれた?」

 椅子に座って足を組む桜庭は、聡いアレックスに笑顔で首を傾けた。

「けどそれ俺に死ねって言ってるようなものですよね?」

「アレックスのところって殺されるの?」

「どこも大体はゲロったら殺されますね。俺のところもそうです」

「ふーん。大変そうだね」

 まるで他人事の様子の桜庭。

「バレなきゃ良いって言えばそうなんですけど。まず志希さんの近くにいるってだけで、そんな動きしたら怪しまれそうです」

 アレックスはソファの上で欠伸をする。頭の中で、天秤は断る方に傾いていた。

「じゃあそんなアレックスには、大義名分をあげよう。ファイルに入ってるもう一枚の紙と、写真を見てみて」

「っこれは…」

「“薬漬けの羊飼い”として、フィズの名前は知ってるでしょ?」

 桜庭は暇なのか、引き出しから取り出したバタフライナイフを弄んでいた。

 目を見開いて茫然としていたアレックスは、桜庭の言葉を上の空で聞いていた。

「ここ数年、縄張りを荒らしてるらしいじゃん。君のところの被害はどうなの?」

 手元のナイフを見ていた桜庭だが、ちらりと横目で窺うようにアレックスを見た。

 アレックスが組織で次期首領候補として認識されていることを、桜庭は知っていた。首領候補だから尚更、事の重大さは承知しているだろう。

「どこから…?」

 絞り出したような細い声。

「俺の情報網、広いからさ」

 驕るわけでもなく、気取るわけでもなく、冷静に、淡々と、自らを評価する。しかしその声はどこか虚無的で、倦怠感が垣間見れた。

 無言のアレックスに、笑顔を作る。

「やだなぁ、わかってるでしょ?訊かれても答えられないから、訊かないでねってことだよ?」

 

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