第21話 道しるべは霧にかすむ(3)

遡ること1年前。株式会社ミドリカワエンタープライズ。


クロシマはアプリ開発のノウハウをその身に蓄え、大抵のアプリでも作れる程度にスキルアップを果たしていた。社内ではエース級とうたわれ、課長からの信頼も厚かった。


課長「コンドー君、クロシマ君。この間提出した喫茶店のプロモーションアプリだけど、向こうの社長がとても満足していたよ。君たちには安心して仕事を任せられるね♪」


コンドー「課長は自分の仕事をちゃんとやってください」


課長「ごほんごほん。あー次の仕事なんだが……」


クロシマ「すいません。実は祖父が倒れたみたいで……」


課長「えっ!」

コンドー「えっ!」


クロシマは深々と頭を下げた。突然のことにコンドーと課長は戸惑うことしかできない。


クロシマ「祖父は洋菓子店をやってまして、それでその、手伝ってくれって祖母に泣きつかれてしまいまして……」


課長「いやいやいやいや、君に抜けられると非常に困る。頼むよー」


クロシマ「申し訳ありません。父は我が家の大黒柱ですし、兄達も私より高給です。末っ子の私なら何とかなるだろうと……」


課長「えーそんなー」


コンドー「クロシマ、お前、それでいいのか?納得してないだろ」


クロシマ「そう言われても。どうしようも無いじゃないですか」


課長「お前が祖父母のことを慕うのは良いが、だからといっていつまでも生きているわけじゃない。一時の満足のために今まで積み上げてきたものを全て捨てていいのかうんたらかんたらくどくど……」


クロシマ「それはわかってますが……自分一人で生きているわけじゃないんです」



クロシマ自身、祖父が倒れた知らせを聞いたときは、まさか自分が店を手伝うとか考えてもいなかったし、祖母が何とかするだろうし、最悪閉めれば良いとも思っていた。しかし憔悴した祖母が泣きつくように


祖母「少しの間で良いから助けてくれないかねぇ。思い出のある店だからまだ閉める決心がつかないんだよ。職人たちをいきなり解雇するわけにもいかないしねぇ……ごほっごほっ」


などと言われたら断れなかった。


手伝いと言っても、自分がパティシエになるわけではない。今更なれるわけもない。



…………



それからしばらくしてクロシマは会社を辞めた。祖父の店に行くと残されたシェフと職人数名が居た。


シェフ「クロシマ(祖父)さんの息子さんだね。今からビシバシ鍛えるから」


祖父の下で何十年も働いてるかシェフがなぜかクロシマに菓子作りを教える気満々である。


クロシマ「どういうことですか?今から僕に菓子作り教えても戦力にならないでしょう?」


シェフ「そこまで老けてもないだろう?いつだって遅すぎることはないさ。だから何でもできるようになってもらう。というか他に何をするつもりだったのかい?」


クロシマ「わからないですけど……」


シェフ「なら、まずはここの仕事を覚えないとな」


そしてここでも研修が始まる。社会人としてのお辞儀の仕方、電話応対、接客対応、商品の渡し方、領収書の書き方。美味しいランチが食べられる店の把握……そして、皿の洗い方、掃除、etc, etc...


とはいえ、もともと祖母に頼まれて始めた仕事だったし、やりがいを求めていたわけでもなかったのでずっと雑用でもいいと思っていた。店で事務をやっている祖母が「ありがとう」と言ってくれるうちは続けられる。



そんなクロシマの想いとは裏腹に、間もなく、卵を割る仕事も追加された。


シェフ「クロシマ。カラが入ってるぞ!気をつけろ」


クロシマ「うぉ……すいません」


…………


それから1年たったある日の夕方。雪がちらついていたかもしれない。クロシマは店で接客対応をしていた。いつもレジ打ちを任せているパートの人が退職したためだ。菓子作りはというと、シェフが教えると息巻いていた割には、まだ皿洗いと卵割りとできたケーキをショーケースに並べる仕事しかやらせてもらっていない。


茶色いコートを着た女性客が一人、入ってきた。肩下くらいまであるストレートの黒髪が印象的だ。


何やらそわそわしながらショーケースを見ている。そのあたりはミルフィーユとかショートケーキといった、カットケーキの棚だ。少ししてその女性は声を張り上げた。


スミカ「イチゴショートを私にください!」


!?


クロシマは一瞬どきっとしてその女性の目を見つめる。女性ははっとした表情を浮かべると、さっと目をそらした。とはいえ、よくよく考えたら普通に注文されただけだった。


とっさに、クロシマは自分が割った卵がミルフィーユに使われていることを思い出した。


クロシマ「ありがとうございます。こちらのミルフィーユも美味しいですよ?」


たまたま今日のショートケーキに自分が割った卵が入っていないし、クロシマ自身はミルフィーユの方が好きだ。何か作れるようになるとしたら、ミルフィーユを作れるようになりたいくらいに思っている。日ごろシェフや他の職人が作っているところとかをチラ見はしていた。


スミカ「あ、、、え、いや、、、はい。じゃあそれも///」


クロシマ「(それも?)」


ケーキを二つ箱に入れて渡すと、女性は満面の笑みを浮かべて帰っていった。



…………



シェフ「どうしたんだい。ぼーっとして」


クロシマ「すいません。自分でもよくわからないです。悔しさ半分と、うれしさ半分ってところです」


シェフ「?」


クロシマ「自分はもっと……何かこう、できることがあって、それで、どこかへ行ける、そんな鍵を持っていると思うんです」


シェフ「……その、何かしたいことが見つかったのかい?」


クロシマ「シェフ。自分はミルフィーユを作りたいと思っています。それが当面の目標です」


シェフ「そうか。わかった。まだ早いとは思うが、ミルフィーユの作り方のレシピを渡しておこう。私や他の職人の作っているところを自分の目で見て盗んでごらん。あとは空いた時間に実際に自分で作ってみなさい。いくつか作ったら私にも食べさせてくれ」


クロシマ「ありがとうございます!」

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