第5話
数日後――
八雲が司令室にいると、元気のいいノック音が響いた。
「司令官~! ほのかさーん! 加々尾・水月組、氷堂・東條組、セットで登場でーす」
扉の向こうから、千夏の元気な声が聞こえる。今日も調子が良さそうだ。そんなことを思いながら、八雲は手元の資料を閉じた。
「ああ、よく来た。入ってくれ」
「はーい。失礼しまーっす!」
元気な声が響くと同時に扉が開く。千夏とハル、そして真冬とアキラ。四人がゆっくりと室内に入ってきて、八雲の前に並んだ。
資料の片付けをしていたほのかが八雲の隣にやってくると、くるりと彼らの方へと向き直る。
「はいはいご苦労様。今日はあなたたち四人に任務が舞い込んで来たよ~」
「今回、四人なんですね……やっぱ俺らがまだ使えないから?」
初回の任務が決してスマートなものではなかったからだろう、アキラが不安げに眉を寄せる。だが、八雲は首を振った。
「いや、逆だ。思いのほか使える様子だから、早々に大きめの任務に出てもらうことにした」
「実のところ、ひと組だけでやる仕事って少ないのよ。小さいあやかしとか、大きいのでもこの間みたいな倒しやすいのはひと組で頼むけど、ちょっと強力なのになるとさすがに辛いもの」
「へー……」
なるほどと、アキラは納得したように頷く。だが、逆に不安そうな顔になったのは真冬の方だ。
「待ってください……ということは、僕らは早々に千夏さんやハルさんと同じ任務をすることになるんですか? まだ任務らしい任務は一つしかこなしてないのに」
「先日の初任務の結果を見ての判断だ。そもそも、初回で無事に結晶を回収してくることは少ない」
「え……そうなんスか?」
「知らなかった……」
「ハルまで……」
「ハルくん、あんまり他人のことを気にしないもんね……うちの組織だと、初回で成功したのって、ハルくんと千夏くんのペアだけだったのよ?」
「マジっすか。よっしゃ」
「よかったね、アキラ」
マイペースな方の師弟は、そのすごさが理解出来ているのかどうか、不安になるような軽さで喜び合う。だが、やはり真冬の反応は真逆だった。
「その評価は嬉しいですが……しかし、あれは成功と言っていいんでしょうか」
「なんだよ、自分がとちったのまだ気にしてんのか?」
「とちっていない!」
「お前、頭が硬いからああなるんだって。もっと臨機応変に対応しろよ。算数は捨ててさ」
「だからあれは算数ではなく……ああもう、お前と話していると頭が痛くなる」
「薬いるか?」
「嫌味だ、理解しろ!」
「はいはい、落ち着いて真冬ちゃん。アキラも、あんまこの子煽らないでよ~」
「はーい、すんません」
「チッ……」
アキラと一緒だと、真冬も年相応の表情を見せるものだ。呑気に構える八雲の方に、珍しく不安そうな顔をしたハルが視線を向ける。
「……これ、平気?」
「あはは……ま、一応本部としては平気っていう判断してるわよ。でもまだ経験も浅いし、噛み合ってないとこがあるのは事実だから、直接の教育係と組ませるってわけ」
「千夏とハルは経験も豊富だ。加えて、アキラにはハルが理解出来るらしい」
「あー、アキラの特殊能力ね……」
半ば呆れたように、半ば悔しそうに、複雑な表情で千夏は笑う。
「これまで、千夏とハルは他のメンバーと組ませることが出来なかった。いかに優秀でもコミュニケーションがとれないのではな……だが、今回の任務が上手くいけば、こちらとしても作戦の幅が広がる」
「組織最強のペアの、信じられない弱点だったもんねえ……」
「……僕のせい?」
「そうだけど、ハルは気にしなくていいよ。そういうもんだと思ってるから」
「そうだよね」
「本当に気にしないんですね……」
少しは気にしろよ、と真冬はハルに突っ込みたいのだろう。さすがに先輩にそんなことは出来ないと思ったのか、複雑な顔で黙り込むだけになったが。
「ともかく、今回の任務はお前たち四人に任せる。詳細な情報は資料を確認してくれ。お前たち、頼んだぞ」
「はい!」
四人の声が綺麗に重なる。さて、彼らは今後どうなるのか。期待と不安、半々の気持ちで八雲は深く息を吐いた。
***
「……というわけで、俺達四人、合同任務をすることになりました! 作戦会議イン水月家を始めたいと思います!」
元気よく千夏が告げると、二つの拍手が巻き起こる。
「いよっ、待ってました!」
「いえーい」
言うまでもない、アキラとハルだ。真冬は苛立ったまま二人を睨む。
「煽るなアキラ! ハルさんも、なんですかその中途半端なイエーイは!」
「真冬の『イエーイ』ってなんかレアだな」
「もっとテンション上げて言わなきゃ」
「あなたには言われたくありません。ああもう、本当に大丈夫なのか……?」
頭を抱える真冬の肩を、千夏がそっと叩く。
「うーん、真冬ちゃんがいるとツッコミに困らないね~」
「真面目にやる気ありますか……?」
「あ、あるある! あるって! いやマジで! だからそんな怖い顔しないで!」
「だったらわざわざ余計なことを言わせないでください」
「わかってるってば。もー、和ませようとしただけなのに……」
千夏は拗ねる。だが、そんなことを言われてもふざけるなと思うばかりだ。だいたい、この場では自分が最年少だ。だというのに、どうしてこの人たちはこうもいい加減なのか。
もう少し怒っておこうかと思ったが、そんな真冬の機先を制するようにハルが信じられないことを言う。
「千夏、先に進めて。飽きた」
「早ッ!? もー、みんな好き勝手言うんだから……」
あなたが言えることではありません、と頭を抑える。本当に、この人達をどうにかして欲しい。真冬は真剣に考えたが、ようやく千夏が軌道を戻してくれる気になったようだ。
「じゃあ進めるよん。とりあえず、司令官からもらった資料を見て」
言葉は軽いが表情は真剣だ。やっと本気になってくれたらしい。ひと安心すると同時に、真冬も気を引き締め直す。ここからは、本気の作戦会議だ。いい加減な気持ちで取り組むわけにはいかない。
千夏は司令官からもらってきた資料を取り出すと、テーブルの上に置いた。
「今回のターゲットは火車。火の車って書いて火車ね。伝承では罪人の死体を奪い去るって言われてるけど、このあやかしはそういうのはこだわらない方みたい」
「生きてる人間でも攫われてるんですね……被害件数が多い……」
アキラの呟きに、千夏は頷く。
「しかも、霊力のない人には見えないのにそういう人も狙われてる。神隠しがあちこちで起きてるって噂になってるよ」
あやかしの見えない人にとっては、あやかしによる拐かし事件は全て『神隠し』になってしまう。犯人を追っても当然見付からないから、迷宮入りすることも少なくない。この世に存在する未解決事件の一部は、あやかしの起こしたものなのだ。
真冬は資料内の発生件数に眉を寄せた。だが、数字だけ見てもわからないことは多い。
「……事件発生の分布図は?」
「それも司令官から貰ってる。こっちの資料ね」
千夏はもう一枚の資料を取り出した。テーブルに広げられたのはこの街の描かれた地図で、ところどころ×印が着けられていた。ここが事件の起こった場所なのだろう。
じっと覗き込みながら、ようやく真面目な顔になったハルが呟く。
「……郊外が多いね」
真冬も同意して、地図を指差した。
「住宅街だからでしょうね……それだけ人がたくさんいる」
あやかしが住宅街に現れることは多い。彼らは、人間の持つ霊力や生命力を命の源としている。それを摂取することで命を保っているのだ。もちろん活動している人間でもいいが、安静にしているときが一番生命力を奪いやすい。だからこそ、夜の住宅街に現れるのだ。
アキラが忌々しげに吐き捨てる。
「それだけ関係無い人間が巻き込まれてんだろ……早く行って対処しねぇと」
今すぐにでも駆け出しそうなアキラを、真冬は制する。
「急ぐのは必要だが、きちんと情報を集め、分析しなければ僕らまで危険に巻き込まれるだろう?」
「そんな悠長なこと言ってる場合かよ。とっとと動かないと被害者が増える!」
「動かないとは言っていない。慎重に動けと言っているんだ」
「そんな呑気なことを言ってたら意味がねぇっつってんだよ!」
「力だけで押し切れるものでもないと言ってるんだよ! 人の話を聞け!」
「お前は頭の中で考えるだけで行動する気がねぇだけだろ!」
「お前はあやかしの本当の恐ろしさを知らないからそんなことが言えるんだ!」
「無関係な人間が巻き込まれる恐怖が分かんないから呑気でいられるんだろ!?」
「ストップ! おちついて二人とも!」
本格的な言い合いに――ともすれば殴り合いに発展しそうだったところに千夏が割って入る。
「ハルも止めてよ!」
先輩なんだから、ということなのだろう。だが、マイペースな――ある意味では自分勝手な――ハルは、面倒臭そうにため息を吐く。
「僕はアキラに賛成。被害を減らすためにも急いで動いた方がいい」
「ほら!」
アキラは得意気に胸を張るが、千夏は冷静だった。
「いや、情報は整理した方がいい。勇敢と無謀は紙一重だけど別物だよ」
それはアキラに向けた言葉だった。だが、反論するのはハルの方だ。
「君は僕が無謀だとでも言うの?」
「実際に無謀なことやらかしてる人が何を言ってるの。ハルはすぐ独りで暴走するんだから、絶対俺から離れないでよ!?」
「……怒られた」
「しゅんとしてもだめ!」
拗ねるハルに、それでも厳しい態度を崩さない。当然だ。ハルはかつて、規律違反で勝手にあやかしと戦ったあげく、本来持ち帰らねばならないはずの結晶も紛失している。その結果、反省文と減給と謹慎だったというのだから、ずいぶん甘い対応だと思うが。それだけ将来を期待されていたからだろうか。だが、こんなふざけた考え方をするなら厳罰にした方がよかった。でなければ――
「なんでそんなデータだの情報だのにこだわる必要があるんすか。酷い目に遭う人を減らしたいってだけじゃないですか」
こうして、ハルに育てられたアキラは無謀になる。育成者の人格は、本当に重要なものなのだと改めて思う。
呆れる真冬の隣で、千夏も危機感を覚えたのだろう、言い聞かせるように千夏はアキラに――そしてハルに――向き合う。
「助けたい気持ちはわかるよ。でも、俺達まで巻き込まれたら誰があやかしを止めるの?」
「それは……」
それでも、行かないとは言わない。これだから何も知らない甘い男は腹が立つ。真冬はアキラを睨み、吐き捨てた。
「あやかしの本当の恐ろしさを知らない男が余計な口出しをするな」
「それはお前だろ! 見えないもんに襲われる恐怖、分かるのかよ!? 生まれたときからあやかしが見えたくらいで偉そうにしてんじゃねぇよ!」
「……ッ!」
目の前が、チカチカする。
怒りで血が沸騰するような気持ちになりながら、アキラに怒鳴り返そうとした。
だが、それを遮るように千夏が声を上げる。
「アキラ! ……それは言い過ぎ」
それを聞いた瞬間、アキラは傷ついたような顔をして――すぐに、子どものように拗ねた顔になる。
「…………言い過ぎたとは思いません」
「アキラ……」
どうしてわかってくれないんだとばかりに、千夏が悲しそうな顔をする。それを見た瞬間、真冬はと言えば怒りがふつふつと込み上げてきた。
いい加減にしろ。ちゃんとわかれ。理解しろ。これ以上正しい理由なんかどこにあるんだ。言ってやりたいことが次から次へと沸いてくる。
だが、それを吐き出すより先に、アキラが立ち上がった。
「ちょっと頭冷やしてきます」
吐き捨てると、返事を待たずに勝手に玄関の方へ向かい――あっという間に、外に出て行ってしまった。
しばらく、沈黙が横たわる。
それを破ったのは、ハルの静かな声だった。
「……アキラの母親は、あやかしに取り憑かれて死んでる」
「……え?」
思わず声が漏れた。そんな真冬に、ハルは続ける。
「殺したのは僕だ。たまたま通りがかって発見して……アキラに、自分の意志で、母親を殺してくれって言わせた」
自分の意志で。
殺してくれと。
――母親を。
言葉の意味がうまく飲み込めない。クラクラする。どういうことだ。アキラに家族がいないのは知っていた。だが――だか。
指先が、震える。そんな真冬の代わりに質問してくれたのは、千夏だった。
「それって、五年前にハルが独りであやかしに突っ込んでったやつ……?」
「そう」
あっさりと頷く。瞬間、千夏が身を乗り出した。
「なっ……何で言わなかったの!? そんなこと言ってなかったじゃん! 人助けのためだったって言えば……」
「助けられてない。僕に出来たのは、アキラに母親を殺す決断をさせたことだけ。母親もアキラも救えてない。でも……」
「……でも?」
屁理屈としか言いようがない言葉を吐き捨てた後、ハルは静かに――確かに深い感情を込めて、呟いた。
「親にも嫌われたこの力を使って、ありがとうって言われたのは、初めてだった」
「……そっか」
ハルは、生まれたときからあやかし祓いの力を持っていた。だが、一般の家庭で生まれた。何代前になるのかはわからないが、もともとはあやかし祓いの力を持っていたらしい。だが、分家を繰り返すうちに能力も薄まり、一般人と変わらない程度になっていったのだろう。
そんな家系のハルの親は、当然あやかし祓いのことを知らない。だが、隔世遺伝のせいなのか、生まれた時から強い力を持っていたハルには、それを奪おうとあやかしたちが群がってきて――ハルは、それを自らの本能で追い払った。つまり、生まれたときからあやかし祓いだった、他にはない能力者なのだ。
そこまでは、有名な話だった。水月ハルを知る人間なら誰でも聞いたことがある。噂話にも近いものだから、どこまで本当なのかはわからない。だが、あながち冗談でもないのだろう。
そういう能力者が、周囲からどんな目を向けられて生きることになるのか――真冬には、よくわかる。
むしろ、環境的には真冬よりも過酷だったのだろう。飄々としているこの先輩が何を考えて生きてきたのかわからなかったが、こうなるまでに、地獄を見てきたのかもしれない。
真冬は、言葉を失った。ハルが立ち上がる。
「どこいくの?」
千夏の問いかけに、ハルはあくまでも静かに告げた。
「僕も、ちょっと頭を冷やしてくる。今、ろくな事を言わない気がする」
「うん……」
「でも……これだけ」
釘を刺すように、ハルの視線は真冬に向いた。
「アキラはあやかしの恐ろしさを知ってる。それで犠牲になることがどういうことかも」
――そんなこと、言われても。
ドクン、と心臓が跳ねる。指先が震える。どうして。そんなことを言われたって、自分にどうしろと言うのか。
ハルが去って行く。扉が開いて――閉まる。そうして訪れた静寂の中で、千夏は自分を気遣うように顔を覗き込んできた。
「真冬、大丈夫?」
こういうときだけ、大人に向けるような言葉を投げかけてくる。千夏に子ども扱いされたくないとは思っていたが――突き放されたようで、苦しい。
……間違っているのか?
心臓がうるさい。自分は、間違っているのか? 助けたい人を助けるために行動する。それは正しいことなのか? ――正しいことなのかもしれない。でも。
「……やっぱりわかってない」
「え?」
「あやかしに、取り憑かれる側の恐怖なんて……あいつ、わからないんだよ……」
「真冬ちゃん……」
千夏の声が、再び暖かくなる。ああ、この人は自分のそばにいてくれる。それが理解出来て、真冬はやっとホッとした。――本音を、吐き捨てた。
「母親が取り憑かれたなら、その姿は見たことあるはずなのに。ちゃんとしないと、また同じように、大切な人を手にかけなきゃいけなくなるかもしれないのに」
「……」
「今でもまだ……僕には、聞こえる……」
あのときから――生まれたときから聞こえる、声。ザワザワと、気持ち悪くて、うるさくて、耳障りで、恐怖を呼び起こすような、声。声、コエ、こえ、声声、声声声声、聲、コエ、声、それは――
――聞こえる――
その瞬間、真冬の意識が、ぷつりと、途切れた。
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