疑惑

 本条の言葉に、片桐は背筋を伸ばした。反射的にメモ帳を取り出そうとすると、それは制止される。


「これは、本当に外に出してはいけない内容なんです」


 そうひと言置いて、


「俺が聞いてしまったのは、多分本当に偶然だったんだと思います。いつものように家に帰らず、路地裏をフラフラしていた時のことでした。怪しげな黒いスーツの男が二人、人目をはばかるように立っていたんです。なにも盗み聞きする気はなかったんですが、何とはなしに二人の会話を盗み聞きするような形になってしまいました」


 割り箸を玩びながら、彼は視線を落とす。


「『公安の中でこれを知っているのは何人になった』

 それが、始めに聞いた言葉です」

「公安?」


 公安警察──日本における公安警察とは警察庁と都道府県警察の公安部門を指す俗称で、正式には警備警察の一部門である。主に国家体制を脅かす事案に対応する。国外的には旧共産主義国の政府、国際テロリズム。また国内的には、極左暴力集団、朝鮮総連、日本共産党、社会主義協会、学生運動、市民活動、新宗教団体、右翼団体などを対象に捜査・情報収集を行い、法令違反があれば事件化して違反者を逮捕することもある。さらには、同僚の公安警察官、一般政党、中央省庁、自衛隊、大手メディアなども情報収集の対象になっているとされる。いわば、日本の社会、公衆の無事・安全。公共の安寧を行う重要な機関だ。


 それが何故出てくるのか。無言で先を促すと、ぽつりぽつりと本条は続けた。


「聞こえた単語は僅かでした。

『ユグドラシル計画』『ヴァルキリー』『使用コードはA』『フレイヤに伝えろ』の四つです。そこまで聞いて、内容の意味は分からないけれどそれが重要なことに気付いた俺は後退り、缶を蹴飛ばしてしまい二人に気付かれてしまいました。幸運だったのは、大通りの明かりをバックにしていたため俺の顔が良く見えなかったことでしょうか。でも、聞いていたことはバレたでしょう。慌てた様子の二人を背に、俺は何とか逃げ切れたんです。

 でも、相手は公安なんでしょう? 警察なんですよね? なんで、あんな」


 思い出したのか、小刻みに震える本条の肩を叩き、落ち着かせる。しかし、公安。公安が、まるで秘密組織のように密談していた。それでは本条が警察を信用できないのも頷ける。


 ユグドラシル計画


 ヴァルキリー


 ミョルニル


 フレイヤ


 学生時代に専攻していた知識がこんなとことで役に立つなど皮肉だが、すべて北欧神話になぞらえて作られている。一体何のことなのか。本条奏汰を保護しただけではこの話は終わらない。きっと、何か裏がある。


 ようやく弁当に手を付け始めた本条に、片桐は力強く頷いた。


「よし。お前の聞いた言葉の意味が分かるまで、俺がお前を保護する」


 突然の言葉に、本条は食べようとしていた白米を落とした。


「え?」

「この山は裏がありそうだ。公安が絡んでるとなると、下手に外にも出られねぇだろうが、そこは勘弁してくれ。その代わり、お前さんの身の安全が確実になるまで、俺がお前を護ってやる。約束だ」


 膝を叩くと目を丸くした後、本条は嬉しそうに破顔した。


「やっぱり、見つけてくれたのがアナタで良かった」


「でも」と続けて


「部屋の掃除、してもいいですか?」


 痛い指摘に、ぐうの音も出ず片桐は頷くしかなかった。

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