第2話 初めての来客
開店から3時間。閉店まで2時間。
最初は大いに緊張していたが、当初の予想通りに客は来なかった。
最初の緊張感はすでに過去のものとなり、雄一は持て余した時間を消化するために、持ち込んでいた3冊の本を順調に消化していた。
開店時に世話になっていた酒屋からは、もしかしたら顔を出すと言われていたが、
時間的にも期待出来ないだろう。
初日の客はゼロか、という思いが強くなってきた頃に、扉のベルは鳴った。
「お、なかなかいい感じじゃん」
「いらっしゃいませ」
ベルに併せてとっさに立ち上がり雄一は一礼した。
入ってきた客はやや軽薄そうな男だった。
明るい色に染めた髪、軽く日焼けた肌、ポイントを抑えたアクセサリー類は、遊びなれた大学生だろうか。
大した広告もしていないバーに入ってくるあたり、新しい物好きか、好奇心旺盛なのだろう。
「ほら、入って入って」
そんな男に連れられて入ってきたのはこちらも大学生とと思しき女性だった。
肩までに揃えられた髪にナチュラルなメイクは、かなり真面目そうな印象で、男との二人連れというのは少し違和感があった。
サークルのコンパ等で連れられて来た、といったところであろうか。
メニューを用意しながら様子を伺うと女性と目があった。
女性の方は知り合いだった。
同じ大学、同じ学部の篠崎凛。彼女とは大学入試の際に席が近かったこともあって、合格後に何度か話したことがあった。
彼女は大学一年生だ。恐らくストレートで大学に進学しているからまだ未成年の筈だ。そんな彼女に酒を提供することは出来ない。これは面倒なことだ。
「ご注文が決まりましたらお声掛け下さい」
そう言って雄一はカウンターの前で控える。
「あの、鈴木先輩。私、もうアルコールは……」
「大丈夫大丈夫。凛ちゃんまだ全然酔ってないじゃん。それに、気持ち悪くなるようだったら送って行ってあげるから大丈夫だよ」
「えっと、それはちょっと……」
どうやら既にアルコールは入っているようだ。
鈴木先輩とやらは篠崎に飲ませたいようだが、篠崎の方は迷惑そうだ。
コンパで前後不覚になるまで飲ませてお持ち帰りを狙っているのだろうか。
古典的な手法だが、うちの店でやるのは勘弁して貰いたい。
「なあ、バーテンさん。俺にはジンライムで、彼女に一杯作ってあげてくれないかな」
「畏まりました。スッキリとしたものと、甘いもの、どちらがお好みでしょうか」
「えっ……、そうですね。ではスッキリしたものを」
鈴木からのオーダーに従って篠崎に好みを聞くと、渋々といった体で答えた。
味方が居ないような心地になったのか顔色が冴えない。
とはいえ、こちらも鈴木のオーダーに馬鹿正直に答える訳にはいかないから安心して欲しい。
ゴードンとバカルディを用意する。
ジンライム用にグラスに氷を入れ、ライムジュースとゴードンを注ぐ。
ミント、ライム、蜂蜜、砂糖を用意しグラスに入れる。それを軽くバースプーンで潰し、ソーダを注ぐ。
「お待たせしました。ジンライムと、オリジナルモヒートでございます」
「オリジナル?」
鈴木が食いついてきた。
ここに突っ込まれると実は少々辛い。
「ええ、味わいにこくを出すために少し蜂蜜を入れております」
「ふうん、そんなものもあるのか。まあいいや、凛ちゃん乾杯しようよ」
「ええ、はい……」
鈴木と篠崎とでグラスを合わせて一口飲む。
篠崎は一口飲んで目を見開いた。
「これって……」
「お気に召しましたでしょうか?」
「ええ、そうですね。とっても美味しいです」
「ありがとうございます」
ほっとした笑みを見せた篠崎は、嬉しそうにカクテルを飲み始めた。
それに鈴木も嬉しそうな笑みを向ける。
「このジンライムも美味しいですよ!いやあ、この店は当たりだなあ」
「ありがとうございます」
手放しの賛辞に雄一の顔も綻ぶ。
なんせ開店初日、初めての客に出す初めてのカクテルだ。
どんな背景があれども合格点が貰えるのは素直に嬉しい。
オーナーからは太鼓判を押されてはいたが、彼は半分身内の様なものだ。
どこまで信じていいか不安だったのだ。
二人はそれから話続けながら何杯か飲んだ。
基本的には鈴木から篠崎に話かけ、篠崎がそれに合わせていくといった調子だった。
あまり篠崎は楽しんでいる様子ではなかったが、鈴木の方はお構いなしといった感じで、少し強引なところがあるのかもしれない。
幸いこちらに絡むような事もなく、閉店間際の22時半頃、二人は帰っていった。
閉店時間の24時を迎え、雄一は一息ついた。
一組しか客は来なかったがやはり営業するというのは疲れるものだ。
元々、殆ど客が来ないだろというあたりを付けていたお陰で、仕込んでいたものはごく僅か。廃棄はしないでもいいだろう。
売上は約四千円。
雄一のバイト代は時給二千円の契約だ。破格と言っていい。
原料費を除いても四千円の赤字だ。
この調子でいけば完全に赤字だが、オーナーは問題ないという。
ただの道楽、というよりはオーナーが飲みたいときに飲みたい酒を提供出来れば、その他の客などどうでもいい、といったところなのだろう。
片付けをして、軽く掃除をしたころには23時半となっていた。
明日の講義は9時からだ。
24時には帰宅出来るとして、寝るのは25時か。
8時には起きなければならないから7時間の睡眠は確保されている。
大学生活に支障を来さないように営業時間にまで配慮してくれたオーナーには頭が下がる思いだ。
戸締りをチェックして、店を出る。
するとそこに一人、女性が待っていた。
それは帰ったはずの篠崎だった。
かりそめの止まり木 @Wakeupfront
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