『ンッ、あぁっダメ、イッひゃうゥゥ〜♡』

 その後、彼杵そのぎ沙耶さやの二人は神哉しんやに連れられて街にまでやって来た。

 基本的に引きこもりの神哉が自分から外に出ようと提案したことにまず二人は驚いたわけなのだが、それよりも神哉の言った「俺の師匠のところへ」という言葉が気にかかる。


「ねぇ神哉くん。どこに向かってるの?」


 何も言わずただただ突き進む神哉に、耐えられなくなった彼杵が問う。すると神哉は振り返り、無表情で答えた。


ってのをはっきりと明言しちゃいけない決まりだから、悪いけど言えない。でももう少し歩いたら着くから」

「そ、そうですか……」


 真面目な顔でそう言われては、もう何も言い返せない。彼杵と沙耶はただただ神哉の背中を追いかける。

 多くの人々が行き交う道路から路地裏に入り、その路地裏からさらに入り組んだビルとビルの間に入り込んでいく。

 表通りの活気溢れるワイワイ賑やかな雰囲気はすでにもうない。次第に日光も届かなくなるほど奥の奥にまでやってくると、物静かで奥深い闇に包み込まれていくように感じる。女性陣二人の不安は、余計に募るばかりだ。

 とその時、神哉の足がいきなり止まった。続いていた彼杵は神哉に、沙耶は彼杵にぶつかってしまう。


「着いた」

「こ、ここですか」


 神哉が見つめるその先にあるのは、暗く静謐な裏通りにあるひとつの店。チョークで書くタイプの黒板型看板に『盗れない情報ひみつありません』と書かれて置いてある。


「うん、ここ。俺の師匠が引き篭もってる場所なんだ」

「え、お師匠さんも引き篭もりなんですか」

「というか出られないの方が正しいかな。ネット環境がないと発作が出てぶっ倒れるから」

「ネット依存症の中でもかなり末期なのね」


 可哀想にと、哀れみの言葉にしては感情がついてきていない沙耶。

 しかし神哉は大して気にすることもなく、分厚く重厚感ある鉄製の扉に手をかけて、ゆっくりと押し開け――。


 ――そこはまさに、殺風景という言葉を具現化したような部屋だった。

 8畳ほどの部屋の奥に置かれたデスク、その上にモニターが二台設置されていて、それ以外には本当に何もない。

 窓もなく、外の明かりが入る余地は当然ない。それなのに部屋の照明を点けることはせず、モニターのぼわぁっとした光だけが唯一の救い。キッチンは一切使われた形跡がなく大量の埃を被っていて、ソファと毛布があることによりかろうじて人が住んでいることが理解できる。

 そしてそんな生活感ゼロの部屋で、一人モニターの前でキーボードを淡々と叩く人――少女がいた。


「あの人が神哉くんのお師匠さん?」

「あぁ、そうだ。……久しぶり、師匠」


 神哉の声に、そこに座る少女がクルリと椅子を回してこちらを向き。


「おう! 久しぶりだな、神哉!」


 透き通るような純白の髪と肌、そして赤い眼。小柄なその姿も相まって、その少女はさながら妖精のようだった。

 しかしながら残念なことに、その綺麗な白い髪はボサボサに伸びまくっており寝癖だらけ、前髪だけ乱雑に留められていて、せっかくの美しい外観が損なわれてしまっている。


「そうだ聞け神哉! お前と会っていないこの二年間で、わたしはついに初潮を迎えたぞ!」

「おぉ、おめでとう。赤飯買って来ましょうか?」

「いい。赤飯嫌いだから!」


 さらには話す内容、言葉遣いもその見た目を損なう要因になっていると言える。

 次いで少女はチラリと神哉の後ろに目を向ける。そこに立ち尽くす彼杵と沙耶を見て、口を開いた。


「そこの二人、どちらも犯罪者か?」

「もちろんですよ。アウトロー以外を連れて来たらまずいでしょ?」


 フレームレスの丸メガネの奥の爛々としている赤い目が神哉たちを愉快げに見つめている。特に彼杵と沙耶を見つめる目は嬉々の一言以外に言葉が見つからない。


「紹介します。泥棒のあづま彼杵そのぎ、でこっちはぼったくりキャバクラでキャバ嬢やってる諫早いさはや沙耶さや

「よろしくお願いしまーす」

「……よろしく」

「うん、わたしは五島ごとう椿つばき。よろしくな!」


 無警戒な彼杵は椿の出した手を握り返すが、警戒心剥き出しの沙耶はジッと観察するように椿を見つめるだけ。

 一般人社会人としては、彼杵のように初対面の人の好意的な態度には好意的に返すのが普遍的だ。しかしながら犯罪者としての立ち振る舞いで言えば、沙耶が正しい。常に警戒を怠らないのがプロの犯罪者、犯罪を生業とする者の宿命でもある。

 そして椿は沙耶のその警戒した様子を見て、何故かより一層口角を上げた。


「そう怖い目をするな。滅多に人と関わらないわたしにその目はキツいよ」

「……あなた、歳はいくつ? そうとう若いみたいだけど」

「あ、やっぱり若いですよね? 話し方とか雰囲気で勘違いしそうになっちゃいましたけど、結構子供ですよね」

「な、何を言う! わたしは十四歳だぞ! じゅーぶん大人だもん!」

「じゅ、十四!? 中学生ガキンチョじゃない!!」

「神哉くん、もしやロリコン……?」


 師弟合わせてヒドい言われようだ。




 CcCcCcCcCcCcCcCcCcCcCcCcC




 五島ごとう椿つばき、十四歳。神哉の師匠にして、現役女子中学生。なお入学式以降一度も登校していない。

 重度のネット依存症であり、Wi-Fi環境を奪えば一時間で殺すことができるとのこと(本人談)。椿曰く、小学生の頃からパソコンに触れてきた結果らしい。

 髪や肌が雪のように白く、目が真っ赤なのは先天性白皮症――アルビノによるものだ。その影響で視力も悪く、光に弱い。部屋に窓がなく照明も点けていないのはそれが理由だ。

 そしてそんな椿は、主にを生業としている。不正かつ違法なコンピュータの使用による商売ゆえに、もちろん犯罪者である。

 とある事情でここを訪れた神哉は椿の技術を見て、七つも歳下の彼女に教えを乞うた。時期で言うと、まだ大学に入りたての架空請求業者となる前のことだ。


「それで? 今日は一体何の用があってここに来たんだ? わたしと五十歩百歩な引きこもりのお前がわざわざここまで来るなんて、理由なしには考えられん」

「うん、今日は師匠に調べてほしいことがあってきました。仕事の依頼です」

「へぇ、報酬は?」


 椿の問いに対して、神哉は人差し指と中指と薬指の合計三本を上げて言った。


「三十万円でどうですか?」

「お前、まさかわたしがそんな端金はしたがねで動くとは思ってないだろうな?」

「えぇ。ですから師匠でも難しいかもしれない面白味ある案件を用意しているつもりです。今回はその面白さと師弟のよしみで、どうかお願いしたい」


 ハッカーだったりクラッカーだったり、呼び方はいくつかあるが、椿自身はそこには大して重きを置いていない。

 椿がこの仕事において大事にしているのは、成功報酬とそして何より仕事の面白さだ。

 難しい仕事ほど熱く燃え、簡単過ぎると気持ちが乗らない――それが業界で知らない者はいない天才ハッカー、五島椿という少女なのである。


「……何をしてほしい?」

「警視庁のデータベース、そこから怪盗Hの狙っている美術館を見つけてもらいたい」

「ほっほぉ〜。それはなかなか、確かに面白そうだなぁ」


 顎に手を当て、ニヒヒッと悪戯っ子のような無邪気な笑い声をあげる椿。目を瞑って仕事を受けるか受けないか考え込む。

 やがてゆっくりと瞼を開き、ぴょんと椅子から立ち上がった。ペタペタという椿の裸足で歩く音が神哉の前で止まる。


「よし、いいだろう。その仕事引き受けてやる!」

「ありがとう。本当に助かります」

「あ、あの……お話は終わりましたか?」

「あぁ、師匠が協力してくれる。あとは全部任せるしかない」

「……ちょっと待って神哉。あたしまだ信じ切れないんだけど。ホントにこの子がハッキングできるの?」


 と、沙耶はまだ椿に対して疑念を払えないようだ。訝しげな目がそれを物語っている。

 だが心配するのも当然だ。今からハッキングしようとしているのは警察の極秘情報、それを盗み見るのだから犯罪者として多くの危険が伴うことになる。逆探知でもされてしまえば、犯罪者生命は終わりと考えていいだろう。

 沙耶からの視線に、椿はやれやれといった調子で両手を挙げた。


「うーん。信用ならんという顔だな。よし、なら一度見せてやろう」


 そう言うと、椿は再度椅子に座ってパソコン画面に向き直る。メガネをぐいっと押し上げて、指をグーパーさせたり骨を鳴らしたりしてから、スッとキーボードの上に両手を設置。

 次の瞬間、椿の指先が尋常じゃない早さでタイピングを始めた。と同時にモニターには一般人には到底理解できない文字列や数列が羅列されていく。神哉もそこそこにタイピングは早いほうだが、椿のこのスピードには敵わない。

 椿の指先はキーボード上を蝶のように美しく舞い、見る者を魅了していく。タイピングの音が不思議と心地の良い音楽のようにも聞こえてくる。

 彼杵は大して疑ってもいなかったようだったが、実際に目の当たりにして開いた口が塞がっていない。沙耶もこれを見てようやく信じる気になったのか、少しの間硬直していたのちに椿へ近寄る。


「本当、みたいね。ごめんねあんなに疑っちゃって――」

「――はぁっ、はぁっ、ハァッ! キタ来たきったぁぁん! 超ッ、濡れてきたぁぁぁ♡」

「「は?」」


 沙耶の謝罪を遮るようにして、椿が突然嬌声を上げた。火照りほんのり赤くなっている頬、だらしない半開きの口、とろんとした目、まさにそれは恍惚の表情だ。

 当然ながら、彼杵と沙耶は意味が分からず椿から距離を取り、神哉へ問いかける。


「ちょ、何なんですかこの子。いきなり何言ってるんですか?」

「いいか二人とも。これは仕方のないことなんだ。気にしたら負けだ」

「いや気にするわよ! なんでパソコンカタカタしだしたら濡れるわけ!?」


 やけに冷静な神哉(いつものこと)に、沙耶は胸ぐらを掴んで詰め寄る。

 神哉は説明するのが面倒だと言わんばかりにため息を吐き、椿を指差して口を開く。


「師匠は、ちょっとしたクセがある」

「クセ……?」

「あぁ。クラッキングすることにとてつもない快楽を覚えているんだ……」

「ヤバい、ヤバイヤバイッ! んぁあ、ンッ♡! キモチイイっ、んにゃぁアっ♡!」

「「ワケが分からない……」」


 俺も全くの同感です――そう言いたい神哉だったが、そこは師弟関係、師匠の悪口は言葉にはしない。彼杵と沙耶はしっかりとドン引いているが。

 しかし腕は確かなのだ。淫語を叫び散らかしてはいるけれども、指先は一切止まらない。常に動き続けている。


「ぁああンッ! もう、りゃめっ♡ イクッ♡ イクイギュッ! イッちゃうぅぅぅ!!!」


 そう叫んだ十四歳は、ぐったりとキーボードに倒れ込んだ。

 部屋に流れる沈黙、それは作られた静寂。時折り「アッ、あぁ……♡」と余韻で気持ち良くなっている椿の声が漏れているだけ。


「え、ちょっと待ってくださいこれホントにイッてるんですか!?」

「うん、多分。聞いたことないから知らないけど」


 彼杵の驚愕といった声に、神哉は曖昧に返事をする。弟子の神哉としては二人の引き顔が非常にいたたまれない。


「いろいろ分かったぞ」

「うわ……っ!?」

「諫早沙耶。キャバ嬢、ぼったくり専門。実は超絶マゾヒストでこの女のネット履歴からはM女専用エロ動画サイトの閲覧が一番多い。スリーサイズは上から86、65、92。ふむ、お尻が大きいことに悩んでいるな。小尻効果のあるまとめサイトの閲覧も多いぞ。しかし一方でその大きい尻を自慢に出会い系アプリの自己紹介文にも書いているな。なになに? 『あたしの大きいお尻でアレコレしてほしい人はこの指止ーまれ! 気軽に連絡ください!』。そんなに男に飢えているのか、ちなみに今いくつだ? えーと、二十……」

「わぁーーーー! やめてやめて! 分かったから! あなたの腕が確かなのは分かったからぁ! 凄腕なのは分かったからぁぁぁ……」


 泣き崩れる沙耶。その顔は恥ずかしさのあまり真っ赤だ。見ていられなくなった彼杵は、あたふたしながらフォローしようとするが。


「さ、サヤ姉は、攻めより受けだったんですね……!」

「うっ、うぁぁ〜! うわぁぁぁん!」


 的外れ過ぎるその下手くそなフォロー。十九歳の若者彼杵に優しく背中をさすられて、沙耶はおいおい余計に涙を流した。


「はっはっはっー! わたしの凄さ、思い知ったかぁ! …………ん、これは。……ッ!?」

「師匠、どうかしました?」


 ドヤ顔で胸を張る椿が、突然モニターに映る何かを見て絶句した。神哉は首を傾げて問いかけると。


「神哉お前、に近付かれたな……」

「とんでもない? サヤ姉のことだったら、少し勘弁してやってください。見ての通りガラスのハートだから」

「あぁ、そうか。それが本当ならいいな」

「え?」

「いや何でもない。さて、本仕事に移ろうかな!」


 そんな風に含みを持たせる言い方をする椿の沙耶を見つめる目は、何故かに満ち満ちていた。

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