忍び寄る影
「片桐刑事?」
片桐の奇行を訝しんだのか、不思議そうに首を傾げる綾木に、「いえ、何も」と返す。ここはひとまず、Lの言うとおりにするしかない。どこからどうやって見ているのか知らないが、片桐の行動は向こうに筒抜けなのだ。
「本条奏汰は、安全な場所に保護してあります。いまからそちらに向かおうかと」
言葉を濁して答えると、綾木は特に訝しむこともなく「そうですか」と頷いた。
「片桐刑事が安全だと判断したのでしたら、大丈夫でしょう」
「それでは、失礼します」
一礼し、署を後にする。Lからのメッセージに返信しようと文章を送信するも、返ってくるのはやはり送信エラーのみだった。本条とは連絡を取り合っていると言うのにとやや苛立ちを感じる。
「クソッ」
舌打ちをしながら丸ノ内線に乗り、東京で東海道本線に乗り換えアパートに戻ることにした。途中コンビニエンスストアに寄り、昼と夜、二人分の食料と飲み物を買い外に出る。すると大通りに何度か同じナンバーの黒い車を見かけ、不穏な空気に眉を寄せた。職業柄不審な車を見かけたらナンバーを控えるようにしているので間違いない。同じ車だ。仕事が仕事なので、恨みを買うことも多い。事件の臭いを感じ、いつもとは違う道を歩くことにした。車の影が完全に見えなくなってから、アパートに向かう。
鍵を開けて中に入ると、隅の方で本条が膝を抱え丸くなっていた。鍵の音に驚いたのか、小刻みに震えている。
「よ」
軽い口調で挨拶をすれば、ようやく緊張が解けたのか本条の顔が和らいだ。
「片桐さん」
昨日思いっきり泣いたのが恥ずかしいのか、軽くはにかんだような笑みが年相応で好ましい。
「腹減ったろ。弁当と茶買ってきたから一緒に食おう」
「ありがとうございます」
差し出されたそれらを一礼してから受け取る姿は、素行が悪いどころか礼節をわきまえている少年で、情報の祖語に後頭部を掻く。これは彼女の言った通り、根は優しいのだが周りからは勘違いされているパターンだろう。かくいう自分も学生時代そうだったので、逆に親近感がわいた。
「ここの住所は俺以外知らないし、Lからも釘を刺されてるから安心しろ。汚いのは……まぁご愛嬌ってことにしてくれ」
おどけて笑えば、本条も小さく笑った。
「片桐さんは、刑事さんなのに珍しいですね」
「ほん?」
割り箸を割ろうと口に咥えていたためマヌケな返事になったが、言われた言葉の意図が分からず首を傾げる。返事がおかしかったのか軽く噴き出した後、本条は手に持っていた割り箸を割ることなく、意味なく弄っていた。
「彼女から、聞きませんでした? 俺の話」
「ああ、何だっけ? 『素行が悪く家出を頻発していて、けれど本当は優しい人』、だったかな?」
「そんなこと言ってたのかアイツ」
恥ずかしそうに頬を染め顔を手で覆ったその隙間から、くぐもった声で彼は続けた。
「俺の家、厳しいんですよ。テストは何点以上取らなきゃいけないとか、この大学に進まなきゃいけないとか。兄さんが優秀で、しょっちゅう比べられるんです。それが嫌で家を出ると、不良だなんだと。完全に見放されてしまったんでしょうね。今回の捜査、言われたんでしょう? 『アイツのことは知りません』って」
自嘲気味に言う本条に、言葉を無くした。何故なら、まさにその通りのことを言われたからだ。そんな片桐に苦笑を返す。
「こうなったら荒れに荒れてやろうと思ったんですが、ダメですね。何も思いつかない。家出のたび俺を保護してくれる警官は、呆れたように言いました『お前のような人間が社会の役に立つわけがない』って」
「何だそりゃ」
警官の言い分に、片桐は腹が立った。社会の役に立つとか立たないとか、そう言うことを何故見知らぬ人間が──大人が決めるのか。未来ある若者を貶す権利が一体誰にある。
「そいつはクソだな。そんな奴の言うことなんてシカトしてやれ」
そう言って唐揚げを頬張ると、本条は目を丸くした。
「そんなこと言っていいんですか?」
「いいんだよ。お前の人生の価値を決めんのはお前だ。他の誰でもねぇ。ごちゃごちゃ言ってくる連中はな、みんなクソだ。忘れろ」
「ほら、飯食えよ」と促したのに、本条は何故かボロボロと涙を零す。ギョッとして、思わず箸を落としそうになった。
「おいおい、泣くなよ。俺が苛めてるみたいじゃねぇか」
慌てると、服の袖で目をこすりながら本条がようやく安心したように笑う。
「Lが何故あなたを選んだのか、分かる気がします」
「はぁ?」
「少なくとも俺は、今、あなたに出会えて良かった」
そして、
「Lが、この部屋には盗聴器もないし、壁が厚いので近隣の住人には聞こえないと言うので、俺が入手してしまった情報についてお伝えしたいと思います」
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