脱出、脱走、そして開戦

「オジサン、とりあえず正門出たら右ね」


 ヘリコプターを降りた後、どこに向かえば良いのか分からない片桐にロキはしれっと次の指示を出した。「何を根拠に」と言いかけた片桐は、ロキの手にあるスマートフォンを見て絶句した。


「お前っ! 何しれっと俺のスマホ弄ってんだよ!」


 片桐の叫び声に耳を押えながら、渋々といった様子でロキは答える。


「あの施設で、電子系は全部取り上げられちゃったんだもん。オジサンの使うしかないじゃん。型は古いけど充分使えるし」


 悪びれる様子もなく肩をすくめるロキに、ガックリと片桐は肩を落とした。この少年は……もう少し倫理観というものをキチンと、とそこまで考え、片桐は首を振った。少し居ただけでも分かる、鉄の牢獄。その中で育てられた曲がった『正義感』

 ロキはまだ良い方だろう。その歪さに気付き、トールの手を借り逃げ出せた。だが、残った子らはどうだ。今なおあそこで、狂った『正義』に踊らされているのだろう。本人すら、そうと知らず。


「んで? 何だって?」

「正門出たら右」

「りょーかい」


 指示を仰いだあと、片桐はヒョイっとロキを横抱きにした。


「ちょちょちょちょ! オジサン!」

「何だよ?」


 心底理解していない片桐に、ロキはかァっと顔を赤らめた。


「自分で! 走れる!!」

「お前さっき走るの遅せぇって言ってたじゃねぇかよ。鈍足に付き合えるかってんだ」


 鼻で笑い、片桐は構わずロキを抱え走り出す。途中、「ま、まァ、俵担ぎよりはスマホ操作するの楽だし? 別に良いけど」などと負け惜しみのような発言があったが、敢えて聞かなかったことにした。


「んで? 右行ったら次どっちだ?」


 走りながら問いかければ、ロキの目から『少年』が消え、『カミサマ』がそこに宿る。


「左……は、ダメだね。ヴァルキリーがいる。右もだ。直進して」

「ヴァルキリーまで駆り出してんのかよ」

「向こうも、それだけ真剣だってことだろうね。ヴァルキリーは数が多いから。

 次の角、左」


 言われるがまま左に曲がると、数秒前まで居た路地に幼い少年が走っていくところだった。ロキの指示が無ければ鉢合わせていたところだ。本当に、ギリギリの綱渡りをしているのだ、自分たちは。今更な事実に冷や汗が垂れる。

 静かな住宅地で行われる無言の鬼ごっこ。この場合、追われているは鬼の方で、捕まったが最後、何をされるのかまるで想像がつかない。

 何としても逃げ切らなければいけないのだ、自分たちは。

 いくつかの指示を聞き、いくつかのヒヤリとした場面を凌ぎ、ようやく見慣れた景色にやって来て片桐の肩から力が抜ける。ロキはスマートフォンをタップし、小さく頷く。


「完全に撒いたね。ここに奴らは来ない」


 見慣れた廃ビルにひと息付くと、腕の中でロキが「ちょっと」と不満げに声を上げた。


「何だよ」

「下ろして。もう走る必要なんてないから良いでしょ」


 少年の言葉に「んー」と悩んでから、片桐は得心のいった顔で小さく頷いた。


「面倒だから、地下までこのまま行くか」

「オジサンっ!」


 何やらロキが暴れたが、片桐にとってそれは子猫が暴れているのと大差ない。全てのクレームを無視し、慣れた足でロキの『聖域』に入る。随分久しぶりの気がするが、まだ一日そこらしか経っていないのだと妙な気分になった。


「さて、コレからどうするんだ?」


 分かりきったことをニヤリと聞いてやれば、『サイバー世界のカミサマ』も挑発的に笑った。


「決まってるでしょ」


 白衣に袖を通し、


「人の上で胡座をかいてる『神様』とやらを蹴落とすんだよ」





 此処に、ギャラルホルンの笛は鳴った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る