『もし縛られるようなことがあったら、真似しよう』

 家具店にて発生した強盗事件――不運なことに、神哉しんや彼杵そのぎはその人質の内に入ってしまった。強盗団である可能性があると見抜いていた神哉も、さすがに自身が強盗事件の人質になった経験はない。もちろんそれは彼杵も同じで、神哉の隣で手足を縛られカタカタ小刻みに震えている。

 だが神哉としては人質になってしまったという恐怖よりも、人質になってしまったことで事件解決後、または人質の解放後、確実に警察からの事情聴取があるという不安の方が恐怖を上回っていた。

 

「しゃぁ〜! ビルのデータベースにハッキング成功!」


 店内中央、ずっとノートパソコンのキーボードを叩いていた眼鏡の男がガッツポーズし、声を大にして言った。

 それを見て大きな革製のソファにどっかりと腰掛けているリーダー格の髭面の男が、ニヤリと口の端を吊り上げる。


「よぉし、よくやった。監視カメラの映像を見せろ」

「監視カメラっすね。りょーかい」


 言って、眼鏡の男はカタカタとキーボードを叩く。するとまた別の男がそのパソコンの画面を後ろから覗き、リーダーを呼んだ。


「ボス、サツが駐車場にぞろぞろ集まってますよ」

「よし、店内のスピーカーをつなげ。サツに交渉の時間だ」


 リーダーの男はニンマリと嫌な笑いを浮かべる。そしてパソコンに繋げたマイクに向かって語り始めた。


「あーあー。聞こえているかー警察諸君。俺は強盗グループのひとりだ。さっそくだが俺たちの要求を言う。一つ目、六億円。現金で用意しろ。二つ目、屋上にヘリを一台持って来い。以上だ。時間制限は設けない。俺たちはいつまででも立て篭もってやる。食料は一応用意しているが、無くなりゃこの人質の生肉を食って生きてやるよ」


 そこまで言って、リーダーの男はぽいっとマイクを投げ捨て、放送を切った。

 強盗をしている、という緊張感は彼らの表情からは微塵も感じられない。アドレナリンが出ているのか、おそらく異常な興奮状態にあるのだろう。

 下手に何か行動を起こすのは危ないな――神哉は手首を縛っている縄からこっそりと抜け出しつつ、そう感じた。


「おっ、すごいねw。ギチギチに縛られてたみたいなのに、するっと抜けるなんてww」

「縛られる時に両手首の内側を上に向けとけば、後から手のひらを合わせると隙間が…………え?」


 本当に唐突にだった。全く違和感がなくて、まるで日常会話のようだったせいで、神哉は一瞬反応が遅れてしまった。

 神哉と彼杵の二人が背を預けているキングベッドの下、そこから声が聞こえてきたのだ。


「は……!?」

「ちょ、あなた何してるんですか……っ!?」


 強盗たちにバレないようそっと後方に視線を移すと、そこにはベッドの下でニタニタと場にそぐわない表情をしている青年がいた。

 校則があったらギリギリアウトになってしまいそうな毛量の黒髪で、これといって特徴がある顔でもなく、キングサイズとは言えベッド下に身を隠せるほどには小柄だ。はっきり言ってしまえば、ほぼ特筆することもない“ザ・普通”の青年なのである。

 囁き声でその存在に驚きを表す二人に、青年は状況が理解出来ていないのではないかと思わせるほど柔和な笑みを浮かべ、口を開く。


「いや〜、僕実はホームレスの無職だもんで、夜シャッター降ろした後にね、よくこのベッドで眠らさせてもらってるんだ〜w」

「は、はあ……」

「いやはやでも驚いたよねぇww。まさか強盗に遭うなんてw。寝場所にしてる家具屋さんいつも転々としてるんだけどさ、今日のこのお店に限って強盗とは……w、僕も運が悪いw。あ、でも僕縛られてないから不幸中の幸いってヤツかぁw。いやそれを言えば君も今や縛られてないわけだし、不幸中の幸いは君だけじゃないねwww! 僕と君は仲間ってわけだ、仲良くしようw!」


 そんな風にベラベラと意味のないことを喋りまくる青年。

 いくら強盗に見つかっていなくて縛られていないとは言え、何故ここまで余裕があるのだろうか――神哉は青年の様子が不思議でならなかった。


「あの、とりあえずこの縄解いてくださいっ! で、タイミング見計らって逃げましょう!」


 ベラベラ喋る青年にしびれを切らした彼杵は後ろで縛られた腕を小さく揺らして青年に縄を解くよう言う。

 が、しかし。


「えー、でもそれ僕に不利益でしかなくないw?」

「は?」

「君たちの縄解いてるの見つかったら確実に僕殺されちゃうじゃんw! 例え縄解いて逃げるとしても、一人ならまだしも三人ともなるとすぐバレちゃうだろうし、それに僕人助けなんてする柄じゃないしーw」


 何が可笑しいのか分からないが、青年はケラケラと笑い声をあげる。

 常識の欠けた、状況の読めない人間のように見えて、強盗たちにバレないようちゃんと笑い声を抑えている。


「な、縄を解くくらい良いじゃないですか!? 絶対あなたには迷惑かけないように逃げますから!」

「君、知ってるかいw? この世に絶対ってないんだぜww? 安心しなってw。そのうち警察が金持ってくるか、もしくは突入してくるかすれば君たちも助かるはずだよw。うん、いやホントはね、もちろん僕だって助けてあげたいよww? 君たちの不運にも同情するしさw。だけどー、僕にとって不利益極まり無い条件で、しかも見返りとか報酬もないわけじゃんw? そこが納得いかないっていうか世の中の常識的なところから外れてるっていうかw……やっぱり世の中人情だけじゃ食べていけないからさw、それ相応の報酬対価があっての持ちつ持たれつなわけでしょww? だから迷惑はかけないなんて言ってるけど、この状況で僕に縄解いてくれ助けてくれとか言ってる時点で僕って迷惑してるんだよねww。それって、君矛盾したことしてることになるよねw。だって迷惑かけないって言ってるのに僕は今迷惑してるんだからw!」


 と、ベラベラベラベラ饒舌な青年の言葉を聞き、彼杵の頭の上にはハテナが飛んでいる。

 あー、ダメだ。コイツにはこれ以上何言っても意味がない――そう悟った神哉は彼杵の横腹をつついて、耳元で囁く。


「もうやめとけ。話通じないタイプの人間だよこの人」

「あ、あぁ、そうっぽいですね。にしても横腹つつくは耳元で囁くは……神哉くんこの状況で私のこと誘ってます?」

「お前意外と余裕あるな」


 さっきまでカタカタ震えてたはずなのに、いつの間にやら普段の彼杵がまとっているゆるい雰囲気が戻ってきていた。ベッド下のホームレスと話をしたことで少しは気が紛れたのかもしれない。

 いつも通りの彼杵に戻ってくれて、神哉は少しだけ安心した。彼杵のことを心配していたからでもあるが、日常的におちゃらけていた人間が怯えて震えている様子を見て、少なからず神哉もこの状況に緊張感、恐怖心があったのだ。

 だがこうして彼杵がいつもの調子を取り戻したことで、神哉も緊張が解け、そして恐怖心も忘れることができたのである。

 彼杵の緊張が解けたのも、元を辿れば厄介なことにこのホームレス青年のおかげでもあるわけなのだが。


「それじゃあ僕行くね! 元気でやれよっww!」

「あ、おい待てっ! 今行ったら――」


 そんな神哉の呼び止め虚しく、青年はベッドの下から飛び出した。

 当然、縄で縛られていない謎の青年の登場は、強盗たちの目を見開かせた。神哉と彼杵以外の人質たちも同じく驚いた顔で青年を見る。

 青年は小柄な体を生かし、家具の間をすり抜け跳び越え、強盗たちを翻弄していく。銃を向けられても臆することなく進むその姿は最早馬鹿なのか恐怖心が欠如しているかのどちらかだ。

 これなら本当に逃げ出せるのでは、と思わせる動きだ……がしかし、青年の足は止まってしまった。

 と言うか、髭面のリーダーが振り出した拳をモロに顔面に受け、止められてしまったと言う方が正しい。


「ナニモンだァコイツ。縄抜けしたわけじゃねぇだろ?」

「どこかに隠れてたんだ!」

「ちょこまか逃げやがって……完全にナメてんなオイ。なんとか言えよ!」

「どうします、ボス?」


 ひとりの男が後ろで右拳をヒラヒラさせているリーダーへ問う。リーダーはゆっくり青年に近付くと、髪を掴んで顔を上げる。


「ふっ。何の面白みも無さそうな、フッツーな顔してんなぁ。……お前ら、暇だろ? 好きにしろ」

「ひゃっほい! パソコン操作ばっかりでちょーど腕なまってたところなんだよなあ!」

「ぐっ、は……!」


 眼鏡の男の拳をモロに腹にもらったが、両腕を押さえられているせいで青年は悶えることも倒れることも出来ない。

 青年は苦しそうな声を上げるも、その暴力は止まらなかった。強盗たちは顔面、鳩尾、横腹、脚と身体中の隅々まで丁寧に殴りまくる。

 神哉と彼杵含む人質たちは強盗たちの粗暴な振る舞いに恐怖し、より一層身を強張らせた。神哉は思う――ここにギャーギャー泣き喚く子供ガキがいなくて良かったと。

 やがて青年の口から痛みによる声ではなく、血液ばかりが出るようになってようやく、青年は解放された。


「おいその辺にしとけ、そろそろソイツ死ぬぞ」

「ふぅ、良い気晴らしになった。あ〜りがっと、よっ!」


 最後に眼鏡の男が思い切り蹴りを入れると、小柄な青年はフローリングの上を滑るようにして神哉と彼杵の前まで転がってきた。

 痛々しい見た目に、彼杵の表情が引き攣る。リーダーが止めていなければ、本当に死んでいたのではないかと嫌でも思わさせられる。


「あんた、大丈夫か?」

「罰当たりましたねー」

「うーん……」


 神哉がコソッと青年に安否を確認するも、青年は呻くだけで何も答えない。はっきり言って見た目で無事か無事じゃないかは判別出来るような気もするが。

 そんな風に神哉が青年の容態を物案じていると。


「うん、君の言う通りだったね! これからは人助けしながら逃げるようにすることにするよw」

「は? ちょ、あんたそんないきなり体起こしたら……」

「いやいや大丈夫だよw。ほら、この通りピンピンしてるからww」


 そう言って、青年は立ち上がった。痣だらけだと言うのに、強盗たちがいなくなったわけでもないのに、堂々とニコニコしながら立ち上がった。

 あまりにも自然なその姿に、一瞬神哉も彼杵も自分たちが人質であることを忘れてしまった。遅れて、青年の愚行に気付くものの、時既に遅し。


「お、おいてめぇ何立ち上がってんだ!」


 巨漢の男が銃口を青年に向けて、のしのしと歩み寄って来る。しかしそれでも青年は笑顔を絶やさず、ただただ男がこちらに近付いてくるのを待つ。


「おいコラ聞いてんのか――っ!?」


 刹那、パァンという甲高い音が店内に響き渡る。

 もちろんそれは銃声なのだが、撃ったのは近付いてきた男ではなく、ニコニコした青年の方だった。

 逆に、男の方は撃ち抜かれた肩を抑えて地面に倒れ込んでいるのだ。

 神哉も彼杵も、青年が目にも留まらぬ速さで銃を奪ったのだということを理解するのに、少し時間がかかってしまった。


「おい! 大丈夫かしっかりしろ!」

「お前ぇぇ! ぶっ殺してやる!」

「撃て! もう殺しちまえ!!」

「動きも目線も単調だなあww。どこくるか丸分かりだよ〜w」


 青年が笑った次の瞬間、二人の男の持つ銃から数発の弾丸が彼目掛けて放たれる。がしかし、その弾が青年に直撃することはなかった。

 全ての銃弾を、青年は最小限の動きでかわして見せたのだ。当然、人間離れしたその動体視力と身のこなしに唖然とする強盗たち。


「神哉くん見ましたか。多分あの人、見聞色の覇気使えるんですよ」

「あー、うん?」


 彼杵のONE PIECEネタについていけない神哉は生返事をするしかなかった。弾を避けたこともそうだが、何よりもホームレスだと言う彼が何故ここまで銃の扱いに長けているのか、神哉はそっちの方が気になって仕方ない。

 その間に、青年は新たな動きを見せる。

 銃を奪った時のように素早い動きで二人の男に近付くと、鳩尾みぞおちを突き、苦しませる暇もなく先ほど奪った銃の引き金を引く。

 これで三人、後は店内中央のソファに座るリーダーとパソコンをイジるメガネの男のみ。

 残念ながらメガネの男は拳銃を所持していない。応戦しようにもなす術なくやられるしかない。その恐怖からか、メガネの男は腰を抜かしてしまい、取り乱したように叫ぶ。


「お前、何なんだよ!」

「何って言われてもなぁww。僕の名前は平戸ひらど凶壱きょういち、しがないホームレスだよーw。それとまあ、一応はさw? 君たちから攻撃喰らっとかないと、正当防衛にならないかもしれないじゃんw?」

「ぐぁっ……!?」


 青年、平戸凶壱はノールックで銃を撃つ。弾丸で掌に風穴の空いたリーダーの男は銃を落とし、その場にしゃがみ込む。

 

「後ろから隠れて撃とうなんてこっすいことするなよ〜ww。だからそんな痛い目見るんだ、ぜっw!」

「……ッ!!」


 トコトコとリーダーに歩み寄る最中、足元で凶壱に対して身震いするメガネの男。凶壱に思い切り顔面を蹴ったぐられ、鼻を押さえて声にならない苦痛の悲鳴を上げる。

 凶壱はメガネの男が持っていたノートパソコンを拾って両手で持つと、手を抑えて止血しようとしているリーダーの頭に叩き付けた。リーダーはうつ伏せで地面に倒れ、その上に跨るようにして立つ凶壱。


「さっきさあ、僕のこと殴れって命令したの君だよねぇwww? あれ痛くはなかったんだけど、実は結構頭に来てたんだよw」

「ち、違う! 俺は好きにしろって言っただけで――」

「言い訳は聞きたくありませーんw!」


 凶壱はニコニコと笑いながら、ノートパソコンでの殴打を続ける。


「僕の気が済むまで殴らせてもらうけど、僕はなぁんにも悪くないからねw? だって、君も僕をボコボコにするような言い方子分にしたんだもんねw!」

「ま、待って!」


 リーダーの声も虚しく、凶壱はノートパソコンを振りかぶり、叩き付ける。

 笑顔を貼り付けたまま、何度も何度も、ただひたすらに殴り続ける。

 次第にパソコンの方が持たなくなってくる。変形し、破片が飛び散り、リーダーの顔面にも複数箇所刺さっている。

 その時の彼の表情は、人に暴力を振るっているような顔ではなく、買ってきた新しいゲームを遊ぶ子供の無邪気な笑顔のようだった。


「おい、もうやめろ……! あんた人殺しになりたいのか」


 おそらく神哉が止めに入らなければ、凶壱の暴力が終わることはなく、強盗団のリーダーは死んでいた。

 そう思えるほどに、凶壱は加減をしていなかった。むしろ、本当に殺そうとしていたんじゃないかとさえ思える残酷さだ。

 

「あぁw! 本当だ助かったよww! 僕ひとつのことに集中すると他のことに意識がいかなくなっちゃうクセがあるんだよねw! いやー君のおかげで僕は人殺しの犯罪者にならずに済んだよ。ありがとうw」

「まあ、五人全員これでもかってくらい滅多打ちにされてたのを見ると、途中どっちが強盗かわかんなくなっちゃいそうでしたけどね」

「あははは。それは言い過ぎでしょ〜w」


 彼杵としては全く冗談のつもりではなかったのだが、凶壱にはそう捉えられてしまったようだ。

 その時だった。

 唐突に、仰向けになって倒れているリーダーが笑い出した。


「ふっ。ふふふふ、ははっ!」

「おっとーw? 殴り過ぎて頭おかしくなっちゃったかな?」

「いつから、俺たちが五人だと勘違いしているんだ?」

「はぁw?」


 意味が分からないといった様子の凶壱。

 だがしかし、神哉は何故リーダーが笑い出したのか瞬時に理解した。

 だからこそ、咄嗟にこう叫んだのだ。


「平戸さん! 五人じゃない! 六人目がいる!!」

「今だ! 撃ち殺せ!!」


 神哉の叫びとリーダーの指示はほぼ同じタイミング。ゆえに反応が早かった方の勝ちとも言えた。

 その点、銃弾を避けるという人並み外れた技を見せた凶壱の方が優っているだろう。

 事実、凶壱は六人目の位置を一瞬で把握すると、素早く姿勢を低くし、隠れていた強盗団六人目の放った弾丸を避ける。そしてその低い姿勢のまま猛スピードで六人目に駆け寄り、銃を奪い取った。


「隠れたところから狙い撃つなんて、危うく死ぬとこじゃあないかww! もし死んでたらどうしてくれるんだよ〜w」

「は、離せっ!」

「触んなよ犯罪者……w」


 凶壱は、今までと同じでニタニタした顔のまま、半笑いで、恐ろしく冷たい声音で言い放ち、同時に六人目にゼロ距離で銃を撃った。

 銃弾は肉体を貫通し、後ろのソファに風穴が空く。血飛沫が飛び、凶壱は返り血を浴びた。しかしそんなこと気に留める様子は全くなく、撃たれたことでふらふらと後退する六人目に向かって、凶壱はクルクルと回転を始めた。その速度はグングン上がっていき、高く上がった脚は六人目の男の顔面に直撃。華麗な回し蹴りが決まり、男は思いっきり吹っ飛んだ。


「あはは。痛そーw」


 他人事のように言って、凶壱は倒れる男を見下ろし、無邪気にケタケタと笑う。

 神哉と彼杵はその異常サイコパスっぷりに、絶句。強盗は全員倒れたというのに、新たな身の危険の存在に体を強張らせるのだった。


 そして彼との出会いが、神哉家をたまり場とする犯罪者たちを変えることになる――良い意味でも悪い意味でも。

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