夢を諦めきれない大人

 気が付けば、片桐はこの失踪事件を引き受けていた。情報はない。経緯も知らない。どこを探したらいいのかも分からない。そんな事件を。


 もちろん、出来ることは尽くしている。彼が良く行く場所を少女から聞いて探しに行ったり、聞きこみをしたり。けれど進展はまるでない。そもそもはなから探し当てることは不可能に近いものだったのだ。少女の言葉を信じ捜査を進めているが、半ば片桐は諦めかけていた。それでも諦めきれなかったのは、僅かに残された刑事としての矜持だった。


「片桐刑事でも難しい失踪事件ですか」


 綾木の言葉に、苦笑する。


「そもそも、自分の検挙数なんて半分以上まぐれですから」


 捜査一課の中でも随一の検挙数だが、片桐はそれを自分の実力だと認識できないでいた。すべては何かの偶然で、たまたま運が良かっただけなのだと思っている。けれど、中にはそれを僻むものもいて、一課の中において、片桐は一匹狼となってしまっていた。誰もバディを組みたがらないのだ。それを気にしたことは無い。むしろ自分で好きに動けるのだから気楽なものだ。特に今回のようなケースの場合、厄介なものを引き受けてと非難を受けるものなのだから。


 けれど、綾木は否定せず、おっとりと調書を片桐に返した。


「他の事件も片付けながら少女の願いも叶えようとするとは、さすが片桐刑事ですね。ですが、目の下の隈が酷い。今日はもう帰って、明日は非番ということでお休みください」

「しかし綾木警部補」

「ダメです。お休みください」


 柔らかいが、ハッキリと言われてしまい片桐は言葉を無くした。もとより綾木には恩があり、頭が上がらない。「それじゃあ」と頭を下げると、彼は満足げに頷いて、自席へと帰っていく。綾木はそうして、課の人間が全員帰宅するまで帰ることは無い。


「お先に失礼します」


 帰り支度をして一礼すると、彼は頷きながら「おつかれさまでした」と返してきた。


 後頭部を乱雑に掻きながら、片桐は警察庁を後にした。





 ビールの空き缶で埋もれた部屋を、足で道を作りながら進む。スーツのまま万年床に倒れこみ、ああ、スーツがしわになると思うが、それまで署に缶詰だったせいか身体は睡眠を欲している。せめてメール着信の有無くらいは確認したいが、もう起きているだけの余力が無い。そのまま、睡魔に任せて意識を手放した。


 翌朝、いつになくスッキリ目が覚めたら、いつの間にか陽は天頂に登り切っていた。しばらく寝起きの呆けた状態で布団の上に寝転がっていたが、仕事のことを思い出し勢いよく飛び起きる、そして、今日は強制的に非番だったことを思い出してまた呆けた。とりあえず皺くちゃになったスーツを脱ぎ、ハンガーにかける。シャワーを浴びて髭でも剃ろうと風呂場に向かった。


 髪を洗い、髭を剃り、久しぶりにスッキリとした自分の顔を見た後、Tシャツとトランクスと言う状態で、冷蔵庫を開ける。けれど、中には見事に何もない。ここ数日部屋に帰ってこなかったのだから当たり前だ。仕方ないから昼ご飯と夕飯を買いに行こうと、Gパンとシャツを羽織って買い出しに出かける。いつものコンビニエンスストアでいつものタバコを三カートンと、昼ご飯用におにぎり数個と夕飯用にお弁当、ついでにペットボトルのお茶と缶ビールを何本か買って家路に着く。


 帰っておにぎりをお茶で流し込み、シャツを洗いハンガーにかける。一通りの作業を終えたところで、作業用のノートパソコンの前に腰かけた。起動させ、パスワードを入力すると、ウィルス対策ソフトの更新が長期間なされていないことのメッセージが出てきた。とりあえず更新してからメールを確認する。同僚からの他愛ないメールが数通と、どこから漏れたのか分からないダイレクトメールが数通届いていた。同僚のメールに返信をし、ブラウザを立ち上げる。起動音が鳴り響く部屋で、買ってきたビールを流し込む。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る