バディは文字上をクロールで泳ぎ渡る

第1話 バディは文字上をクロールで泳ぎ渡る


───個人情報というものの意味が形を変えてから、おおよそ50年位が経過したと言われている。

それ以前の生活を、僕自信が経験していた訳でもないし、もはやそれを経験することは不可能に近いと言うのが世間の認識だ。

全国民に配布されたPN、個人識別番号パーソナルナンバーがそれを加速させたし、それに付随して通貨の完全電子化が根幹を作った。

勿論、要因はそれだけに留まらない。

少子高齢化が招いた人口の大幅な減少。

国家医療福祉の高高度実現目標。

国内の居住地区再設定。

ネットの拡大が引き起こした、各国家の核武装による冷戦状態しかり、不法移民問題。


日本の歴史的には、鎖国解除・明治維新、敗戦・高度経済成長等と並ぶ、政治、経済、文明の変化だと言われている。

本レポートではその過渡期であった20年間に起きた代表的なテロ行為について、、、



そこまで打ち込んでから、空中でリズムを刻んでいた両手を止める。

視界の右端から左に向かって、クロールで横断中のバディにピントを合わせる。

「Call,Kampa.ここまでで一旦セーブ」

僕の声を聞いて直立の姿勢に戻ると、彼は瞬時に眼鏡とペンのアイコンが装着された。

「お疲れ様。推定文字数は9820-9874、目標到達率おおよそ34,9%バックアップは定位置?通常テキストのセキュリティで良いか?」

メモを取る様な仕草をしながら、いつもの抑揚のない声を僕の頭の中に響かせる。


「フォルダはオーケー。でもセキュリティはこのままA級で、あと完全オフラインでお願い。続きは帰宅後だから、次回アクセス権もここに固定しておいて」

「Yes,my buddy.午後の予定を確認しようか?」


中断した上半期分のレポートをカンパにパスしたあと、既に温度を失ってから随分と経つカフェオレを口に運ぶ。

「いや、大丈夫。予定と言っても。エリア5のカフェテリアで先生と会ってから、三時間フリーの後またクラスに帰宅」

僕は視界の左下隅のカウンターに、視線だけを移動させる。2054,3/18,jst11:25

「その通り」

カンパは短くそう言ってから、またクロールの続きを始める。しばらく眺めてから、さっき気になった事を指摘してみる。

「どうでも良いけどさ。そのクロール、文字の上を横切るの止めてよね」

「了解した」

視界の左端で綺麗にターンを決めている。

ずいぶん綺麗に泳いでいるので、思わず見つめていたら息継ぎもしているので驚いた。

「息継ぎもしてるんだね。呼吸の仕方って分かるの?」

「肺の伸縮によって、体内の酸素と二酸化炭素の交換を行う。私は有機的な肉体を持たないから経験ではなく知識として、になるが知っている。通常平地の移動では無意識に行われるものが、水中では全身の運動のリズムを呼吸によって維持するという、、」

「待って、長い長い」

「クロールの動きのリズムを維持するのに、適切なカウントを挟めるから。あえて息継ぎを取り入れてみようかと」

「そう。クロールのリズムも大事かも知れないけどさ」

僕はカフェオレの残りを飲み干して、それまで腰掛けていた椅子から立ち上がる。

壁と向き合う形で机と椅子が置いてあるから、拡張現実の奥にはただの真っ白い壁があるだけだ。

いつまでも泳ぎ続けるカンパを睨み付けてみる。


しばらく間が空いて視線に気付いたのか、直立状態になって質問を投げ掛けてくる。

「何か不満があるのか?」

「会話のリズムってのも大事なんだよ」

「会話のリズム、、」

そう呟くと、腕を組んで考える仕草をしている。この前教えたテクニックをもう実践しているのに、僕は思わず微笑んでしまった。

「先日の発言に、ときとして本筋とは関係のない会話が場を盛り上げると聞いたが。あれはなんだ?」

「そんな事言ったかな。えーと、待てよ」

「三日前だ、2054,3/15,jst21:34。ログを出すから参照して欲しい。これだ」

そう言って僕に向かって右手を振る。拡大されたファイルは、時刻と日付と僕らの会話を記録した情報だった。

「いやいや、いらないよ。」視界の右半分を埋める情報量でポップしてきたファイルの数々を、視線と左手を使って即座に戻す。

「AIのバディと言い合いしても、言った言わないで敵うわけないじゃないか」

無表情のはずのカンパが、少し不機嫌そうに見える。多分、僕の勘違いか好意によるものだ。

「そうじゃなくて、もうここではさ。そもそもなんでクロールなのかって脇道の上での会話でしょ?そこから更に横へ一直線に突き抜けなくてもいいんじゃないかってこと」

「了解した。加減が重要という事だな」

「ぐるっと一周して、結局本筋に戻ってきたりしてね。まぁ、会話を楽しもうとしてるスタンスは良いと思うよカンパ」

「楽しむという感情は、まだ上手く理解出来ずにいる。それより、今朝届いたメッセージがまだ未開封のままだ」

「え、今朝?誰から?」

「クゼ先生から、2054,3/18,jst9:05。内容の要点を纏めようか?」

「お願い、先生からか。またドタキャンだったりして」

「残念だが違う。待ち合わせの時間と場所の変更だ」

「え?もっと早く教えてよ」僕は慌てて身の回りを片付けて、クローゼットの近くに移動する。

「レポートを書き上げる間は邪魔をしないように、という注意を昨日受けたから」

「確かに言ったけど。もう、それは良いから時間と場所は?」薄い青ストライプのシャツと、ネクタイはクリームと金の千鳥格子柄、対先生仕様のクラシカルなファッションを選ぶ。

「2054,3/18,jst13:00。関東地区南部、エリア5の市民コミュニティホール」

「Kampa,mirror.エリア5に公共施設なんかあったっけ?」

カンパが出してくれている鏡を見ながら、なんとかネクタイを結ぶ。

「先月エリア4から5に移動になった。各エリアで反対運動が起きていたのを覚えてないか?」

「あぁ。公共エネルギー委員の矛盾って、前にニュース流れてたかも。確かに施設丸ごとの移動は色々と問題あるけど」珈琲のカップをキッチンで洗ってから、寝室の窓に鍵を掛ける。


「委員の言い分としては、物理的移動がある事で施設としての採算が取れるものが、居住区であるエリア6から離れすぎているって問題を指摘していたようだ」

クラスに割り当てられた個室の中を移動する度、カンパが僕の居る部屋の照明だけを緩やかに切り替えている。良き市民たる心得を律儀に守っている。

「まぁ未知数の人の移動と施設の移動を比べたら、なるべく早く近くに移すのも一つではあるけど。今さらだよね」

「そもそもの都市計画に難があった、という姿勢なのだろう」

「まぁね。言い出したら切りない事だし。未だに上の世代なんかには、リアルで体を動かしたいって人多いからね」

「私としては人の動きより、気になるのはお金の動きだが」

「うわぁ、ブラックだね。で先生は市民コミュニティホールのどこに居るって?」

「スイム・スウィンギング」

「え?」その答えにびっくりした。

靴を履こうとしてる不安定な姿勢のまま、僕は固まってしまった程だ。


「という名の、スイミングクラブだ」

相変わらずの無表情。どこか得意気に見えるのは多分、僕の勘違いだと思う。



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