『指一本、それが代償』

 ヤクザとギャングの抗争がヤクザの勝利で幕を閉じたその後、何者かに誘拐された神哉。車にゆらゆら揺られること30分ほど、ようやく停車した。

 頭の中で地図を広げ、右折左折を体で感じながら行き先を探っていたのだが、途中でそれもやめてしまった。おおよそどこに行くのか想像もついていたからというのも理由の一つではあるけれど、そもそも面倒臭さが勝ってしまった。


「久しぶりだなぁ、神哉ァ」

「……お元気そうで何よりです、神田かんださん」


 これでもかとグルグルに巻かれたロープ、神哉は椅子に縛り付けられ身動きの一切取れない状態にある。そんな彼の眼前、黒いシックな和服を纏った白髪の男が凶悪な笑みを見せる。

 男の名は神田かんだ八千代やちよ神田じんでん組の組長を務める極道の者。指定暴力団の一つとして世間に認知されているヤクザのボスである。

 

「やってくれたなァ? ヤクザけしかけるたァ、どういう了見だ?」

「何のことですか? 俺はただ昔のよしみで神田じんでん組の縄張りシマにギャングが潜んでますって伝えてあげただけですよ。自分で言うのもなんですが、厚意です」

「ハッ! ナメんじゃねぇぞクソガキィ! お前がウチの若いモンにギャングに奇襲かけるよう仕向けたことは分かってんだ」


 真顔で大嘘を吐く神哉に、神田は椅子から立ち上がって声を荒げる。しかしその声音はどこか楽しげだ。

 神哉が自分の言葉にシカトを決め込んだのを見て、手中にある拳銃をクルクル回しながら、またも凶悪な笑みを浮かべる神田。銃口を神哉に向けて口を開く。


「ウチの若けェもん全員てめェが殺したってことだ。そこんとこ、分かってんのかオイ」

「それは言い過ぎでしょう。抗争に参加するかしないかは自分の意思、強制されるものではない。俺の記憶が確かならここのルールはそうじゃありませんでした?」

「あぁ確かにその通りだなァ。じゃあ何かァ? アイツらァ自分から命摘まれに行ったってェのか?」

「そうなんじゃないですか? 俺は今の若いヤツらのことまで知りませんけど」


 無責任な神哉の物言いに、神田はくくっと喉を鳴らす。何故なにゆえに神哉との会話をここまで楽しんでいるのか、その顔は久方ぶりに出会った息子との晩酌を楽しむ父親だ。


「く、組長ォッ!」


 とその時、誰かが部屋に闖入してきた。はぁはぁと息を荒くし、声音には悲しみが含まれている。

 神田は男に対して睨みを利かせると、ただただ嫌そうな顔で首を傾げた。


「あーなんだァアツシ? 今俺はコイツと話してんだ、とっとと下がれ――」

「――リュウマが、息を引き取りました……!」

「……そうか。逝っちまったか」


 闖入者からの報告に、神田は遠い目をしながら静かに呟く。涙を流すことも、悲しみに暮れることもしない。神田は死んでいった者たちのことを追悼しないのである。

 それは彼らがそれ相応の覚悟があって自分とさかずきを交わしたことにするため。死の直前、この世界に入ったことを後悔していたとしても、自分の中では彼らは勇気ある息子たちとして一生刻まれるから。

 だから神田は偲ばない、彼らの死を惜しまない。組のために立派に戦い遂げた一人のおとこなのだ。


「てめぇ! リュウマたちに一体何を吹き込みやがった!?」


 涙を目元に滲ませながら、アツシと呼ばれた腕に刺青だらけの男が神哉に詰め寄る。並の人間ならこのイカツイ顔に詰め寄られれば、恐怖に体を震わせるだろう。

 しかしながら、並の人間ではない神哉は普段通りの仏頂面を貫く。凶壱が笑顔がデフォルトであるならば、神哉はこの無表情がそうだろう。目線だけアツシを向いて、神哉は言う。


「何って、別に大したこと言ったつもりはないですよ」

「アイツらはオヤジを尊敬して、オヤジの考えを一番に尊重していた! そんなアイツらが自分から喧嘩吹っかけるとは思えねぇ!」

「だからなんだって言うんですか?」

「だからお前がリュウマたちに何て言ったのか聞いてんだよ! 答え次第じゃ、お前の脳天に鉛玉ブチ込む……!」


 目を血走らせ、グッと拳を握り締めるアツシ。腰の拳銃を神哉に見せつけて、唇を噛み締め、神哉の返答を待つ。

 少しの間、ほんの僅か数秒ほど、神哉は沈黙。やがてゆっくりと口を開き、面倒臭い感満載の声で答えた。


「俺はただ、神田さんがギャングに腰抜け呼ばわりされてますよって教えてあげただけです」

「なに……?」

「ヤクザなんて目じゃない、どうせ死にかけの老いぼれが仕切ってる超緩い同好会みたいなもんだろうってギャングが言ってましたよって、親切丁寧にわざわざ俺は教えてあげたんですよ」

「……」

「そしたらそのリュウマさんとやらが勝手に怒り狂い出して、ギャングの潜んでる場所を聞かれたので答えました。その結果、あの有様です」


 自分に非はないと、そう言わんばかりに堂々と神哉は告げる。その物言いにアツシもゆっくりと口を開けて、再度問いかけた。


「ギャングたちは、本当にそんなことを言っていたのか……?」

「……さぁどうでしょうね? 言ってたんじゃないですか?」


 神哉の棒読み口調でトボけるようなわざとらしい言葉を聞いた瞬間、アツシは神哉の胸ぐらに掴みかかった。


「てんめぇ……! ぶっ殺してやる!!」

「アツシ待て!!」

「オヤジ!? リュウマは、リュウマたちはコイツが殺したようなもんだ! 死んで償ってもらう!」


 アツシは腰の拳銃を抜き、それを神哉の額に突き付けるも、神田のビリリと場の空気を震わせる声で引き金から指を離す。

 アツシの言うことは至極もっとも。神哉の発言はこの状況下において本当のことであろうと正直に話すべきではない真実だった。返答によっては鉛玉をぶち込まれる立場の神哉が言い放つ態度でもなかった。

 リュウマたち若衆らを可愛がっていたアツシにとって、神哉はギャング以上に憎き存在。それでもすぐに撃ち殺さなかったのは、神田の制止の声があったからだろう。

 それだけ神田の一言には力があるのだ。憎しみに身を任せて引き金を引きかけていた男を寸前で人殺しにさせないくらいには。


「出ていけアツシ、部屋ァ血飛沫で汚す気か?」

「だけどオヤジ……!」

「出ろって言ってんだろぶっ殺されてェのか!?」

「は、はい……」


 アツシからしてみれば、神田が何故神哉のことを擁護するのか不思議でならないはずだ。

 部外者である神哉を殺させないようにするのは何故なのか……。神田の心中が読めず、アツシは不信感に表情を悪感情に歪ませながら、部屋から退出していった。

 それから神田は椅子から立ち上がり、神哉を縛り付けている縄を解いて言った。


「寄り道せずにさっさと帰れ神哉。お前、アイツらの恨み買っちまったんだからな?」

「えぇそうですね。いつも通り家に籠城するので心配なく」


 神哉は神田を遇らうように言って、くるりと踵を返す。


「あー、そうだちょっと待て神哉。お前、と仲良くしてるんだってなァ?」

「……それが何か?」


 実名は出さずとも、この二人の中では“あの娘”だけで伝心する。問われた神哉はここにきて初めてその無表情を崩した。

 心底聞かれたくなかった部分であろうことが丸分かりの表情で、またトボけるように首を傾げる神哉に対し、神田は優しく諭すような声音を出す。


「アイツが何者なのか、まさか知らねぇわけじゃーねぇよな」

「……もちろんですよ。知ってて、俺はアイツを家に入れてるんです」

「お前もわけわからんことするなァ。罪滅ぼしのつもりか?」

「別に。何のことはない、ただの馴れ合いです。……それじゃ、失礼します」


 神哉は早く帰りたかった。これ以上この話を続け、広げたくはなかった。

 だからそそくさと足早に退出しようとしたのだが、神哉がドアノブに手をかけた瞬間。


「オイいいか神哉!」


 ビリビリと空気を震わせる神田の覇気ある声が室内に響き渡る。

 そして神哉は振り返りはせずとも、ピタリと動きを止めた。


「ヤクザの仁義もロクに守れねェ奴に、償いなんかできるわけねェからなァ!!」

「……えぇ。分かってますよ、

「お前は指も詰めずに逃げ出した裏切りモンだ。……が、お前と盃交わしたことを、俺ァ間違いだとは思わねェ」

「そりゃどうも」


 心のこもっていない感謝を述べて、神哉は今度こそ神田組の事務所を後にするのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る