第26話

その日はいつも以上にだるい身体を引きずって向かった都内。


向かった店のことごとくが潰れているのを確認しながらやっとのごとく営業を続けていた店を見つけて新製品を購入できてホッとしていた。


外はすっかりと暗くなり、ハーブを求めて歩き続けたことで重くなった足を引きずりながらどうにか駅前まで辿り着いた。


今では珍しくなった公衆電話の横で、歩行者保護用の柵に座り込んだ俺はボウッとこれからのことを考えていた。


家に帰ってやろうか? 


それともどこか適当な個室を借りてやろうか?


すぐ左にあるカラオケボックスの看板を見ながら悩んでいた。


時間にして20分。 


悶々と悩む馬鹿らしさと痛む足を休ませることを天秤にかけながら俺は帰ることを決断した。


このハーブが大外れだった場合を想定して安全な自宅を選んだのだ。 


ここ最近の経験を考えれば当然とも言えるのだが、それでも歩き出した俺はいまだ決めかねていた。


やはり少しだけやっていこう。 


そうだ、少しだけなら問題ないじゃないか。


振り返ろうとした矢先、ドゴッ!という鈍い音と高音の悲鳴と怒号が耳に入った。


最初はそれが何なのかわからなかった。 


だが集まる人々の切れ際と黒く大きなボディーとエンジンルームから立ち上る白い煙によって車が突っ込んでいたことにやっと気づいた。


事故だ! 思うと同時に野次馬も騒ぎ出している。


とっさに弾かれたように人々を掻き分けていく。


グシャリと潰れた公衆電話と巻き込まれたであろう人の足が見える。


いったい何キロで突っ込んだ? 


この場所は駅前で人通りも多く、道も狭いのでそんなに速度を出すはずが無い。


だがひしゃげた公衆電話と柵はとうてい常識的な速度だったとは思えない。


まるでブレーキとアクセルを踏み間違えたような…だが運転席でうつろな目をした運転者は自分と同じくらいの年齢に見えた。


何かの発作か? いやそれよりもあの姿はかつて見たことのあるような…。


「おい、大丈夫か!」


誰かが助手席から駆け寄る。 


俺も同じように無意識に続いた。


窓は割れていなかったが、車の中はよく見えた。

車内には一人しか居ない。 


声をかけても男の反応は無い。 気絶しているのだろうか?


そのわりには男の顔は恍惚としている。 


だがダラリと口元から垂れたよだれが薄気味悪い。


「おい!様子が変だぞ!」


隣にいた会社員が叫ぶ。 


そうだ、発作だったならもっと苦悶に満ちた顔をしているはず、気絶もしていない。


ならばいったい…! これは…。


窓越しに助手席に置かれた物に釘付けになった。


見慣れた形。 少し開いた窓の隙間から香る化学物質臭い香りが鼻につく。


これは先程俺が買ったばかりのハーブだ。 


こいつも俺と同じハーブ愛好者だったのか。


「誰か、救急車!」


ショックのあまりにほうけていた俺の耳に誰かの声が木霊する。


正気に戻った俺は慎重に後ずさりしながらその場を走り出した。


風俗街を抜け、ホテル街を抜け、走って走って…走り続けて、息が続かなくなったときになってやっと止まった時は隣の駅近くまで走っていた。


何度吸おうとも酸素は体内に吸収され、すぐに消費されて枯渇する。


呼吸が追いつかない。


何度もすることによってやっと落ち着いたところでビルの壁によりかかって、そのまま力尽きるように座りこんだ。


こんなことが…。 


ああそう考えれば…。 


なんで走りながらなんて…。


様々な思いが頭蓋に湧いてくる。 


しかし混乱が収まったところで一つのことに気づいた。


もう少しあそこで考え込んでいたら、あるいはほんの一秒早く戻っていたら……。


轢かれていたのは俺だったのだ。 


いやもしかしたら死んでいたかも。


除きこんだ運転席の向こう側に広がっていた血だまりを思い出す。


あの人は助かったんだろうか?


あんなに血が出ていて…もしかしたら…いや…。


久しく見ていなかった大量の血液と最悪の想像に頭がクラクラしてくる。


へたり込んだ俺の耳に遠くから救急車のサイレンが聞こえていた。

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