『ドM道』

 二月上旬。和人かずひとは現在ターゲットにしている女性とのデートを終えて、久々に神哉しんやの家を目指していた。

 日も暮れかかっており、これから神哉宅に行けばちょうど夕飯時に重なるはず。何か酒でも買って行こうかと、和人は思案する。

 ふと、視線の先に見たことのある後ろ姿があることに気付いた。長い金髪とすらっとしたモデル体型から溢れ出るフェロモンに、周囲を歩く男たちは二度見チラ見を我慢できていない。


沙耶さや

「ん、あぁ。なんだアンタか」

「なんだってなんだよ。こないだの集まり以来だってのに、冷たいなぁ」


 和人が呼ぶと、沙耶はつまらなそうな顔をする。振り返って損したとでも言いたげだ。

 気怠そうにため息を吐いて、沙耶が問う。

 

「もしかしなくても今から神哉の家行くのよね?」

「当たり前だろ? ほぼ自宅も同然だぞあの家」

「美味しいご飯タダで食べられるしね」

「そうそう! アイツん家行くようになったの最初はそれが理由だもん。顔はいつも無愛想でワンパターンだけど、料理だけは表情豊かなんだよなー」

「ふっ。奇遇ね、初めて意見があったわ」


 普段冷静で感情の起伏が少ない神哉でも、多少なりとも傷付きそうな会話だが、幸か不幸か本人には届かない。ちなみに神哉は今、夕食のカレー作りに没頭中だ。


「そういう沙耶は今から仕事?」

「ううん、アタシも神哉の家行くつもり。仕事は諸事情あって今日店休みなの」

「ふーん……」


 諸事情とやらが一体何なのか気になるところではあるが、あまり深入りするのも怖い。黒服のいかつい男たちに囲まれるのは困る。なので和人はそれ以上は何も聞かないことにした。


「オレ、酒買っていこうかと思ってんだけど、一緒に買いに行かね?」

「アタシ出さないけど?」

「と、言いつつも結局割り勘してくれんだろサヤ姉さん?」

「カズにだけは姉さん呼ばわりされたくない。気持ち悪い」

「ひでぇな〜。オレだって歳的には神哉たちとあんま変わんねぇんだぞ。お前と違ってまだアラサーじゃねぇし」

「もういい、絶対出さない」

「あー、ごめんってごめんって! 冗談だよ! いい歳なんだから拗ねんな……ッ!?」


 沙耶の拳が和人の腹にクリーンヒットし、和人は腹を抑えてその場にうずくまる。

 しかし、沙耶はそんなことお構いなし。さっさか歩みを再開させた。


「ほら。お金出して欲しかったら早く立って」

「クッソ、普通に痛え……。金的じゃなかっただけマシか……」


 まだ結婚詐欺を始める前のヒモ時代を思い返し、幾多の女から玉を潰されそうになった記憶が蘇る。

 今日こそ仕事を見つけてくると言って見つけられず玉を蹴られたり、仕事が見つかったと嘘をついて玉を蹴られたり、財布からお金盗ったことがバレて玉を蹴られたり……。思い出すだけで身の毛もよだつ。


「……でも、今のなんかちょっと気持ち良い、かも?」

「カズ? 何やってんのよ早く行きましょ」

「あ、おう」


 ドMでもない限り腹パンや金的で感じる輩なんていないと思っていた和人だったが、この日が、自分が新たな境地に達するキッカケになる日だということに、まだ気付くはずもないのだった。




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 その後、最寄りのスーパーまでやって来た和人と沙耶。お酒コーナーの前で、二人はどれを買うか品定めタイムに入っていた。


「こないだ持ってったのはシャンパンだし、その前には日本酒持ってったからなぁ」

「じゃあビールにする? あ、でもアタシとしては久々にこの辺の缶チューハイ飲みたいかな」

「うん。オレもどっちかで悩んでるんだよね」


 いつも通販サイトか酒屋でお酒を購入している和人にとって、スーパーの品揃えはお世辞にも豊富とは呼べない。缶ビールや缶チューハイ、片手の指で数えられる程度の日本酒やワインが置いてあるだけで、大して魅力を感じるものが見当たらない。

 しかし、だからこそここは王道に一度戻って、ビールにしておくべきかとも思わせられるのだ。

 和人はアサヒビールの6缶パックを手に取り、ジッと見つめる。若い頃(と言っても三、四年前だが)ビールを美味いと思える舌になるまで飲んでやると息巻いて、ゲボゲボ吐きまくった記憶がじんわり蘇ってくる。


「ねぇ、ビールにすんの? アタシ“ほろ◯い”のこの飲んだことない味試してみたいんだけど」

「あ、あー。じゃあそれも買うか」

「奢ってくれるんだありがといつか返すねー」

「まだ何も言ってないけどな。あとそれ永遠に帰ってこないやつな」


 しかしながら、沙耶の指差す缶チューハイも確かに興味がそそられる。多くの種類があり、和人も期間限定が出るたびに買うようにしていた。

「“ほ◯よい”はジュースだ」なんてほざくヤツもいるが、ぶっちゃけ和人はそれ一本でそこそこ酔いが回る。

 お酒好きなのにお酒に弱いという悲しい性に毎晩泣いている、わけでもない和人が沙耶から缶チューハイのパックを受け取り、近くにあったカゴに入れる。


「ツマミは……いいか。神哉が作ってくれるだろうし」

「そうね。……なんか神哉、このままいくとそのうち酒造し始めそうだわ」

「どうだろうなぁ。アイツ酒自体にそこまで興味ないからな」


 と、否定の仕方が少しだけ的外れな和人。神哉が酒造りの製法を知らない可能性が高いのに、神哉なら酒ぐらい造れるだろうという前提の元で話が進んでしまっている。

 だがしかし、そんな会話されているなんてもちろん知る由もない神哉はその頃、カレーの隠し味にインスタントコーヒーを入れていた。




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「最近仕事はどうなの? 順調?」


 晩酌用のお酒を調達し、ようやく神哉宅へ足を向けた二人。沙耶は何気なく和人へ質問してみた。

 お互い気兼ねなく話をする関係ではあるのだが、仕事の話はあまりしたことがなかった。


「うーん。まあ順調っちゃ順調かな。このままいけば普通に数百万は騙し取れそうだし」

「その子からしたら堪ったもんじゃないでしょうね。男に逃げられるわ金は無くなるわのダブルパンチで」

「騙し取った後のことなんて考えてちゃ、この仕事出来ねえよ。オレに限らず沙耶だって、法律守んないで金稼いでるヤツなんてみんなそうだろ」


 和人の言う通り、仕事なんて言い方はしているが、結局それは法を逸する行為、犯罪だ。

 犯罪を生業としていく上で何よりも大切なのは、捕まらないことや犯罪者であることをバレないようにすることなどではなく、自分によって被害を受けた人間のことを考えないということだろう。

 いちいち罪悪感に苛まされていてはやっていけない。

 逆にやっていけている自分たちは犯罪者が板についているのだろうなと、沙耶は思った。


「あ、そういやさ。こないだ立てこもり事件あったじゃん」

「家具店に強盗が入ったっていうアレ?」

「うんそうそう。俺その日ちょうどそこにいたんだよね」

「え、人質だったの?」

「いや、強盗団の一人とオレの今の彼女がぶつかっちゃって、んで気付いたからオレはそそくさ逃げた」

「なんだ。人質じゃないんだ」

「なんでそんなに残念そうなの……?」


 そのまま撃ち殺されとけば良かったのに――とはさすがに冗談でも言えない優しい沙耶であった。

 そうして何気ない会話を交わしていると、やがて神哉の家がある高級住宅街にまでやって来た。

 ここまで来ればあと一分足らずで神哉宅へたどり着く。


「ねぇ、カズ……」

「んー?」

「アタシのこと抱いたのって、カズにとって――」

「し……っ!」


 沙耶の言葉を遮り、口元で人差し指を立てる和人。建物の陰に隠れ、そこからソッと顔を出してどこかを凝視し始めた。

 沙耶も同じように身を隠し、和人の視線の先を追う。そこは神哉の家の玄関で、ニタニタ笑顔の小柄な青年と疲れ果てた顔をしている神哉がいた。


「いやー悪いねぇご馳走になっちゃってw! すっごく美味しかったよw」

「そりゃ良かったです……」

「うん、それじゃあ、また来るねw!」

「は!?」

「バイバーイ!」


 耳を澄ませると、そんな会話が聞こえてきた。声のボリュームが滅多に換気扇が回る音を上回らない神哉が、ここまで聞こえてくるほどの驚きの声も上げている。

 ニタニタ笑顔の青年が遠くなり、神哉がドアを閉めたところで、二人は物陰から出た。

 小さくなった青年の背中を睨み、和人が呟く。


「……誰だアレ、暗くてよく見えなかった」

「神哉の友達かもね」

「冗談よせよ。神哉のあの感じ見たらわかるだろ?」

「えぇ。まあ」


 神哉宅をたまり場とする結婚詐欺師とぼったくりキャバ嬢は一瞬で察知したのだ――アレは異常事態だと。


「何があったかは知んねぇけど、今日は行くのやめとくか。神哉疲れた顔してたし」

「そうね。いっつもお邪魔してて申し訳ないしね」


 と、二人していきなり謎の優しさを見せ出した。だけどもちろんそんな優しさを神哉は知る由も(以下略)。

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