Vol.2
『フェチップルエモみ』
3月も末近くになると、多くの桜が見頃を迎える。他の国よりも四季がはっきりとした日本、春の訪れを感じさせてくれるものが何かと問われれば、やはり桜と答える者が多いだろう。
今は桜を肴に酒や美味い飯を飲み食いするお花見シーズン真っ盛り。ポカポカと暖かく眠気を誘う春陽気に包まれながら、友人や会社の人間、家族親戚とするお花見は実に楽しいものだ。
それはもちろん、犯罪者だからといって例外ではない。彼らにだって花を愛でるという人間らしい感情は存在する。
「あぁぁぁ〜! フェチップルの5巻読み終わってしまいましたぁぁぁ! 胸がぁ、胸が締めつけられるんじゃぁー!」
「……うるせぇ」
例によってノートパソコンで詐欺に勤しむ
すると彼杵は取り乱したように早口で喚き始めた。
「だってなんですかこの終わり方! 初夜からのプロポーズで髪バッサリだけどやっぱり好きて、展開神過ぎエモくて死ねるぅぅ」
「いやぁ、分かるww。分かるよー彼杵ちゃんw。フェチップル最高に胸がキュンキュンするよねw!」
「はい! 平戸先輩がいてくれて本当に良かったです、神哉くんとはこのエモみを共有出来ないので」
やっぱりニタニタとした表情から一切の変化が見られない凶壱からの同意に、彼杵は嬉しそうに顔を綻ばせる。
「でもw、お花見だってのに桜よりも漫画の方を優先しちゃうところ、さすがは彼杵ちゃんだねぇww」
「だってお花見とは言え家から一歩も出てないじゃないですかー。まったくお花見気分にならないですもん」
そう。何を隠そう今回のお花見会、神哉宅から一歩も外出していないのである。
と言うのも神哉宅の豪邸具合を考えてもらえればすぐに分かる話。神哉宅は口の字型で中庭が完備されているのだ。
その中庭のド真ん中に、それは植わっている――綺麗な桃色の花を満開にした、梅の木が。
「どうして梅なんデスカ? せっかくならニッポンの花、桜を植えた方が良かったのデハ?」
梅の花を眺めながら、イクミが神哉に問う。
「俺も桜植えたいなーって思ってたんだけど、ありとあらゆる方面から反対されまくったんだよ。害虫が尋常じゃなく来るだとか素人に手入れは無理とか言われて」
「それで梅の木なんだww。妥協のその先が結局金持ちだねぇw」
「まず木を植えようって発想が出るくらい大きい庭がある時点でお金持ちデスヨネ!」
凶壱とイクミは神哉の豪遊っぷりに笑みを浮かべる。二人の言う通り、妥協して梅の木を植えようとするところも、そもそも木を植えようとするところも一般人からかけ離れ過ぎているだろう。
やはり、たった一人でネットを使用した詐欺を勤しんでいるだけはある。作業量は多いものの、詐欺にセンスのある神哉はそれだけリターンがあるのだ。
高級住宅街の中でも一際目立つ一戸建て住宅を購入した上でさらに一本樹木を購入しようなど、一体誰が考えるだろうか。物欲のない神哉にとって、樹木一本は金を使うべく逆に無理した買い物と言っても過言ではない。
「
「家族もいないのにマイホーム購入なんて、ぶっちゃけ馬鹿のやることだよねーww。世間一般的に二十歳で家買うヤツとか珍し過ぎるもんw」
「まぁいいじゃないですか。私たちの憩いの場になってるわけですし、将来的には二人のおうちになるわけですし///」
「今の時点でお前ほぼ住み込んでるようなもんだけどな」
何を今更照れることがあるのかと言わんばかりに、ワザとらしく頰を赤らめて上目遣いをする彼杵に神哉は言う。
至極冷静かつ的確なツッコミに、彼杵は何も言い返さない、頰の紅潮も一瞬で引いた。
「ていうか彼杵、前に家借りるとか言ってなかったっけ? アレどうなったの?」
「ふぇ? ……そんなこと、私言いましたっけ?」
「その為にあの日家具屋に行ったんだろ? あの強盗に遭った日」
「僕との運命の出会いの日だねw! なるほど、だから二人は家具屋にいたわけだww」
「ワタシと御主人様のようにお二人にも御主人様との運命の出会いの日があったのデスネ。なんだか感慨深いデス」
二階の椿が部屋で小さく響いた「どこがだよ」というイクミへのツッコミは本人に届くことはなく、部屋の中で消え去ってしまった。
かく言う彼杵はと言うと――。
「あー、なんか……確かに言われてみればそんなこと言ったような気もします。強盗に遭ったショックで、すっかり忘れてました」
――何故か歯切れ悪く、そう答えた。そしてまるで話を逸らすみたいに、早々と話題を転換させる。
「そう言えば平戸先輩とイクミちゃんって、本当にいつも一緒に行動してるんですか?」
「ハイ! ワタシはあの日心に決めたのデス、この命果てるまで御主人様に付き従うト!」
「いやはや困ったねぇww。僕はこれまで一匹狼を貫いてきたってのに、こんな可愛い付き人ができたんじゃたまったもんじゃないよ〜w」
「かッ、カワイイだなんてっ///! 滅相ありマセンデスぅ!」
イクミは凶壱の軽口をまともに受け止め、茹でダコのように顔を赤くする。頰に手を当て、恥ずかしがる顔を隠すその仕草は尊いの一言に尽きる。
しかし残念ながら普段からヘラヘラしてるばかりで、基本言葉に感情ゼロの凶壱。“愛でる”などという単語は彼の脳内辞書にない。
「ちなみに何ですけど、そのメイド服は買ったんですか?」
彼杵は今更ながら、イクミが身に纏うフリルの付いた可愛らしいメイド服について問うた。するとイクミはよくぞ気付いてくれたという顔で嬉しそうに首を縦に振る。
「そうデスヨ! 御主人様に買っていただいたんデス」
「え、平戸先輩にそんな財力あるんですか……? ホームレスなのに?」
「あはは。大丈夫大丈夫、神哉くんのカードで買ってるからw!」
「は? え、いつの間に……?」
凶壱のさらっと流れるように出た言葉に、神哉は珍しく驚きに目を丸くさせ、ノートパソコンをカタカタし始めた。
確かに検索履歴には見に覚えのないオーダーメイドのメイド服販売サイトの閲覧がある。さらに自分のカード利用明細を見てみると、これまた見に覚えのない4万円の支払いがある。
「4万て……。大体どうやって俺のパソコンとカード使ったんですか?」
「君がいつも使ってるソレじゃなくて、二階の君の作業部屋にあるパソコンでww!」
「カードはこっそり拝借しマシタ!」
「空き巣やってる私が言うのもなんですけど、全然笑って許されることじゃないですよね」
彼杵の冷静なツッコミに、凶壱とイクミの二人はテヘッとイタズラっ子のような無邪気な笑みを見せる。やってることは普通に犯罪なのだから、逆にこの笑顔ができてしまうのは怖い。
だが、当の神哉はカードを勝手に使われたことよりも別のことを気にしているようだった。
「俺の、作業部屋に入ったんですか」
「え、あれ、もしかして普通に怒ってるw? ごめんごめん、そのうち返していくから許してw!」
「いや……別にそっちは返さなくてもいいですけど」
作業部屋に入られたことがそんなに嫌だったのか、神哉はいつも通りの仏頂面で素っ気なく言う。
そしてそんな神哉を見て、えらく鋭い目をする彼杵。それぞれがそれぞれの嘘を重ね、嘘で塗り固めているこの関係性は、まだ平和に続きそうではあった。
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