君のために出来ること

 肩に回した腕に力を込め、片桐はロキの髪に頬を寄せる。それ以外に、この寂しい少年の慰め方が分からない。何故この少年はこんなにも沢山の痛みを抱えなければいけないのだろうか。この少年が目指した理想郷は、彼の望みそのもののように思えた。


 誰も傷つかない、傷つけない理想郷。


「約束だ」


 その理想郷を、片桐も見てみたいと思った。


 ロキと一緒に、見てみたいと思った。






 調書は、結局そのまま提出した。綾木は何か言いたそうな顔をしていたが、片桐の表情から何かを察したのだろう。今度は特に言及することもなく、それを受理した。


 本条は相変わらずマメに部屋を綺麗にしてくれている。遅く帰っても「おかえりなさい」と返してくれることを嬉しく思う反面、どうしたってあの薄暗い部屋に閉じこもり戦っている少年を想う。彼はきっと、こういうやり取りさえ知らないのだ。あの箱庭で独り、痛みを抱えたまま虎視眈々とアースガルズに牙を剥く日を待っている。


 それ以外、彼に寄る辺は無い。


 それが堪らなく、やるせなかった。






 二日後、いつものようにロキの元にやってきた片桐は、両腕を組んでロキの前に仁王立ちした。


「おら、行くぞ」


 唐突なセリフに、少年の目が丸くなる。


「は? どこに」

「どこにって、外に決まってんだろ。たまには外の空気を吸え、外の空気を」


 親指で外を指す片桐に、ロキは肩を落とした。


「オジサン正気? ボクこれでも追われてる身なんだけど」

「至って正気だ。お前、それカラコンだろ。それを外して、髪型変えて、衣装変えればいけるいける」

「あのねぇ……」


 呆れるロキに、片桐はワックスを掌になじませ少年の頭をわしゃわしゃと混ぜた。彼の整っていたロキの髪が、あっという間にナチュラルなねこ毛風の髪型に変わる。次いで渡された紙袋の中にはロキくらいの年齢の子供が来そうな服が詰め込まれていて、あまりの手際の良さに思わず放心してしまう。顎をしゃくり先を促されてしまい、おずおずと洋服を着替えた。少しサイズは大きいが、センスはなかなかいい。伺うように見やれば、満足したように頷かれた。


「ほらよ」


 しゃがみ込んで背中を出され、困惑する。何をしろと言うのだろうか。今まで目の前で大人がこんなポーズを取ったことが無いので、何の動作なのか分からない。


 戸惑っていると、片桐は呆れたように片眉を上げた。


「おんぶしてやるよ。白衣、着てくんだろ? 汚れちまうじゃねぇか」


 当然そうに言われ、目を見開く。確かに着ていくつもりだったが、片桐にはまだ伝えてない。なのに当たり前のように言われたそのことが、むず痒くて顔をしかめる。それをどう捉えたのか、頬杖をついた片桐がロキを見上げた。


「何、お前されたことねぇの? おんぶ」


 図星を突かれ、かあっとロキは顔を赤くした。


 その反応に、ニヤリと片桐は笑う。


「しししし仕方ないでしょ! ずっとあの研究所にいたんだから! 家族団らんとか知らないし! ボボボクには必要ないし!!」


 耳まで顔を真っ赤にして叫ぶと、片桐は笑いながらわしゃわしゃと頭を撫で、額を合わせた。


「お前、頭いいのにバカだなぁ」


 愛おしそうに目を細め、


「これはな、必要なモンなんだよ」


「しっかり、覚えとけ」と言って、片桐の大きな手でロキはあっという間に担がれてしまった。

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