この恋に名前はない

加香美ほのか

鮮やかな

 揺れる車内の心地よさにうつらうつらと舟を漕いでいると、肩にかけていた鞄がずり落ちた。その拍子に意識が浮上する。隣を見れば座席の上に倒れた鞄から、一冊のノートが覗いていた。


 青い背表紙のくたびれたノート。手に取ってページを捲れば、言葉の意味や、状況整理のための箇条書き、そして度々『誠一』という名前が目に入る。それらに目を滑らせていると、脳裏に焼き付いた色褪せることない光景が甦る。


 夕日の差し込む国語科準備室、乱雑とした机の上、束になって積まれているプリント。低く淡々とした声に、スティックで煎れた安いコーヒーの香り。広い背中と、チョークで裾の汚れた白衣。暖房の側で食べた、甘いアイスの味。武骨な手が紙にペンを滑らせる、その音すら鮮やかで。


 その思い出は、高校二年生の寒い冬の日から始まる。

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