オーディンとロキ
ロキのことばかりを考えているには、一課は忙しすぎた。幼い少年と約束したを交わした次の日も、殺人事件の聞き込みに片桐は奔走していた。
そんな外回りをしていた時、反対車線の歩道で綾木が背の高い男と一緒に歩いているところを見かけた。署外に出ているなんて珍しいなと思っていた時、男の顔を見て片桐はびくりと肩を震わせる。あの顔には、見覚えがある。前々から署内で見かけていたが、違う。最近あの顔を見た。
ロキの、ユグドラシル計画のファイルの中で。
オーディン──警察庁警備局警備企画課情報第二担当理事官『ゼロ』のトップ。
彼が何故、綾木と共に歩いているのだろうか。
二人が去った後も、片桐はその場所を動くことが出来なかった。
聞き込みをある程度終え署に戻ってきた時には、既に綾木は定位置に座って緑茶を啜っていた。いつもの、穏やかな風景だ。けれど、片桐はどうしたって外で見たオーディンと連れ歩いていたのが気になった。唾を一つ飲み、綾木に近づく。
「綾木警部補」
「片桐刑事、聞き込みは順調ですか?」
おっとりとした優しい声はいつものもので、先ほどの光景は錯覚かと思ってしまうようだった。手の平にかいた汗をズボンで拭う。
「どうしました、片桐刑事? 難航しているんですか?」
心配そうな綾木の声に、自分が相当固い顔をしているのを知った。けれど、確認しておかなければいけない。
綾木は『敵』か、確認しなければいけない。
「先ほど、公安の方と歩いているのをお見かけしまして。署外にいらっしゃるのが珍しいと思いまして」
固い声色のまま問えば、綾木はおっとりと「ああ」と言った後、柔らかく微笑んだ。
「古くからの友人でして。先方の奥方の命日なので一緒にお墓参りに行っていたのです」
「命日」
「ええ……忌まわしき事件でしてね。彼は今も犯人を追っているようです」
綾木は悲し気に首を振る。
「地下鉄サリン事件とか、ですか?」
有名な忌まわしき事件と言えば代表はそれだ。問うと彼は緩く首を振った。
「そんな大規模なものではありません。ですが、そうですね。今も被害者を出しているという点では同じかもしれません」
そう置いて、綾木は眉間を揉んだ。
「サイバー攻撃にあったそうで、個人情報の流出をされたようなのです」
「それは……」
綾木の言葉に、片桐も眉間の皺を増やした。片桐自身、刑事という立場上、敵は多い。公安警察ともなればそれは格段に跳ね上がるだろう。そのトップの情報が流出された。どんな事態になるのか、考えるまでもない。
「犯人は海外にいるようでして、要として知れません。ただ、国内にいた彼に恨みを持つ人間が奥方を殺害したという事実だけが今は残っています」
悲し気にため息をつく綾木に、言葉を無くした。
国外の人間が起こしたサイバー攻撃によって妻を殺された男。その恨みは深いに違いない。
だからこその、ユグドラシル計画なのか?
そんな片桐の心中を知らず、綾木は片桐を見上げ苦笑した。
「昨今では、日本もサイバーテロの被害が相次いでいますね。彼は根絶に熱を上げているようです」
「そうですか」
片桐には、そうとしか答えられなかった。
サイバー攻撃によって妻を殺された男。
サイバーテロを起こそうとしているユグドラシル計画。
それは、捻じ曲げられた彼の復讐なのだろう。
やるせないと思う。同時に間違っていると思う。
彼は、オーディンは、ロキと同じ理想を抱えているのだ。
誰も傷つかない、誰も傷つけない世界。
まるで、北欧神話のオーディンとロキをなぞるように。
どこですれ違ってしまったのか。
片桐には、分からなかった。
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