『地下ステージ 1-2』

「すごーい! 早着替え上手いwww! かいけつ◯ロリみたーいw!」

「きゃー!! 神哉くんヤバい! ホンモノですよっ! 本当の物体と書いて本物です! 怪盗Hですよぉっ!」


 凶壱は的外れな部分に拍手を送り、彼杵は興奮して神哉の身体をこれでもかと揺さぶりまくる。

 なすがままされるがまま精神の塊である神哉は彼杵に揺さぶられ、首が取れそうなくらいガクガクしているが、いつも通りの仏頂面で問う。


「話しかけにいかなくていいのか? 奇跡的にしっかり話す機会が巡ってきたけど」

「は、話すだなんて! ききっ、緊張で何も話せないですよぉっ!」

「あ、そう……」


 それはさながら推しのアイドルに突然話す機会が与えられたジャニオタのよう、はたまた大ファンの声優にいきなり出会った陰キャ声豚か。彼杵は今まさにその状態にある。

 憧れで大ファンの怪盗Hとの唐突のトークチャンスに興奮と緊張でガチガチに固まり、上手く喋れる状況ではないのだ。


「悪いが君たちには眠ってもらう。私の存在は無かったことに……」

「ほぎゃぁあ!」


 怪盗Hの言葉を遮るように、彼杵が奇声をあげる。それは神哉に背中を思いっきり押され、怪盗Hの真ん前にまで飛び出させられたからだ。

 突然前に出てきて自分の言葉を遮った少女に、怪盗Hは不満げな顔を浮かべる。なお仮面越しに見える目元だけで判断しているため、正確な表情の描写とは言えないので悪しからず。

 彼杵は高鳴る鼓動を抑えようと、自分の胸に手を置いて呼吸を整える。最後に大きく深呼吸をしてから切り出した。


「わっ、私! あずま彼杵そのぎって言います! ここ、こんばんは!!」

「こ、こんばんは……」

「じ、実はその、私……怪盗Hさんの、大ファンなんですっ! お、お会いできて、本当に光栄です!」

「私の、ファン……?」

「はい! 怪盗Hさんが世に出始めた時から、ずっと憧れでした!」

「ふむ……」


 当然ながら、訝しげな目を向ける怪盗H。ジーっと彼杵の顔を見つめて、ゆっくりと口を開いた。


「……では、私が最初に盗んだ芸術品は?」

「クロード・モネの『ラ・ジャポネーズ』です。今から2年前、12月17日が盗んだ日です」

「ならば、その時私がボストン美術館に送った予告状は――」

「――『きたる12月17日、私怪盗Hがモネのラ・ジャポネーズを頂戴に参上いたします』というものでしたが、イタズラだと判断されて館長にまで渡らず破棄されてしまった、ですよね?」


 ニヤリと得意げに口の歯を歪める彼杵。

 束の間の沈黙の後、怪盗Hもニンマリ笑みを浮かべた。


「どうやら、本当に私のファンのようだね……。それもなかなかコアな」

「はい! 私は特に3度目の銀行襲撃が大好きですっ! どうか、握手して下さいっ!」

「ふっ、いいだろう。握手でもハグでも何でもしてあげようじゃないか。私はファンには優しいで有名だからね」


 そんな風に冗談っぽい口調で言うと、手袋越しにギュッと強い握手を交わした。

 彼杵は握られた自分の手を見て、何故か身じろぎしながら小さな悲鳴を漏らす。自分から手を出したはずなのに。

 そんな完璧ファンの顔と化している彼杵を見て、凶壱がニヤニヤしながら言う。


「へー、彼杵ちゃんあんな人がタイプだったんだーw」

「ていうよりもアレじゃないですか? LOVEじゃなくてLIKE的な」

「あぁ〜、そういう感じのヤツねww。でもラッキーだね、たまたま出られなくなった美術館でたまたま憧れの人と会えるなんて……w」

「まあ、そうですね」


 ニンマリと愉快げな凶壱の目。しかし神哉はそれに対して何食わぬ顔で頷く。

 伊達に犯罪者として生活していない。ポーカーフェイスはお手の物だ。決して、押して言うが決して表情筋が乏しいというわけではない(本人談)。


「それにしても、お嬢さんよく私の正体を見破ったね。今回予告状は一般に公開されていないし、変装はしたまま、老人の状態だったのに」

「そんなの簡単に分かりましたよぉ! 私大ファンですから、YouTubeでめっちゃ動画見てますもん! なので声さえ聞けば分かりますっ!」

「あ、あぁ。そうなんだね……」


 次第に緊張が解けてきたのか、グイグイ詰め寄ってくる彼杵に押され気味の怪盗H。生来の押しの強さが出始めているようだ。

 と、そこでようやく怪盗Hの意識が後方の二人にまで及んだ。


「ところで後ろの二人は……」

「俺はその子の付き添いです」

「僕は警備員でーすw」

「ふむ。……して警備員さん。私はあなたに捕らえられる人間だということになるが、あなたはそう認識しているかな?」

「もちろんですよーw。警備員として、しっかり仕事させてもらいますっw」


 言うが早いか、怪盗Hに向かって蹴りを繰り出す凶壱。しかし怪盗Hはその攻撃をくるりと華麗にマントをたなびかせることで躱してしまう。続けて凶壱は鋭い突きのような脚撃の連打を打ち込むものの、その全てを見事に避け切られた。

 強盗団を一人で壊滅させる凶壱の戦闘能力が高いことは明白。その凶壱を持ってして一発も攻撃が当たらないということは、イコール怪盗Hの戦闘能力も同等もしくはそれ以上だということを意味する。


「ふっ、一介の警備員ができる動きじゃないな。どうやら君のことを過小評価し過ぎていたようだ。謝るよ」

「腹立つなぁw。そう言う割には軽々避けてるみたいだけどww?」

「これでも格闘技には自信があってね。しかしながら、私のポリシーは“誰一人傷付けず”だ。君と争うつもりは毛頭ないっ!」


 ポンと破裂音がして、先ほど同様白い煙幕が張られる。そしてその煙が晴れた時には、やはりそこに怪盗Hの姿は跡形もなくなっていた。


「消えた……」

「うーん、これは警備員として実に見逃せない事態極まりないw! 逃がさないぞぉwwww!!」

「あ、ちょっと平戸さん!」

「ごめん神哉くん彼杵ちゃん! 警備員室から外出られるから勝手に出といてw!」


 そう言い残して、凶壱は怪盗Hを追ってダッシュで闇に消えた。

 取り残された神哉と彼杵。しばらくの間、二人とも呆然と立ち尽くしていたが、先に我に返ったのは彼杵の方だった。


「はぁ〜、怪盗Hカッコイイぃ……。もうチョー夢見心地です」

「そりゃ良かった。色々予想外だったけど、上手くいったな」

『色々あり過ぎだったけどなぁ……』


 椿の疲弊し、辟易した声音がBluetoothイヤホンを通して二人の耳に響く。

 ここまで長い間沈黙を守っていた椿だったが、通話先の神哉たちが一段楽ついたのを察して久々に声を発したのだ。もちろん神哉と彼杵が椿の存在を失念していたことは言うまでもない。


 神哉が今まで放置し続けていたことを謝罪しようと思ったその時――。

 ――突如、けたたましいサイレンの音が館内に響き渡った。耳をつんざくような甲高い音に何事かと辺りを見渡してみると、何やら美術館の外が騒々しい。


『どうやら、怪盗Hが狙っていた絵画を手に入れたようだな。お巡りさんの意識は屋上に集中しとる、今のうちにとっととズラかれ』

「屋上……? なんで屋上?」

「見てみろ、怪盗Hだ」


 彼杵が首を傾げたので、神哉は窓の外から見える屋上の様子を指差す。そこには警察の用意した眩い光を放つスポットライトに照らされる怪盗Hの姿がある。


『怪盗Hー! お前は完全に包囲されているー! 大人しく降りてこい!』


 拡声器を使って怪盗Hに投降を要請する一人の警官。口髭を蓄えた長身の威圧感ある男で、周囲の警察官の中でも一際その存在が目立っている。

 しかしながら、もちろん「はい分かりました」と簡単に降参する怪盗Hではない。


「申し訳ありませんが警部、私はまだ、捕まる気はありませんっ!」


 高らかにそう宣言すると同時に、警官たちの足下に小さな球状の何かがコロコロと転がっていく。警官たちはその何かに警戒し、距離を取ろうと後退りするが、神哉と彼杵はそれが一体何なのか知っていた。

 先ほど怪盗Hと遭遇した時から二度も使われた例の煙幕弾だ。ただ、神哉と彼杵が受けた時は怪盗H自ら地面に叩きつけることで煙を発していたのに対し、警官たちへのものは時限式らしい。

 唐突にプシューッと大量の白い煙が噴き出され、それが一個ではなく幾つもあることにより、美術館を覆うようにして蔓延していく。

 夜風が弱いこともあり、なかなか煙が晴れなかったが、一人の警官が空を指差して叫んだ。指差す先には一機のハンググライダーが宙に浮かんでいる。

 

「警部! 見てください空です! 怪盗Hが空から逃亡しています!」

「くっ……! 今すぐヤツを追えーー!」


 警部の声で一切にパトカーに飛び乗る警官たち。そのままサイレンを鳴らしながら、優雅に上空で風に乗る怪盗Hを追い始めた。

 一気に手薄になった美術館。神哉たちにとっては好都合極まりない。


「いつも通り、空から逃走みたいですね。警察がいなくなった今のうちに、私たちもとんずらしましょう!」

「……違う、あのハンググライダーはフェイクだ」

「へ? フェイク?」

「いくら屋上から飛んだとしても、こんな弱々しい風じゃ飛んだ位置より高くは上がらない」

「え、じゃあ、怪盗Hさんは今どこに……」

「相手の意識を上空に持っていって、手薄になった方から逃げるんだよ」

「……あ。もしかして地下ですか!?」

「さあどうだろうな。一番真反対の場所って言ったらそこになるし、可能性は高いんじゃないかな?」

 

 ミスディレクションと呼ばれるマジシャンがよく使う技術。観客の目線、意識、注意を別の場所に向けさせて、その隙にトリックのタネを仕込むというマジックをする上で必要不可欠と言ってもいいテクニックだ。

 それと同じで、怪盗Hは警察の意識をハンググライダーに向けることで意識の向いていない、まさに対極といってもいい地下から逃げ果せるのだろう。


「ま、それが分かったからどうってことはないんだけど」

『そうだぞ。さっさと帰ってこい、警官が戻ってくるやもしれん』

「了解ですっ! 私たちも今すぐ尻尾巻いて逃げ出しましょう!」


 彼杵は神哉の手を引いて、楽しそうに笑ってみせる。

 幸い、館内から出ていく際に凶壱と鉢合わせることはなかった。

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