第3話 少年は夢の続きを探している2
市民コミュニティホールの入り口に、PNのコードをかざした。建物の中に入り、実体のある人間が何人か居るのを見た。リニアの停車駅を降りて初めてだ。想像していたよりも結構いるようだ。
館内表示を確認して、エントランスの中央のエレベーターで地下のスイミングクラブに向かう。休憩所を兼ねたカフェテリアで先生の姿を見付ける。遠目に見ても白い長髪が目立つ、何か物を書く仕草をしているのが分かった。
「こんにちは、クゼ先生」僕の声を聞く前に顔を上げたので、先生のバディであるスペンが知らせたのだろう。
「やぁ、ヒビノ君。えーと、久し振りだよね」
「僕はそう思っていますけど、先生もどちらかと言えば同一主義でしょう?」
「私はそこまで偏った思想を持ってないよ。現実も拡張現実も極限まで等価になりつつあるけれど、物理的接触がもつ意味というものはやはり大きい」そう言うと先生は片手で示して、僕に席に座るように促した。
「call,femspen.私の紅茶のお代わりと、君はどうする?」椅子に座ると同時にメニューがポップしてくる。想像していたより2割程安かった。
支払いは全てvy、仮想円。
「甘くないカフェオレをホットで、請求は僕のPNに」少々お待ちください。という電子音声と、決済が終わった高らかなベルの音が頭に響いた。
セキュリティの問題から口座のやり取りには、この金属質なベルの音を鳴らさないといけない決まりになっているのだが。僕にはどうも好きになれない。
先生が頷いたのが見えたので、多分あちらも注文を終えたのだろう。会話を始めるのはお互い飲み物が来るのを待ってからにすることにした。
僕はその間、カンパが気を利かせて出してくれた先生との過去ログをチェックしていた。ウェイターの実体AIが飲み物を置きに来る。
「先生でも紙に物を書いたりするんですね、そのメモやレポート用紙、幾らするんですか」紙やペンというのは趣味的な嗜好品だ。利用者が減る事によって段々と値段が上がっている。
「これかい?一枚20vy位。昔あった嗜好品の煙草一本と同じ位だね。使っても灰にならない点が良いでしょ」僕にはそのジョークは解らなかった。
「君の専攻に被る話になるけれど。ネットにある限りどんな強固なウォールを築いても、絶対安全なんて事はあり得ない。それを防ぐ為の紙のメモだけど、まぁ大分趣味的だね」いきなり本題に入ったようだ。先生との会話はいつもこうなので、もう慣れてしまった。
「確かにネットからは手が出せませんね。それはでも、今の政府体系の根本を疑う様なものですよ?PNの安全性だって、セキュリティパスを記号化していた時代とは別物です」
「PN自体のセキュリティシステムは現段階で最高だろう、あとは研鑽と局所対処でこれからの数十年は持つ。このシステムを開発した頭脳は天才だよ」
先生にしては随分と褒めているけど、それでも大分悲観的な評価だ。
統合政府は数百年を保障している。
PN-パーソナルナンバーが全ての公的な手続き、私的な手続きに運用されるようになった当初。アカウントの盗難詐欺が横行して問題になったのは、僕の分野や歴史の教科ではもはや一般的な内容だ。PNを誰かに盗難・悪用されると、日常生活の全てに制限が掛かる。それは統合政府の庇護が受けられなくなると言うことで、社会的に認められた市民ではなくなると言うことだ。
この国で市民ではなくなる事、それは個人で居られなくなる事。
俗にいう
勿論それでは管理する側もされる側も困ってしまう。
セキュリティに使うパスが記号化されている以上、どんな複雑なパスを組んでも時間を掛ければ解けてしまう。そこで政府直轄の組織である
最終的に採用されたのが今のシステムのイメージスフィア。
個人の持つ深層心理のイメージを記号化せず、ファジイなままのイメージでセキュリティのプロテクトに当てるというもの。それは人によって様々な形を得る。
僕の専攻分野だ。だからこそ今まで色々な物を見てきた経験がある。
被験者である対象と体内ナノマシンの五感再現機能をシンクロすることによって。
何かのワンシーンのような映像。
単純な音や記号。
それらの本人にしか解り得ない、もしくは本人にも解り得ない無意味な羅列。
関連性が見えない感情や、情動動の機微。
草原を駆け抜ける疾走感と草の香り。
ミルクのない絶望。
口に含んだ飴玉の転がし方。
人が死ぬ映像を見て受ける心の変化。
冷めたスープの味。
視界にある繋いだ手、その先への期待。
リンゴの果実のわけあい方。夏の終わりの長い雨、その雫の数の予想値。気分によって変わる回答。溺れる半身を見つめる自分、それをさらに遠くから見つめる自分。火星の公園のブランコの加速運動。瞬間的に移り変わる月の満ち欠けの連続性、その法則。
日曜日の午後の陽射しの暖かさ。
神父の誓い、懲役囚の告白、リニア内アナウンス、天気予報のMix。そこから聞こえる断片に着けたメロディー。数え挙げればキリがない。
銀河を駆け抜ける無機質な鉄道、隣にいた筈の誰か。何故か流れる涙。
黄色い月の孤独とその静謐さ、、、レンブラントの夢、繰り返されるリフレイン。
「会話の途中だ、mybuddy」
僕はそこで我に返った。
視界に先生の微笑んだ顔が見えた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます