カクトウ

 長い髪を振り乱した少女は、素手すでで家のブロック塀を壊していた。

 近所の住人や通りがかった人たちが、まだ幼さの残る少女を遠巻きに見つめ、警察官に肩を抱かれているのが母親だろう。

 こんな状況で、今にも倒れそうな顔色。だが、化粧はしっかりと施されている。


 チヒロは、少女を中心にぽかりと空いた空間に降り立ち、着地と同時に背負った機械を外し、ついたローラーで警官に向けてすべらせる。保管しておいてくれるはずだ。


「マサキ・ユキカだな?」

「だぁれ?」


 酔っているかのようなとろんとした目を向けて、少女は首を傾げる。

 チヒロは、飴をくわえたまま、にこりともせずに腕の携帯端末を操作した。

 ホログラムで浮かび上がる身分証は、羽ペンを意匠とした皮肉な紋章。ペンは剣よりも強し、という言葉を嘲笑う、アサシンのあかし

 それは、少女も知るものだったらしい。


「だぁれも、あたしのじゃまなんてできないんだからぁっ!」


 明るく叫び、打ち砕いたブロック塀の欠片を投げつけようとして――だがチヒロには、そんな茶番に付き合ってやる義理はない。

 なめらかに動き、まずは少女の手を払って握り締めていたコナユキを落とす。大人に比べれば低い位置にある少女の腹を蹴り上げ、吐瀉物としゃぶつを器用にけながら、腰から抜いた拳銃を少女に見えるように突きつける。


「抵抗すれば撃つ。その痛みは本物だ、まだ痛い思いをしたいか」


 つかうずくまっていた少女はだが、ばね仕掛けの人形のように跳ね起き、チヒロに喰らいつこうとした。

 が、それを予知して最小限の動きでいなす。

 方向をらされた力は、そのままチヒロに誘導され、少女の小さな身体を一回転させた。

 何が起こったのかもわからず呆然と地面にはいつくばる少女の背に、チヒロは、もう一度銃を突きつけた。今度は、銃口を身体に密着させる。


「続けるか?」

「…で、なんでっ、なんでっ!」

「誰か、クエン酸の入った飲み物を持ってないか。――投げてくれ」


 母親に寄り添っていない方の制服警官が、慌てたようにペットボトルを投げた。

 クエン酸がコナユキの吸収をごくわずかながら阻害そがいするというのは、今では一般にも知られたことだ。

 チヒロは片手でふたを回し、少女の目の前に下ろした。


「二、三度うがいして、あとは飲んでおけ。逆らうなら…」

「…」


 無言で、少女はペットボトルをひったくった。

 大人しく従う少女の背から銃口は離さず、チヒロは、周囲にちらりと視線を走らせた。


「トーコ」

『はーいっ』


 チヒロの呟きにか突然聞こえたトーコの声にか、あるいは両方に、びくりと身を震わせた少女には構わず、チヒロはもう一度、視線をめぐらせてから口を開く。

 せいぜいが少女にしか聞こえない声量で。


「言うことがあるんじゃないのか」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る