第六話 『真夏の通り雨』の解釈
テーマ:馬鹿っぽい歌詞解釈
第六話 1
放課後の教室である。
松任谷はイヤホンを耳から外した。ワイヤレスの奴だ。ケースに収めると自動的に充電が始まる。
「何聴いてたんだ?」
相楽が眼鏡をの位置を直しながら訊く。断じてそんなことに興味はないぞ、というふうに。
「宇多田ヒカルなんだけどさ」
「お前にしちゃメジャーなもん聞いてるな。古めのロックとかジャズとかが専門じゃないのか」
「そっちは好きだが、それだけ聞いてるわけじゃないぞ。ちょっとこれ、聞いてくれないか。お前の解釈が聞きたい」
松任谷は片方のイヤホンを差し出す。
「『真夏の通り雨』って曲?」
* 興味ある人は幾多ある歌詞専門サイトを参照してください。歌詞全文をここに掲載するのは規約に引っ掛かると思われます。(作者) *
「……なるほど」
「この後味がなあ。なんでこんなに不気味なんだ?」
「うん、充分<闇ソング>っぽい。主人公の不安定さが特に効いてる」
「闇ソング?」
「山崎ハコとか初期中島みゆきとか浅川マキとか森田童子とか、全力で暗い歌の系譜だよ」
「ふーん。そんなのあるのか」
「最近の傾向として曲調自体は明るくして歌詞がヤバいってのがあるな。Amazarashiとかあいみょんとか」
「それらとはちょっと違うような感じだけどなー。ただ<夢>や<幻>というワードが多くて、ぼんやり霞がかかったような感じというか」
「一見ふつうの追憶の歌に聞こえる。作詞が天才的なんだ。擬態してるんだよ」
「ほうほう」
「まず断っておくのは、俺の解釈は歌詞のみに基づくという事だ。作られた時期や状況などの付帯情報は考慮に入れない」
「しかし、情報は多い方が確度が増すんじゃないか?」
「本質的に──歌詞の意味なんて書いた本人しかわからないんだよ。凡人の俺はただ推測するだけ。余計なものはない方がすっきりするはずだ」
「なるほど、あくまでも仮説ということか。まあ、こんな事頼んだのは俺だし。しのびねえな」
「かまわんよ」
「で、追憶の歌?」
「歌という有限の秒数で形作られる世界だから、登場人物は少ないんだ。主人公である『私』とその恋愛対象である『あなた』。あとはモブにすぎない」
「普通そんなもんだよな」
「──というか、『私』は『あなた』以外はほぼ関心がないんだよ。どちらも性別は明記されていないが、イメージ的には『私』は女性、『あなた』は少し年上の男性と想定される。根拠は<汗ばんだ私をそっと抱き寄せて たくさんの初めてを深く刻んだ>というフレーズだ」
「どう考えても処女を奪った相手だな」
「まあそうだろうが──言い方が直接的すぎるぞ。デリカシーのない奴だ」
「ほっとけ」
「しかし『私』のいる世界にはもう『あなた』はいない。<それなりに幸せ>でありながら『私』は<『あなた』に思い
「だから、追憶」
「普通の曲ならそれで終わるんだが、この曲はな……」
「勿体ぶるなよ、相楽」
「じゃあ擬態をはがしていくぞ。<思い出たちがふいに『私』を 乱暴に掴んで離さない>ってこれ、完全にフラッシュバックだろ」
「ああ、ジェニファー・ビールスが主役で踊る。音楽もよかったな」
「それは映画『フラッシュダンス』だ。また古いの引っ張り出してきやがった」
「違ったか?」
「フラッシュバックっていうのはな、過去の強いトラウマ体験の嫌な記憶が、後になって急激かつ鮮明によみがえることだよ。心的外傷後ストレス障害(PTSD)や急性ストレス障害(ASD)の特徴的な症状といわれてる」
「ってことはつまり」
「強いトラウマになるほどの記憶、精神に異常をきたすほどの記憶って、なんだ?」
「わからん」
「即答すんな。ちょっとは考えろよ。『あなた』は年上で、『私』は<勝てぬ
「ちょっと待て。不倫……か? 正妻がいて、『あなた』は離婚する気がない」
「不倫だけじゃトラウマにはならないだろ。おそらく、正しくないサヨナラをしたんだよ。『私』は『あなた』を殺した。それでメンタルが崩壊して、閉鎖病棟に強制入院させられた。『私』が夢うつつなのは眠剤が与えられているからなんじゃないかな」
「それは……いくらなんでも
「この曲のタイトルは、『真夏の通り雨』なんだよ」
「それはわかってる」
「<降り止まぬ 真夏の通り雨>って言っちゃってるんだよな。……それに最後の繰り返し部分、<ずっと
「『通り雨』が恋愛の比喩だと考えれば、単に失恋をずっと引きずってるってだけなんじゃないか?」
「もちろんそういう解釈もできるさ。けど最後のリフレインの展開を考えると……。それに<自由になる自由がある>というフレーズ、逆に考えると現在は自由ではない、拘束されている──ととれないか? はじめに<闇ソング>って言った理由さ」
「多少無茶だが、説得力はあるな」
「解釈の一つだ、当然。……疲れた、コンビニでパンでもおごれ」
「また焼きそばパンか。代り映えしねーな」
「ほっとけ」
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