第13話
気がつくとすでに時刻は明日になっていた。
家に帰り着いたのが18時。
途中で買ってきた夕食を軽く食べ、少し休んでからハーブで一服してひと心地ついて時計を確認した時は20時だった。
そこからいつもと違う一工程をやったら気がつけばこの時間だ。
時計のデジタル表示は一日が始まってから二時間ほど立っている。
いつの間にこんなにたっていたんだ?
ハーブとは違う新しい感覚の凄さに圧倒されて暗い部屋の中でボウッと座り込んでいる。
今日、新しく開拓した店で買ったのはハーブを一つ。 そしてこれだ。
目線を向けるテーブルの上には小瓶が二つ転がっている。
一つは薄黄色の液体に半分満たされ、もう一瓶には透明で少しだけドロッとした液体が入っていた。
「ブースター無しでこれか…はは、ヤバイなこれは…」
極度の興奮が過ぎた後の自然(ナチュラル)な喜びに酔いしれる。
閉め忘れたカーテンの向こう側の月を見上げながら暗い部屋で一人呟く。
今日、俺が新しく開拓した店で購入した『リキッド』はその名の通り、ハーブではなく液体だ。
いままでのショップにはハーブしか置いていなかった。
オススメというポップを張られたこれを手にとって見ていると目敏い店員が声をかけてきたのだ。
「これはハーブとはまた違うもんですけど、いいもんですよ…うっかり飲み込まないように注意だけはしてくださいね」
「へ~、そうなんですか」
ああ、なるほどね、これはハーブのように燃やして焚くものではなく直接飲むものなのか。
言葉の裏を正確に認識し、やや顔色の悪い長髪の店員に向き直る。
「それで、うっかり飲んじゃったらどうなるんですか?」
俺がちゃんと理解していることに気づいた店員はニヤリと笑う。
だが不健康そうに痩せた男は慎重で、
「どうかな?飲んだことはわからないけどアゲアゲになっちゃうんじゃないのかな?」
とだけ答えた。
アゲアゲ? ハーブとはまた違うということか。 値段はハーブよりはやや高い。
それでも土砂の中に混じった金粒を探索するような物言いで質問を続けてみた結果、どうやら一瓶で二回分しかないらしい。
それを聞いて少し悩む。
ハーブ代やらここまで来るだけでも決して安くはない浪費をしているというのに効くのか効かないのかわからない代物を購入することに対して内心で逡巡する。
しかし次の店員の言葉を聞き、決心した。
「一緒にこのブースターも買えば相乗効果でより強い香りになりますよ」
香りというのはこの場合は効果だ。
店側としてはあくまでお香として売っているという建前なので間違って吸った場合や飲み込んでしまった際の効果をこういった方法で表現している。
そして大抵のハーブに手を出した結果、ややマンネリに陥っていた俺にリキッドという新しい『モノ』と『ブースター』による相乗効果という宣伝文句はまさしく期待を高ませてくれる魔法の言葉だった。
「それじゃこれとブースターも買います」
「毎度あり~」
元気よく答えた店員が俺に釣銭を渡そうとする時に思い出したように付け加えた。
「ああ、単体なら問題ないけどブースターも使うなら次の日が休みの時にしておいたほうがいいですよ」
経験上この手のアドバイスは聞いた方がいい。
今まで行ったショップの店員は直接的な説明が出来ないので購入した後にこうしたアドバイスを付け加えてくれることが多い。
いくら店側としてはお香を売っているだけなので『間違った使い方』をして文句やトラブルになってもうちは悪くないと言い張る為のアリバイ作りだとしてもそういったことが起こらないに越したことはないのだから、雑談の中にひょいとこういったことを言ってくれる。
ハーブの効果が唯一無二である以上は当然取り扱いも慎重にならなければならいことは当たり前なので俺も『教えてくれてありがとうございます』という意味を込めて、
「ああそうなんですか」
と素っ気無く返して店を出た。
それだけで十分だ。 ただの店員と客の間柄でしかないが、ある種の共犯関係にも近い間柄にはそれくらいで十分なのだから。
そういうわけで少し買いすぎたなと反省する思いすらぶっ飛ぶ程のリキッドの素晴らしさを十分味わい、やがて無事に着陸することが出来た俺は部屋の灯りをつけることなく布団にもぐりこむのだった。
本当はブースターとの相乗効果を楽しみたいところだったが、店員の忠告(いやいや雑談)を受け入れてもう寝るとしよう。
明日も仕事だ。
生きているとも死んでいるとも言えない苦役に邁進するために身体をゆっくりと休むのもまた奴隷として大切なスキルだろう。
おっとその前にあと一口だけハーブを吸っておこう。
快適な睡眠をするための努力も惜しまないことも哀れな奴隷には必要な常識なのだから。
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