『美術館侵入大作戦』

「……侵入成功ですね、神哉しんやくん」

「そうだな……。大人二人分ちゃんと金払ったんだから入場できて当たり前だけどな」


 市内の美術館。今まさに和人かずひとが他人の空似だと自分に言い聞かせた人物二人は神哉と彼杵そのぎの二人に間違いない。

 神哉の方はパーカーにジーパン、そこに深くキャップを被っている。彼杵に至っては真っ黒のつなぎ服にフードまで被って完全防備、顔バレなどしようものなら透視能力を疑うレベル。和人が見間違いだと考えるのも致し方ない。


『お前ら、そんな格好してたら逆に怪しいと思うんだがなぁ』


 神哉と彼杵、片耳ずつ装着しているBluetoothイヤホンから、椿つばきのため息交じりな声が鼓膜を震わせる。

 ネット依存症かつアルビノにより神哉とは違ってちゃんと外出嫌いな椿はスマートフォンの通話アプリで神哉宅から二人に指示を出す係だ。

 そう。何を隠そう、この美術館が怪盗Hが予告状を出した場所であり、今日この日の夜が予告の時間なのである。五島椿決死(とは言え快楽8割)のクラッキングで得た情報によれば、今日午後11時、この美術館で一番高額な絵画を盗み出すとのこと。

 そこで神哉たちが夜通し考えた作戦は至極簡単――警備員に見つからないように閉館後、怪盗Hが現れるまで館内に潜んでおくというものだ。

 いやはや実に単純明快、シンプルイズベスト。これ以上に怪盗Hを間近で観ることができる策はないだろう。


『怪盗Hとやらが現れたのち、警察は必ず監視カメラの映像、数週間の間の入館リスト、とにかくしらみ潰しに捜査を始める。そうなったらお前ら絶対第一に怪しまれるぞ』

「そうならないための師匠です。監視カメラ、上手いことやってくれてるんでしょ?」

『それはまあ、ちゃんとやってるけどなぁ』


 不安の拭えない声音の椿だが、万が一閉館後警備員に捕まったとしても「トイレに篭っていたら閉まってて出られなくなりました」とでも言えば、最悪なんとかなる。

 そも、椿に任せておけばクラッキングでデータ上の改竄はいくらでもできる。あとは怪盗Hを間近で見るという目的を達成したのちに、神哉と彼杵がどれだけひっそりと館内から抜け出せるかに懸かっているだろう。


「ツバキちゃんのサポートがあれば百人力です! お願いだからこないだみたいにイキスギ失神はやめてくださいね……?」

『わ、分かっとるわい! この程度のセキュリティでやっとる美術館なら、軽ーく愛撫されとるくらいだから大丈夫なのだっ!』

「そーですか! あんまよく分かんないけど、おなしゃすです!」


 椿の常人には理解不能な自信にも、彼杵は彼杵で相変わらずちゃらんぽらんに対応する。傍から見れば実に不毛極まり無い会話だ。

 神哉はそれに耐えかね、小さく手を叩いて自分に意識を向けさせると、告げる。


「それじゃあ、そろそろばらけるか」

「一時とは言え、神哉くんと離れ離れにならなければいけないなんて……! でも安心してくださいね、私たちほどの愛の強さならばどんなに引き裂かれようとも――」

「はいはい、いいから早よ行け」

「むぅ、神哉くんいけずやわぁ」


 彼杵はニヒヒッと嬉しそうに笑って、タタタッとトイレの方へと駆けていく。神哉もその後ろにのそのそ続く。

 時刻は閉館時間である17時まで残り15分ほど、ちょうど閉館の案内アナウンスが流れ始めた。

 普段部屋の中で細々と罪を犯してきた神哉にとって、こうして行動を起こすことは久々でワクワクが止まらない。彼杵への誕生日プレゼントなんて最早名目、自分が一番楽しんでいる自覚のある神哉であった。




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 そして閉館後。日が暮れると館内は一気に寒くなり、神哉は身震いしながら潜んでいた男子トイレの掃除用具入れから出てきた。

 切っていた椿との通話を再開させ、まずは彼杵との合流を目指す。がしかし彼杵は一足先に女子トイレから出てきていたようで、男子トイレの前で神哉を待っていた。


「悪い、待たせた」

「いいえ〜。我慢してジッと待つのもまた妻の務めですから!」

「馬鹿、大きい声出すなって……!」


 彼杵のボケに対して、控えめなボリュームで注意する神哉。まだ警備員の位置が把握できていないこの状況で、不用意に位置バレするような行いをするのはいただけない。

 普段本当に泥棒して稼いでいるのか疑わしい限りだ。彼杵は犯罪者として危うい場面が多々ある。まだ19歳とは言え、犯罪を生業にしているのであれば年齢など関係ない。


「いやー、ホント静かですねぇ。なんかナイトミュージアム観たくなってきました、帰りTSUTAYA寄りましょうか」

『彼杵ぃ、お前緊張感がないぞー。今はこの作戦に集中するんだ。ナイトミュージアムはわたしのAmazonプライムビデオで見せてやるから心配するな!』


 気を散らさぬよう椿が言うと、彼杵は「わーい」と年相応どころかそれ以下くらいの喜び方をする。

 それから二人は怪盗Hの予告している時間までの暇つぶしがてら、館内の展示物を鑑賞することにした。神哉も彼杵も、そして椿も芸術作品には人並みに疎く、大した盛り上がりは誰も予想していなかったが、夜の美術館に侵入しているという非日常感に煽られて、現地にいる二人は思ったより楽しめた。

 椿に関しては残念ながら絵画に興味もなければ、その場にもいないし、ビデオにしても暗くてよく分からなくて終始つまらなかった。決して現役女子中学生(不登校)だから芸術鑑賞という高尚な遊びが合わないということではないと信じたいところだ。


『おい、お前ら気を付けろ。外に覆面警官がわらわら集まってきてるぞ』


 神哉宅にて、クラッキングで館内の監視カメラの映像を盗み見ている椿が二人に忠告する。

 警察官が集まってきている――それはイコール椿がクラッキングして得た怪盗Hの予告状の情報は本当だったということでもある。


「マジですか、いよいよ怪盗Hに会える時がやってくるんですね。……なんか、急に動悸がしてきました」

「まあ、まだ怪盗Hの予告時刻まで1時間弱あるけどなー」


 神哉が一枚の絵画をぼーっと眺めながらそう呟いた時――。


「あのー、お客さん?」

「「……っ!?」」


 ――突然背後からかけられた声に、神哉と彼杵は同じタイミングでバッと勢いよく振り返る。そこには警備員服を着た小柄な男が立ち尽くしていた。

 気配は一切なかったのに……――神哉からは疑いの目が向けられたりしている彼杵だが、実際泥棒として日々盗みを働いていて人気ひとけを感じる、察する能力は人一倍高い方だと自負していた。それなのに、背後に近付いていたこの警備員に気付くことができず、多少のショックと男の気配の薄さに驚きを覚える。

 もしくはワザと消していたという可能性も無きにしも非ずんばだが。


「もう閉館からかなり時間経ってますけど、何されてるんですかぁw?」

「いやー、お恥ずかしい話二人とも腹壊してしまってトイレにこもっていたら閉館されちゃってて……」

「困りますよお客さーんw。トイレから離れられそうにないんだったら外のトイレに…………アレww?」


 警備員は困り口調ながらもヘラヘラ笑っている気味悪い雰囲気を醸し出していたが、神哉の顔を見た瞬間、何かに気付いたように首を傾げた。その次に彼杵の顔をまじまじと見つめてから、また笑った。


「神哉くんと彼杵ちゃんじゃんww!」

「「ふぇ?」」

「僕だよ僕ーw!」


 そう言って帽子を取り、自分の顔を指差す警備員の男。神哉と彼杵の二人は、微灯に照らされた男の顔をジッと見つめる。

 校則があったらギリギリアウトになってしまいそうな毛量の黒髪。これといって特徴がある顔でもなく、ちょっとだけ小柄な方。どこにでもいる普通の警備員感に溢れている。はっきり言ってしまえば、ほぼ特筆することもない“ザ・普通”の青年。

 何か、どこかで見たことあるような、そんな感じがしてならない。


「あ、あぁぁぁぁ! 思い出したぁぁ!!」

「……平戸ひらどさん」

「そう! 平戸凶壱きょういちだよw!」


 存在を思い出してもらえた凶壱は、嬉しそうにより一層ニコニコ笑顔を作る。常にニヤニヤしている彼にとって、わざわざ特筆すべきことでもないかもしれないが。笑顔から笑顔に表情を変化させた、なんて無駄な地の文が過去にあっただろうか。


『おい神哉? 大丈夫なのか、ソイツは一体何者だ?』

「平戸さん、どうして警備員の服を? つい最近出会った頃はホームレスで無職みたいなこと言ってませんでしたっけ?」


 神哉はイヤホンから聞こえてくる椿の警戒した声を聞き、凶壱へ“凶壱の情報”を織り交ぜながら質問する。こうすることで凶壱は神哉たちとつい最近出会った男、ホームレスの無職だという情報が椿にも渡った。

 それにしてもまったくもって神出鬼没な男だ。家具屋のベッドで眠っていたり、滅多に外に出ない神哉が珍しくコンビニに出かけた時に限って再会してしまったかと思えば、今度は警備員として遭遇ときた。

 犯罪者の生活に、一般人は欠かせない。一般的な生活をしている者がいるから、罪を犯して金を得ることができる。

 だがそれはあくまで間接的でないといけない。犯罪者と一般人が密接に交わり過ぎるのはタブー、身の破滅まで一直線に急加速は免れない。


「無職でいるのもそろそろキツくなってきたから、仕事しないとなーって思ってね〜w。それで今警備員のバイトやってんだーww」

「へぇ、そうなんですね……」

「なんというタイミングの悪さ、神様は不公平極まりないですぅ」

「ったくもーw、二人とも腹壊して館内から出られなくなるとか間抜けだなぁwww。警備員室から出られるからついて来てw」


 神哉の引き攣った顔も、彼杵が頭を抱えているのも全く気に留めず、凶壱は二人を手招き。これはもうついて行かざるを得ない。

 残念ながら、彼杵に誕生日プレゼントはあげられそうにない。だが誕生日プレゼントよりも今後の犯罪者生命の方が大事だ。閉館して抜け出せなくなったことにして何事もなくここを抜け出せるだけまだマシだと考える方が得だろう。

 神哉はそう納得したものの、当の彼杵は不服げな表情を隠せない。憧れの怪盗Hまであと一歩のところだっただけに、凶壱の存在を察知できなかった後悔が込み上げてくる。


「うぅ……。あと少しだったのに……」

「仕方ないさ。今は無事帰り着くことの方が重要だ」

「……はーい」


 渋々といった様子で項垂れる彼杵。悔しがっているのを凶壱に見られて怪しまれないか、神哉が内心ヒヤヒヤなことなど知る由もない。

 そのまま凶壱に連れられる形で館内を歩いていると。


「ん、あれぇw?」


 という声がして、凶壱の足が止まった。何事かと凶壱の視線の先を見てみると、そこには凶壱と同じ制服を着た警備員がいる。

 腰は曲がり、たくさんの髭を蓄えた年寄りの警備員――凶壱はそれを見て、はてなと首を傾げる。


「今日の担当は僕のはずなんだけどなぁ……w」

「すっごいおじいちゃんですし、間違えたんじゃないですか?」

「どうだろうw。少なくとも、僕はあんな人見たことないんだよねぇw。それもまあ当然っちゃ当然なんだけど」

「「え?」」


 そんな意味深な言葉を残して、凶壱はおじいさんにとたとた駆け寄っていった。


「こんばんはw!」

「え゛!? あ、あー、こんばんは」

「つかぬ事お伺いしますけどー、おじいさん今日の警備担当ですかww?」

「そうじゃよ? そういう君は一体誰なんだい?」

「今日の担当警備員ですw!」

「えぇ? それはワシじゃろぉ?」

「いやだからね? 今日は僕なのw。おじいちゃんはもう帰っていいからw」

「しかしのぉ、直接館長さんからお願いされとるんでなぁ。そっちこそ、今日はもう年寄りに任せて帰んなさい」

「いやそんないい年寄り感出されても困るんだけどさぁw」


 上手いこと全く噛み合っていない凶壱と老人の会話。遠目から聞き耳を立てる神哉と彼杵は、進まない会話と手持ち無沙汰に苛立ちを覚えてしまう。


「僕は自分の仕事を真っ当にこなしたいわけ? 分かるおじいちゃん? 今日の担当警備員は僕、おじいちゃんは館長に言われたかなんか知らないけど今日の担当じゃないのw! ウチの館はそこまで大きくないからコスト削減で警備員は一人、僕とおじいちゃんの共同警備とかないのよw。何なら今からシフト見に行くw? 絶対今日おじいちゃんじゃない――」

「――あぁーもう! 今日の警備員はこのおじいちゃんだったでしょ!? しつこいなぁホントに!」


 突然凶壱の言葉を遮って、警備員の老人が老人を捨てた。姿形はそのままなのだが、曲がっていた腰はすっくと立ち上がり、声音が明らかに若返ったのだ。

 流石の凶壱も驚きに身を引き、後退り。神哉と彼杵の元まで戻ってきた。


「ねぇヤバいw、なんかおじいちゃんがおじいちゃんじゃなくなったんたけどww」

「あ、あなたは!!」

「彼杵、この人と知り合いか?」

「何言ってるんですか神哉くん! この人が怪盗Hですよぉ!」


 彼杵は凶壱を追いかけてやって来た老人を指差し、興奮した様子でそう叫ぶ。

 すると、老人は何やら不敵な笑みを浮かべ。


「フッ、バレてしまっては仕方がない!」


 高らかに声を上げて、老人が何かを地面に叩きつけた。それがポンと音を立てて小さな破裂を起こすと、モクモク白い煙に老人が包まれる。

 やがて煙が晴れたその時、そこに老人の姿はもうなかった。

 代わりに、黒いシルクハットに黒いマント、黒い仮面を着けた全身黒ずくめの怪し過ぎる男――怪盗Hが悠然と立っていた。


『なぁ、次々と色んなヤツ登場し過ぎじゃないか? わたしのこと忘れてない?』


 ボソッとぼやく椿の声は、怪盗Hの登場のインパクトに呆気に取られてしまった神哉と彼杵の耳には届かなかった。

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