第12話 旅人は目的地を探す旅を続けている4
ドアを抜けた先は、鮮やかな青と緑に支配された空間。色の境目がそのまま地平線だった。
遠くの高い丘に白いものがあって、よく見ると動いているのが分かる。
羊か山羊のような動物みたいだ。
頬を触れていく風が、気候の良さを教えてくれる。
「何の脈絡もない空間だな」
慣れない独り言を呟きつつ、なだらかな丘の斜面を上に進む。少しでも周りの状況を確認しようと思ったからだ。
「特に目立つ異常も特徴もない。牧歌的、と言うのかな。こういうのは」
登り詰めた先で、大きな木が足元に影を作っていた。僕はその根に腰を下ろす。
呼び出しておいて、なんのアクションもない。閉じ込めたいだけなのか。
風は相変わらず優しく吹いていて、まるでそれが自分の義務かの様だ。
そんなのは君の思い込みだよっと、こっそり教えたくなる。
義務。良き市民の義務、子供の義務、クラスメイトの義務。
権利と引き換えの対価。
昔は人権という言葉があったそうだ。
その言葉に僕が思うのは、個人を守る建前で生まれ、その実社会を守るルール。
今の社会ではそれが顕著だ。個人に与えられる権利が大きくなり、その分課せられた義務も大きくなった。
そんな事をぼんやりと考えていた。
「ごきげんよう」
僕の頭の中は真っ白になった。
「え?」
目の前にいきなり少女が現れたからだ。
「驚かせてしまったかしら?」
一瞬の空白の後、僕の思考は急加速を始める。
データ転送の予兆はなかった。
物理的に隠れる空間はこの場にはない。
空間の位相を変えていた?
こんなプレイヤーは聞いたこともない。
「誰だ?」
僕は目の前の彼女を観察しつつ、この領域の空間データにアクセスを試みる。データ量の変化、物体の構築データの解析を追いたかった。
エラー。アクセス制限、申請却下。
「君の構築した領域か」
僕の質問に彼女はクスクスと笑っている。
そこだけ切り取られたかの様な真っ黒な髪。
肩までの長さで、前髪だけ眉で切り揃えられている。肌の色は白、人形の様に整った顔。
集めても、何の意味も持たない情報だ。
瞳の色は濃い茶。服装は白いワンピース。
光沢のある白い糸で、足首の近くの裾に蝶の刺繍が施されている。
流行りのアバターではない事は確かだけど、実体通りで表れる訳もない。
「素敵な場所でしょ?何もないけど」
彼女は腰に両手を当て、座っている僕の目線まで顔を下げて聞く。まるで子供に対する仕草だ。
「僕の質問には答えないつもり?」
座ったまま、僕はその茶色の瞳を睨む。
「私が誰か、ここがどこか。そんな事に意味はないわ」
「では、どんな事に意味がある?」
「私と貴方がここに居て。言葉を交わせる。それが何よりも大事なのよ。何年待ったかしら。可笑しいわ、貴方も待っていた筈よ」
「僕も待っていた?」
空を見上げた。
青い空に白い雲が流れている。
他にあるのはやっぱり太陽のみだ。
僕が待っているものなんて、一つしかない。
でも、違和感が残るのは何故だろう。
右手が思わず宙を掴む。
カップを握る仕草。現状に全然適応出来ていないな、と思う。回らない思考は冷めたカフェオレが無いせいじゃないのに。
「貴方がいつも飲むのは、甘くないホットのカフェオレだったかしら。でも残念ながらここにはないわ」
そう言って彼女は僕の目の前に座る。
気付いた瞬間、場面が変わっていた。
無機質なコンクリートに囲まれて。
神経質そうな金属のテーブルを挟んでいる。
僕らの生体データを転送したのか、それとも領域全体を作り替えたのか。いずれにしても、また予兆すら見せない芸当。僕が言葉を探すしか出来ないなんて。
「言葉を探してる」
そう言って、僕の顔に指を突き付ける。
「言葉を探している相手に、飲み物を与えてはいけない。言葉も一緒に飲み込んでしまうから」
「まるで尋問みたいだね、場所柄かな」
僕は足を組み直して、背もたれに寄り掛かる。
「問い質したい事なんて何もないわ。私はただお喋りがしたいだけよ」
彼女の真意が計り知れなかった。本当に僕が求めていた彼女かも、未だに判断が付かない。
「音楽でも掛けましょうか、ここは静か過ぎるから。貴方が喋らないから尚更」
「バラードを。音は少ない方が良い」
「出会いの時に聞くバラードなんて、私は知らないわ」そう言って表情を変える。
不思議そうな、それでいて楽しそうな顔。
「確かに、これは出会いかもしれない」
そこで一度、言葉をとぎる。
「でも、これがもし。本当に君と僕の出会いなら。それは、僕と僕の別れでもある」
今までの僕との別れ。
本当に彼女が彼女なら。
「詩人なのね。知らなかったわ」
「気障な自分が居るだけさ。それも、たまにしか出て来ない」
「他の貴方も見てみたいものだわ」
時刻カウンターをポップさせる。
「そんな時間はないかもしれない」
しかし、カウンターにはノイズが走っている。僕の体感時間が確かなら、そろそろの筈だけど。
「デートの最中に時間を気にするなんて。失礼な人だわ」そうは思ってなさそうな表情で、彼女は続ける。僕の視線は、その茶色の瞳からいつの間にか、小さな唇に始点を変えていた。
「今度会うときは、もう少し時間があると良いわね」
頭の中で、不愉快な電子音が響く。
「ヒビノさま、予定の、ザザ─滞在時、が残りop分を──切ります。、、延長には明確な、、、、、が必要です。○□Aへメッセーを、お願いします」
「ちょっと待って、君の目的は?どうしたらまた会える?」僕は立ち上がって、彼女の腕を掴んだ。見た目通りの細い腕だ。気のせいか、体温も僅かにしか感じない。
「言ったでしょう?ただのお喋りよ。貴方の心の内を知りたいの。最後に一つ」
彼女は細長い人差し指を立てる。
「貴方が何かを知ろうとした時、何かも貴方を知ろうとしているのよ」
「深淵を覗く者は、また深淵に覗かれる」
まるで、出来の良い子供を諭すような笑顔。
「そう、貴方が会おうとすれば。いつでも私は会いに来るわ」
「──君は何処に居るんだ?」
彼女の腕を掴んでいた右手がすり抜ける、それと同時に淡い乳白色の光に包まれる。
「可笑しな人だわ。貴方の目の前に居るじゃない。貴方は何処に居るの?ここ?それともエリア4の研究室かしら。もしかしたらクラスの部屋かも」
色々な感覚が遠退いて、体感時間が引き伸ばされていくのが分かる。上下を失い、僕はまだ立ち上がっているのかさえ、分からなくなる。
「貴方が気付いて居ないだけで、未だに母親の胎内かもしれないわ。貴方は本当に生まれ落ちたのかしら?」
「僕は、ここに、、」
光の明度が増して、ホワイトアウトする。
「そう。人はそこで生まれ、
そこで生き、そこで死ぬもの。
私は違う。貴方はどうかしら」
「──僕は」
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