ベイカーストリートヒューマン

「げっ」


 開口一番嫌そうな声と顔で出迎えられ、片桐は軽く片手を上げた。


「よっ」

「『よっ』じゃないよ。何でまた来るの」


 心底嫌そうな声で言われ、心外とばかりに片桐は肩を竦める。


「またなって言ったじゃねぇか」


 その言葉に、ロキは額に指を当て首を振った。


「バカな人だと思ってたけど、ここまでバカだと思わなかったよ」

「バカバカ言うなよ」


 あんまりな言い草に顔を顰めると、ロキの人差し指がひたりと片桐に向けられる。


「あのね、オジサン。ボクこの場所知られたらすっごい困るの。その辺分かってる?」


 ロキの問いに当然だと片桐が頷くと、彼は、今度は大きく肩を下げ項垂れた。


「あのねぇ、だから、刑事ってだけで目をつけられやすいオジサンにあんまりしょっちゅう来られると困るんだって……」

「そりゃ失礼」


 悪びれずに言えば、諦めたのかロキは「もう勝手にして」と言ってパソコンに向かってしまった。リズミカルなキーボードの音が、薄暗い部屋に軽快に響く。


 特に話しかけることもなく、片桐はドアの脇にある椅子に腰かけながらぐるりと辺りを見渡した。すると、無数のディスプレイの向こうに、別の部屋があることが分かった。目に入ったのは、細長い廊下とそれに備え付けられているキッチン。その奥は寝室だろうか。典型的な一Kだ。そこがどうやらロキの私室らしい。


 キッチンと言えば、と片桐は考える。


「そういやお前、飯はどうしてるんだよ」

「一週間に一回、その辺で見付けた人に一万円で鉄柵の前まで持ってきてもらってる」


 パソコンから目を離すことなく淡々と答えるロキに、片桐は感嘆の声を上げた。


「ベイカーストリートイレギュラーみたいだな」


 その言葉に、視線を片桐に向けロキは肩を竦める。


「ちょくちょく博識だよね、オジサン」


 呆れたような声にムッと唇を尖らせ、片桐は靴のかかとで床を蹴る。これでも自分はロキより長生きをしており、その分知識量が多いのは当然ではないだろうか。インターネット上の知識を全て保有していると豪語するロキのことだから、もしかしたら自分よりロキの方が知識量が多いのかもしれないが、そこは大人の意地というものがある。


「お前はちょいちょい失礼だよな」


 不貞腐れて言えば、ロキは小さく笑った後、またパソコンに向かった。すべてのディスプレイにはバラバラの情報が広がっていて、片桐は正直何が何やら分からない。だが、ロキが『ミョルニル』を返していることだけは、何となく察した。その背に向かって、片桐はふと声をかける。


「田端瑠香って、知ってるか?」

「知ってるよ。お得意さん。ボクによく食糧運んでくれた人」


 何気ない問いに、何でもないようにロキは答えた。しかし、その答えに片桐は目を見開いた。


「お得意さんって……っ!」

「読んで字のごとくだよ。普段はランダムで選ぶんだけどね、彼女だけは立候補してきたんだ。お金が欲しかったのかな。バカだよね、お金と引き換えに命を亡くすなんて」


 あくまで淡々とロキは話す。人ひとりの命を軽んじているように見えるが、ヴァーリの話を聞いている片桐にはそうは思えなかった。ロキはきっと後悔している。だからこそ、感情を殺しているのだ。

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