動き始めた運命
本条奏汰は、教えられたアパートの一室に確かにいた。カーテンを閉め切った薄暗い部屋の片隅で震えていた。逃亡の理由を聞けば、あるアングラな組織の重要機密を知ってしまい、その組織に追われていると言う。自分は助けに来た刑事だと告げると、何故か彼は余計に怯えるように部屋の壁に沿って下がっていく。理由が分からず手を差し伸べると、本条は片桐の手と顔を交互に見、首を振った。意味が分からない。どうしようかと思っていると、本条の手の中でスマートフォンが鳴った。ビクッと身体を震わせて急いで画面を見て、ようやく本条は安堵したように肩から力が抜ける。
「片桐さん、ですか?」
名を呼ばれ、彼の見たスマートフォンに何が表示されたのか察した。
「Lからの連絡だな」
片桐の発言に強く頷いて、本条はスマートフォンの画面を片桐に見せる。
『安心してください。今目の前にいらっしゃる刑事さんは、片桐さんと言って、アナタの味方です。必ずアナタを助けてくださいます』
そのメッセージを見、片桐は本条を見て頷く。
「必ず君を守ると約束しよう」
言ってもう一度手を差し伸べると、ようやく本条は片桐の手を取った。震えるその手を力強く握りしめれば、安堵からか本条の目から涙が零れた。ハンカチを差し出そうにも、そんなものは持ち合わせがなく、仕方ないので本条を抱き寄せ背を叩いてやる。
「彼女が心配してたぞ。後で連絡してやれ」
胸の中で泣きじゃくる少年の背を叩きながらそう軽口を言うと、鼻をぐずつかせて本条は何度も頷いた。
震える彼を抱きながら、天井を仰ぐ。
Lとは、どういう人物なのだろうか。
*
非番明け、インターネットを探し回り、片桐はLの言っていた都市伝説について調べていた。
曰く、ただの噂話だ。
どこでもいい。どこかの掲示板に決まり文句を入力したら、なんでも情報をくれる情報屋がいると。
どこでもいい。どこかの掲示板に決まり文句を入力したら、なんでも消してくれるクラッカーがいると。
どれも眉唾ものの話だが、実際、入力して痴漢を社会的に消してもらっただの、嫌いな人間の弱点を教えてもらっただの、コンタクトした人間からのコメントも多い。事実、片桐自身もコンタクトが取れた人間の一人だ。しかし、誰もがみなその決まり文句を書き込んでいない。それは何だと言及する人間もいない。まるで、知っていることが当たり前であるかのように。
ギシっと音を立てて背もたれに身体を預ける。決まり文句とはおそらく『ミョルニルを返してください』だろう。本条に聞いたところ、この噂は青少年を中心に広がっているらしい。
「また考え事ですか? 片桐刑事」
綾木のおっとりとした声に、ハッとして慌ててサイトを消した。
「すみません、ちょっと私用で」
「おや、私用とは珍しい」
目を丸くする綾木に申し訳なさそうに頭を下げ、パソコンを閉じる。
「昨日、本条奏汰さんを保護されたそうですね」
「あ、はい」
本条は、あの後片桐の部屋に連れて行った。本当ならば署に保護してもらうのが一番なのだが、本条が頑なに拒否したための応急処置だ。あんな汚い部屋に連れて行くのは気が引けたが、他に連れて行けないので仕方ない。
「彼の保護者には連絡されましたか?」
「しようと思ったんですが、本人が頑なに嫌がりまして」
「おやおや」
「ひとまず彼女にだけは連絡しろと言ったら、何とか。でも、『巻き込みたくない』とかなんとか、訳の分からないことを言ってまして」
片桐の言葉に、綾木は目を丸くする。
「巻き込みたくない、ですか」
「はい。何を聞いても要領を得なくて……」
困ってしまって、後頭部を掻いた。何を聞いても、本条は頑として詳細を口にしない。むしろ、Lからのメッセージが無かったらすぐにでも片桐の元から去って行ってしまうだろう。
そう、本条はまだLとのやり取りをしている。自分の時にはあっという間に消えてしまったが、アフターフォローはきちんとするらしい。おそらくは、本条が本当に無事と判断がつくまでLは本条をフォローし続けるだろう。
そう、すなわち本条はまだ無事ではないのだ。警察に保護してもらって、なお。
彼は一体何を知ってしまったのだろう。マル暴関連なら四課の仕事だし、窃盗だとしたら三課の仕事だ。詐欺なら二課の仕事になるし、今のままではどこに話を振ったらいいのかすら分からない。
乱雑に髪を掻く。幸い、今手掛けている事件は他に無い。ここはいっちょ腰を据えて本条と向かい合うか、と腰を上げた。
「どちらへ?」
「マル対のところです。少しでも事情を聴かないと」
ジャケットを手に取ると、綾木は「なるほど」と一つ頷き片桐を見つめた。穏やかな微笑みを浮かべ、彼は小首を傾げる。
「ところで、本条奏汰さんは今どちらに?」
「それは」
答えようとしたその時、スマートフォンがメッセージの受信を知らせた。ひと言断ってから内容を見ると、
『本条さんの居場所は誰にも漏らさないでください。L』
ゾッとした。どこで見ているのか、どうやって見ているのか、思わず辺りを見渡す。だが、周りはいつもの署内で、何の変哲もない日常だけがそこにあった。
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