少年の夢

「……わかんない」


 ポツリと呟いて、ロキはまた袖をパタパタと振る。


「でも」と続けて、


「青空の下で、遊びたい」


 その言葉に、片桐は心を絞めつけられた。


 そんなことでいいのかと言うには、彼の言葉は悲しすぎた。研究所の白と、地下の黒。この二色しか知らない少年が、青空の下で遊びたいという。


「何して遊びたい?」


 泣きそうな自分を堪え、続きを促す。

 ロキは、小さく笑って遠くを見た。


「あのね、サッカー。あとキャッチボール。ブランコって言うのにも乗ってみたい。でね、自転車の乗り方覚えるの。ただ走るだけでも楽しそうだなぁ」


 無邪気な声だからこそ余計に、それは胸を打った。この少年は、この幼い少年は、そんな他愛ない幸せすら与えられてこなかったのだ。慕っていた人間を目の前で殺され、自由さえ奪われ、小さな箱庭で独り、ずっと独り、外の世界を眺めるだけの日々をロキはどう受け止めてきたのだろうか。当たり前だと、それが自分に相応しいと、そう思っているのだろうか。


 それは、


 それは、あまりにもむごい。


「オジサン?」


 不思議そうな声に、片桐は何とか涙を堪えた。


「全部、付き合ってやるよ。いくらでも」


 そう言うと、ロキは勢い良く顔を上げた。


「ホント?!」


 頬をほんのり染めながらの嬉しそうな表情に、片桐は上手く笑えたか分からない。ロキの腰を抱いてやっていた腕に力を込めた。


「オジサン?」


 問う声に、何でもないと首を振りロキの頭に額を寄せる。


「他にはないのか?」

「じゃあ、じゃあ、遊園地とか行ってみたい!」

「他には?」

「海が見てみたい!」


 どれもこれも、少年が夢見るには当たり前のことで、でもロキには与えられず諦めていたことなのだろう。仕方ないと、諦めていたのだろう。


「付き合ってやる。全部、全部だ。電車に乗ったことあるか?」

「ない! 通勤ラッシュ? がスゴいんだってね! あんなにいっぱいの人はどこから来るんだろう」


 夢を語るロキは、ともすれば歳より幼く見えた。


 いや、それでいいのだ。この少年には夢を見る資格もそれを叶える権利もあるのに、今まで踏みにじられてきたのだから。


「……っ」


 堪えきれず、涙が一筋零れる。黙ってしまった片桐を訝しんだのか、ロキが見上げようとしてきた。それを頭に手をやることで制する。


「オジサン?」


 恐る恐る問う声は不安げで、片桐は何でもないと精一杯の笑みを浮かべた。


「さっさと終わらせて、遊ぼうな」


 頭を撫でると、照れくさそうにロキは笑った。


「そうだね」


 そしていつもの寒い目を浮かべ、


「早く、終わらせよう」


 凍てついた少年の心をどう解かしたらいいのか分からず、片桐はただ頭を撫でることしかできなかった。

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