接触
第二話
「志希さん!」
薬の効果はとうに切れている。寝たふりをしていたのだが、諦めて目を開く。
「…おはよ」
金髪が目に染みる。
「ったく、無防備にも程がありますよ」
彫りが深く、浅黒い肌、真っ黒の瞳を持つこの男は、アレハンドロ。アレックスと呼んでいる。そこそこ背が高く、肩幅もかなり広く、筋肉質だ。かなり整った顔立ちとその垂れ目のせいか、ギャングの幹部には見えない。俳優になら見えるが。
そんなアレックスに、構成員にならないかとスカウトされ続けて約三年。他の組織への牽制のためか監視のためなのかは知らないが、ずっとつき纏われている。
「無防備、ってゆうほど無防備なわけではないんだけどなぁ…」
眠っていたわけでもないし、ナイフだってスラックスのポケットに入っている。
「どうでもいいんで早くどいてください。掃除の邪魔です」
桜庭はソファに腰かけながら、ローテーブルに足を預けていた。アレックスはソファの下を掃除したいらしい。
「あぁ、ごめんごめん」
足を回収して、ソファの上で胡座をかく。掃除機をソファと床の隙間に滑り込ませるアレックスに、桜庭はふと聞いてみた。
「ね、教会ってキリシタンじゃないと入れないかな?」
「基本的には入れると思いますよ。誰だって最初はキリシタンじゃないですし」
「確かにそうだね。じゃあちょっと行ってくるから」
「え、今からですか?ちょ、」
「鍵よろしく。じゃーねー」
慌てて掃除機の電源を切るアレックスを尻目に、ミリタリージャケットを羽織って部屋を出る。
彼女に会いに行こう。きっとあの小さな教会に一人でいるはずだ。
背後で騒々しい物音がしたが、無視をしてアパートを後にした。
アレックスのことだ、どうせすぐに追いつくだろう。
「はぁ…」
吐いた息は白く、宙で風と戯れた後に霧散した。
さて、手土産はどうしようか。彼女は何をしたらよろこんでくれるだろう。確か大通りには花屋があった。花束を贈ることにしよう。
「志希さん、どこ行くんです?昨日の教会とは方向が違いません?」
予想通り、アレックスはついてきた。
「先に花屋に行くんだ。女性への贈り物といったら花束でしょ」
「銃口を突きつけられた相手から贈り物されるとか、俺だったら嫌ですけどね」
「あれはちょっとした戯れみたいなものだって。引き金に指かけてなかったよ?」
「遊び半分で他人に銃口向けるとか、ある意味すごいですね」
笑っている桜庭に、呆れながらそう言ったアレックス。
「まあ、あの後すぐ誰かさんに取り上げられたんだけどね」
桜庭の拗ねたような声色に、本当にこの人は“奇術師”と同一人物なのかと疑いたくなる。
「俺の気配に気づいてたくせにその言い方は何ですか」
「そういえば、あそこの土を早い内に掘り返したいと思うんだけど、今夜でいい?流石に一人だと時間がかかるからさ、手伝ってよ」
「いいですけど…。そんなに時間かかりますかね?」
「そろそろ大通りだ。隠れてた方が良いんじゃない?」
桜庭は人通りが多くなってきたのでそう言った。
アレックスには懸賞金がかけられているのだ。こんな真っ昼間から大通りを歩いていたら危ないだろう。
「わかってますよ」
それを言ったら桜庭もなのだが、彼ほどの大物がまさかこんなところを堂々と歩くはずがないと思われているので、大体が見間違いだと思ってくれる。もし狙われたとしても、桜庭なら返り討ちにするだろう。
桜庭から離れると、耳にイヤホンをつけた。
それから、桜庭が一人で歩いているのを影から見ていた。目的の花屋まではそう遠くないのに、ふらふらと寄り道をするせいで到着までに時間がかかってしまっていた。
店内に入るまでも、店先にある花を眺めていて、内心早く入れよと思った。しかし店から出てきた時、赤、ピンク、白のカーネーションの花束を抱えながら、桜庭は珍しく気が緩んだ笑顔をしていた。素に近い笑顔だ。それほどまでにあの女のことを大切に思っていることが伝わり、およそ初めて人間味を感じた。
大通りを外れる前に、桜庭は呟いた。
「ね、スーツのが良いかな?」
イヤホンから、桜庭の声が聞こえた。
桜庭の着ているジャケットの襟元には、小型の盗聴器が仕込まれている。バレないとは思っていなかったが、バレたとしてもスルーされるかと思った。
もしやと思い、返答してみた。
「それは渡す時の話ですか?」
「うん。贈り物をするんだし、渡す時にスーツだとかっこいいかなって」
普通に会話が出来ていることに、思わず声を出して笑ってしまいそうになった。口の端だけにとどめておく。
いつの間に仕込まれたのだろう。流石、“奇術師”と呼ばれるだけある。
「俺だったら服装で悩む前に、いきなり花束を贈ったりして引かれないかで悩みます」
日本人男性は他の国の男と比べると消極的だという話はよく聞くが、桜庭は違うらしい。まあ、まともに日本で暮らしていたのなんて十代前半までだとか言っていたし。あとは本人の性格もあるのだろう。
「うーん…じゃあスーツはやめよう」
「そのままの服装で大丈夫だと思いますよ。一応ボタンダウンですし、カジュアルでも清潔感はあります。手袋は黒よりも白い方が無難だと思いますけど」
どうして俺は勧誘兼監視対象に服装のアドバイスをしているのだろうか。
「そう?ならこのままにするよ。そうそう、君、誰かにつけられてるけど撒かなくていいの?」
遠く離れた距離の中、二人の間には数えきれないくらい障害物があった。それでも桜庭がこちらを振り返り見て、口角をあげる様子が目に見えるようだった。
桜庭は、軟骨に開けたピアスから聞こえる舌打ちに、アレックスの想像した通りの顔をした。
「大丈夫そうだね」
ああ見えてもギャングの幹部だ。賞金稼ぎくらい軽くあしらえる。舌打ちする余裕があるのなら、目立たずに対処できるだろう。
桜庭はそう考えると、彼女がいる教会へ向かった。
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