世界の裏側

 知ってるも知らないもこんなものは触ったことがない。手にしたものとロキを交互に見れば、ロキは呆れたように腰に手を当てた。


「オジサンさ、刑事さんなら少しはそっちの情報も入れたら?」


 心底呆れていると言わんばかりに、首を振り、彼は自分も手にしていたそれを頭に乗せた。


「ヴァーチャルリアリティ。いわば仮想現実を生み出す装置だよ」

「かそうげんじつ」

「そう。仮想現実。コンピューターグラフィックスや音響技術などを利用して人間の視覚や聴覚に働きかけ、空間や物体、時間に関する現実感を人工的に作り出す技術。で、それにより作り出された、現実感を伴う空間や環境。頭文字から「VR」っていうんだよ」

「そんなもんがあるのか」


 感心したように頷けば、ため息を零された。どうやら昨今では知らない方が珍しいようだ。


「そんなんで、よくボクのところにたどり着けたよね、本当に」

「本条のおかげだな」

「とんだラッキーマンだよね」


 軽口を叩き合いながら、片桐がVRを装着すると、ある廊下が写った。どこかの研究所の一角だろうか、白い廊下に白い壁。そこに白いドアが一つだけあった。あまりのリアルさに、本当に研究所に入り込んだかのような錯覚になる。そのドアから何人か出てきたところで、ロキが「コレはユグドラシル計画上層部のアバターだよ」と解説を入れてくる。どこから情報を仕入れてきたのかと訝しめば、ロキは何でもないようにキーボードを叩きながら笑った。


「彼らの装置をハックしてるだけだよ」


「だけだよ」などと簡単そうに言うが、計画上層部をハッキングすることが容易くないことくらい片桐にだって分かる。けれど、ロキは意に介さない様子である男をズームアップした。


「この隻眼の男がいるだろ? こいつの名前がオーディン。組織のトップだ。本職は警察庁警備局警備企画課情報第二担当理事官──『ゼロ』のトップだ」

「公安だと……っ」

「そうだよ。まぁ、僕以外誰も知らないんだけどね。ユグドラシル計画の上層部の本職は全員知ってるよ」


 次いでその隣にいる美女をズームアップする。


「これがフレイヤ。組織の二番目。ちなみに中身は男ね。陸軍中野学校のトップ扱い」

「中野学校って、今はもう無いんじゃなかったか?」

「祖父がそこにいたんだって。今は何だったかな。警視庁のサイバー犯罪対策課のトップにいるんじゃなかったっけな」


 なんてことないような様子で言って、今度は廊下の向こうから駆けてきた美青年にカメラを向けた。


「あ、フレイが来たね。あの中は女なんだ」

「何で兄妹で中身が入れ替わってるんだよ……」

「中の人間がね、ドがつくシスコンとブラコンなんだ。『そんなことしたら悪い虫が付いちゃう!』っていうのが二人の主張だったかな」


 笑いながら言って、ロキはVRの画像を切った。装置を外すと、ブルーライトの明かりの中でロキが微笑む。


「これ以上いると、バレちゃうからね。向こうもバカじゃないんだ」


 そう言うと本の山からおりて、空になった湯飲みを二つ持ち、ロキは新しい茶を淹れ始めた。淹れながら、続ける。


「彼らが使っている使用コード──通称『ルーン』があるんだ。本条奏汰さんが手に入れてしまったのはコレだよ。本当に不運だったとしか言えない」

「じゃあ、本条奏汰を助けたのは」

「ルーンを知ったからだよ」


 湯飲みを持って戻ってきたロキが、憐れんだように首を振った。


「それすら知らなければ、命を狙われることは無かったのに」


 適温になるまで手の中で湯飲みを玩んでいると、ピロリンと軽快な音が鳴った。ひと言片桐に断ってから、ロキはディスプレイの前にある本に腰掛けた。しばらくキーボードを叩き、再び片桐の方を向く。


「ミョルニルを返して欲しい人はたくさんいるからね。返答してたんだ。ごめんね。何だっけ。オーディンたちの話だったっけ」


 湯飲みをクルクル回しながら、ロキはどうでも良さそうに続けた。


「まず、この計画は、さっきちょっと言ったけど『ユグドラシル計画』と呼ばれてる。身寄りのない孤児を拾い、サイバーテロ組織を作り上げようとする計画だ。上層部は大体政府関係者で、それも相当地位が高い。ちょっとやそっとの情報流出ぐらいじゃもみ消されちゃうくらいにはね」


 後ろ手でキーボードを叩くと、十数あるディスプレイに、それぞれ顔写真が浮かんだ。役職とコードネーム、本名とユグドラシル計画での立ち位置そのすべてが一気に浮かぶ。


 公安調査庁、自衛隊情報本部、内閣特別機関、その他国家の中枢を担う機関名ばかりだ。あまりの写真の多さに開いた口が塞がらない片桐だったが、トールと記載されている部分だけ黒く塗りつぶされていた。本職すら書いていない。首を傾げる片桐に何も言わず、見飽きたとでも言うように、それを振り返ることもなく彼は淡々と続けた。

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