彼は斯く語りき

「オーディンとは同期でしてね。親友でした。いえ、今でも向こうは私のことを親友だと思っているのでしょうか。彼がユグドラシル計画を発案した時に反対しなかったのは、私もこの国の未来を変えたいと思っていたからです。

 それが歪み始めたのは、いつからだったのでしょうか。私にはもう、分からない」


 自嘲の笑みを浮かべ、綾木はギリッと拳を握りしめた。


「『ミョルニルを返してください』、ですか。いかにも彼らしい合言葉です」


 ため息を零し、首を振る。


「ロキを知ってるんですか」


 片桐の問いに、綾木はどこか遠くを見るような目をした。


「知っていますよ。あの子はアースガルズの中でも有名でしたから。

 あの子は──ロキは、ヴァルハラで、ずば抜けて能力に秀でていました。電子の神に愛された、とでも言えばいいのでしょうか。その分、彼は孤立していた。ヴァルキリー……貴方にはもう、孤児たち、と言ってしまっていいんでしたね。彼ら、彼女らは競争社会の真っ只中にいます。そんな子供たちに、自分より優れた『戦士』は必要ないのです。優れていれば優れているだけ大人たちから褒められる。認めてもらえる。それがあの子たちの努力の元なのですから」

「じゃあ、アイツは」

「一人でした。いつでも、どこでだって。研究員たちに褒められている時でさえ、彼はひとりだった」


「当たり前ですよね」と綾木は自嘲する。


「彼は賢かった。賢すぎた。この計画の淀みを知ることなど、容易かった。歪に気付くことなど容易かった。

 あの子と知り合ったのは、ちょうどその時でした」


 遠い昔を見るように目を細め、疲れたように彼はデスクに座る。


「私は、もうこの計画に疲れていました。子供たちを洗脳していき、いかに国のために死ぬ覚悟を付けるだけの日々。子供たちの期待と軋轢。その何もかもに。

 ですが、私はもう作戦を抜け出せる位置にいなかった」


 黒いカードをノートパソコンの上にのせ、


「あの子は私に言いました。『ボクたちは仲間だね』と」


 カードを指でなぞりながら彼は視線を下げた。


「ヴァーリの代わりにあの子を逃がしたのは、私です」


 その告白に、瞠目する。ロキは言っていた。自分を逃がそうとしてくれた人は二人いると。ヴァーリと、トール。トールはけして気付かれることなく自分を逃がしてくれたと。そうすると、綾木がトールなのか。知らず眉を寄せる。片桐の疑問を察したのか、彼は薄く微笑んだ。


「あの子は聡い。そして優しい。あの世界で『死なせて』しまっていい子ではなかった。だから、逃がしたのです。この計画を覆す、『裏切りの神』になってもらうことで、他の子たちを解放してほしかった」


 そして遠い目をして、


「私は、愚かで非力なおとなです。きっと、彼は失望していることでしょう」


 悲し気に微笑む綾木は、ともすれば歳より老けて見えた。そんな彼に片桐は首を振る。


「ロキのやつ、言ってました。『トールはボクの唯一の理解者だ』って、『ミョルニルを返すのは、トールの代わりなんだ』って、だからロキがあなたのことを失望しているなんてありません」


 片桐の言葉に、綾木は目を丸くした。次いで、儚く微笑んだ。


「そうですか」


 それはどこか嬉しそうに見えて、同時に悲しげにも見えた。


「あなたは、今でも彼を助けたいと思っていますか?」


 綾木の問いに、力強く頷く。

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