第2話 心の虫の正体
考えた結論からいうと、これは虫などではない。心の中のモヤモヤした感情を、「虫」という概念に当てはめて具現化を試みた結果生じたものである。虫たちに性格や人格のようなものが備わっていたのもそのためである。いわば自分の心の一部とも言える。
心の虫が消えていたのは、おそらく感情の成長とともに虫という概念では収まりがつかなくなっていったためだと思う。人の心はいろいろな感情から成り立っている。個々の概念上の虫にトレース出来るものではなく、もっと複雑に絡み合った状態でバランスが取られながら一個の人間の感情が形成されている。
そして再び虫のことを思い出したのは、おそらくは自分自身の感情に向き合った結果なのだろう。人は感情のままに生きることも出来る。しかし時には自分の感情を押し殺すことも求められる。おもしろくもない話におもしろそうに振る舞ったり、言いたくもないお世辞を言う必要があったり。
そんなことを続けていると大元の自分自身の感情は希薄になっていって、気が付いた時には自分の感情とはなんなのかを忘れてしまう。
そんなことに疲れ果てて
疲れ果てて
疲れ果てて
疲れ果てて
疲れ果てて
疲れ果てて
そうしてボロボロになってようやく自分の感情に向き合った結果、再び心の虫が現れたのだろう。わたしももう何も分からない子どもではない。この虫たちがなんなのかはだいたいは分かる。
そして子どもの頃に心にいた虫ではなく、いまの心の中にいる虫をあの頃よりもずっとグロテスクな様相をしている。疲れ果ててボロボロになった感情の一つ一つなのだから、おぞましいものになっているのは当然といえば当然である。
そして特におぞましい様相をしているのは負の感情、特に悪意を読み取る部類の虫たちである。この虫たちはわたしが誰かから悪意をぶつけられたときに暴れ回る。また自分ではなく他の誰かにぶつけられているときにも暴れ回る。心の中でその虫たちが
「あの人はあんなことを言ってるのだから、他の人もお前のことをヒドいように言っている!」
「あんな人間の言うことはデタラメで、あいつがクズなだけ!」
「世の中、誰もが自分のことしか考えていない!」
などという叫び声をいつまでも上げ続ける。それに呼応して怒りを司る部類の虫たちも暴れ始める。
「あんなことを言うなんて許せない!」
「もう我慢の限界だ!」
そして悲しみを司る虫たちが悲しみの声を上げる。
「なんでみんなヒドいことを言うんだろう…」
「もう何も言って来ないで…。もうやめて…」
そう、心の中の悪意を読み取る虫たちが反応することで怒りや悲しみの虫たちも呼応して暴れ始める。
そしてその怒りや悲しみの声を再び悪意を読み取る虫が拾い上げてまた暴れ始める。こうなると、もう勝手に心の中で悪意や怒り、悲しみが増幅されていくだけ。
でも、心の虫には喜びや楽しさ、好奇心を司る虫たちもいたはず。そしてそれは見つけ出すことは出来た。出来たのだけど、どれも無残にバラバラに引き裂かれていたりカラッカラに干からびてしまっている。
心の虫というのはあくまでも概念上のものに過ぎないけれど、それを自分の中の感情に置き換えてみればなんでいまの自分がこんなにもなってしまったのかが分かる。人の悪意に振り回されて感情のバランスが崩れきってしまっていた。大切にしなければならないものが分からなくなって、もう元に戻ることもない。
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