第3話
司令官室の外に出ると、アキラは大きく伸びをする。初任務の重圧は、図太いと思っていた自分にもしっかり降りかかっていたらしい。終わってからそのことに気付くくらいだから、十分に鈍い方なのだろうが。
「ふー……とりあえずこれで終わりか。あー、腹減った。なんか食うか?」
「休めと言われたばかりだろう? だというのに、お前は……」
呆れ顔で眉間に皺を寄せる真冬に、アキラは肩をすくめる。この男はせっかく綺麗なのに、どうも不機嫌な顔をしてばかりだ。笑ったらもうちょっと印象もよくなるだろうに――などと余計なことを考えつつ、挑発するように口元を緩める。
「飯食うのは休むうちに入るだろ? ちゃんと食わないとブッ倒れちまうぞ? ただでさえお前ガリガリなのに」
「ガリガリじゃない! 栄養と筋力量はきちんと計算してる。情報解析メインで後方支援とはいえ、ひととおり戦えないとあやかし祓いにはなれないからな」
「計算って、お前、そんなことまで計算してんの? そんな算数好きなわけ?」
「算数じゃなくて――」
「あーっ、後輩ちゃんたちはっけ~ん♪」
言い争う自分たちを遮るように、廊下に足音が響く。かと思うと、何かが勢いよく真冬の背中に飛びついた。
「うわっ!」
突然の衝撃に、真冬がよろける。なんとか数歩で立ち直ったが、眉間の皺は先ほどよりも深くなった。
「千夏さん、抱きつかないでください!」
千夏さん――加々尾千夏(かかおちなつ)を振りほどきながら真冬は声を荒らげる。だが、千夏はと言えば気にした素振りも見せずに真冬の肩を抱いた。
「ノーノーノー、俺のことはショコラって呼んでって言ってるじゃん~。真冬ちゃん、昔はショコラ兄ちゃんって呼んでくれてたのにさぁ~」
「いつの話をしてるんですか!」
ミスター不機嫌は更に不機嫌度を増して千夏から逃げるように離れていく。そんな様子を千夏は寂しげに見ていた。昔なじみだというのは知っているが、この様子を見るだけでだいたいどういう関係性なのかは想像出来た。
とはいえ、任務が終わったばかりで気が立っている様子の真冬をこれ以上刺激するのも可哀相か。そんな仏心でアキラは千夏に向き直る。ついでに聞いてみたいこともあったのだ。
「そういや、なんでショコラなんですっけ?」
「俺が加々尾千夏だから! カカオって言ったらチョコじゃん? そこからもじってショコラ! 可愛いっしょ?」
「あー、なるほど。いいんじゃないっすか、ショコラ先輩」
「どこが……鬱陶しいだけだろ。千夏さんは本当に昔から……」
まだ不機嫌は収まらないが、それでも少しは落ち着いたらしい。真冬の眉間の皺の深さを確認しつつ、アキラは軽く息を吐く。
と、もう一つ足音が近づいてきた。
「千夏、真冬と子どもの頃から知り合いだったんだ?」
「あ、ハルさん。お疲れ様でーす」
「おつかれ」
ハルさん――水月ハルは、アキラの教育係だ。千夏と真冬が昔なじみなのと同じように、ハルとアキラも組織に入る前からの関わりがある。とはいえ、それは本来あってはならない出会いだったのだが――
思考に沈みそうだったアキラを、千夏の声が引っ張り上げる。
「ハル~、前にも話したのに、もう忘れたの? 真冬ちゃんは、俺の親戚! その天才少年ぶりはちっちゃい頃から知ってたからってスカウトしてきたんだよ~」
「そうだっけ? 忘れた」
「ハルってそういうとこあるよね……」
確かにそういうところがあるかもしれない、と、アキラも内心千夏に同意する。五年前からの付き合いになるが、ハルは興味の有無がはっきりしている。能力に関しては他の追随を許さないような天才なのに、それ以外のところでは良くも悪くもぼんやりしているのだ。
ほのかや八雲にも「何を考えているかわからない」と言われていたが、恐らく原因はそれだろう。興味があればきちんと話を聞いてくれるが、興味がなければまるで聞いていない。だからこそ扱いにくいのかもしれないが、それさえ理解してしまえば実にわかりやすい人ではあるのだが。
とはいえ、相棒の家族関係というのはハルの興味を惹かなかったらしい。それはそれでどうなんだろうと思うものの、真冬から見るとまた違う見解のようだ。
「あなたの話が鬱陶しくて面倒臭いからじゃないんですか」
相変わらず真冬は千夏に手厳しい。
「うっそぉ!? そんなことないでしょ! っていうか、なんで真冬ちゃん俺に敬語使うの~? それやめてって言ってるじゃん~。昔みたいに甘えてきてよ~」
「立場を考えてください。ただでさえあなたは指導役としては中途半端なんですから」
「え、マジ?」
さっきの八雲たちとの話だろう。ここは、ノーコメントを貫いておく。アキラは口を閉ざしたが、ハルはさらりと頷いた。
「向いてないよね」
「ハルまで言う!? そういうハルはどうなのさ!」
と、そこでぐるりと千夏の視線がアキラに向く。ここで意見を求められたか。きっと同意はされないだろうけど、と思いつつ、素直な感想を口にする。
「案外いい指導者っすよ。俺、元々あやかし祓いの才能なかったのに、育ててくれましたしね。おかげで今日も力でゴリ押しバッチリっす」
「うん。万一のときは、とりあえず突っ込んでから考える」
「だよなー」
「ええ~!? ちょ、まっ……嘘でしょ!? ハル、誰ともちゃんとコミュニケーション取れなかったのに……」
「アキラだけに備わった特殊能力ですよ。僕らにはどうにも出来ません」
「マジか~……まあ、確かに霊力ゼロだったアキラを育てただけでもとんでもないことだって思うけどさぁ……」
「あやかし祓いになれるのは、あやかしを見る才能を持った者のみ。その才能……つまり霊力のない者も、一定の訓練を行うことにより能力を身につけられる場合がある……でしたよね。しかし、本当にそんな人間が現れるとは……」
「それ、よく言われるんだけど……すごいことなのか?」
あやかし祓いとしての能力を身につけたのもつい最近。そんなアキラにとっては、どうにもピンとこない。すごいと言われても、自分の身の回りには優秀な相棒の真冬に、情報分析のエキスパートと言われる千夏、そして何よりも本当の天才ハルと、もっとすごい人間がいくらでもいる。この面子に囲まれていれば、自分など力押しする以外の方法を知らない素人そのものだ。
だが、そのアキラの反応を信じられないといった様子で真冬が話し始める。
「千人いて一人身につけられるか、というところだな。霊力がないと、そもそもあやかしを認知することがない。当然あやかし祓いになろうと思うこともないからな」
「そりゃそうだよね。真冬ちゃんの家みたいに代々あやかし祓いだ~とか、うちみたいにその従者の家系だ~とか、そういうのでもなけりゃ存在知らないわけだし」
「へー、なるほどな……」
確かに、認識も出来ないものと戦おうなどと考えるわけがない。アキラ自身、あやかしが見えなかった頃には『あやかし祓い』などという仕事があるとは考えたこともなかった。今だって、あやかしのせいで起こることをたまたま発生した異常現象という程度にしか捕らえていない人間は大量にいるだろう。
アキラだって、本来はここにいるような人間ではなかったはずなのだ――あのことが、起こるまでは。
……今は、考えたくない。記憶を無理矢理箱に詰めて、鍵を掛ける。
「ハルさんはなんであやかしのこと知ってたんすか?」
確か、ハルは元々霊力を持っていたと言っていた。だが、真冬や千夏のようにあやかし祓いの家系だったわけでもないようだ。そういえばその辺は深く聞いたことがなかった気がする。その程度の軽い気持ちで訊ねた言葉には、それ以上に軽い返事が返ってきた。
「趣味」
「あー、趣味か。なるほど」
「それで納得する!?」
「この師弟は、常識で計っちゃいけないんですよ、恐らく……」
「ある意味天才師弟だもんな……ハルもそういう家系じゃなかったのに、隔世遺伝とかだったっけ? あんま深く考えない方がいっか……」
「そのおかげで、バディを組む僕らが大変になるんですけどね……」
「まーね……でも、俺もハルと組んで七年くらい経つけど、なんとかやってるしさ。真冬ちゃんも多分なんとかなるよ!」
「だといいんですけどね……」
なるほど、隔世遺伝。そういうこともあるのかとぼんやり考えるアキラに、不意に千夏が話を振る。
「にしても、ホントにアキラ、なんであやかし祓いになろうとしたの?」
――ついさっき箱に詰め込んだ記憶が、無理矢理飛び出してきそうになる。
「……まあ、いろいろ」
今は、ダメだ。組織にいるときには、いつもの自分でいたい。
はじけ飛びそうになる記憶の蓋を無理矢理押さえつける。なんとかなりそうだ。アキラは強引な笑顔を浮かべた。
「やっぱ、カッコ良かったからっすかね~」
「わざとらしいな……」
「そーか?」
「どうせ何も考えていないだけなんだろう?」
「あははは! バレたか」
そういうことにしておけばいい。真冬は自分をいい方向に誤解してくれている。助かったと思いつつ、不意に視線を感じる。
ハルが、少しだけ怒ったような顔でため息を吐いていた。
「ん、どうしたの、ハル?」
「いや……」
これは多分、怒っている。千夏や真冬に言わせると「何を考えているかわからない」のだろうが、五年間、ハルのことを見続けてきたアキラにはわかる。
ハルは、アキラがこの世界に入ってくることになったきっかけの人物だ。そして、その根本的な原因になった出来事を、ハルは未だに悔いている。その辺を誤魔化してアキラが適当な理由であやかし祓いになったと思わせたことに納得がいかないのだろう。
要するに、ハルは自分自身に腹を立てている。いちいち優しくて、責任感が強くて、損な性分なのだ。だからこそ、信頼しているのだが。
複雑なオーラを纏ったまま、ハルがこちらを見る。
「アキラ、何か食べる?」
「なんかおごってくれるんスか?」
「うちに来るなら」
「んじゃ、行きます。真冬はどうする?」
「僕は帰る。今日のことをもう少し分析しておきたい」
「真面目なやつ。じゃ、また明日な」
「千夏、君は?」
「俺は真冬ちゃんと一緒に帰るよ。ちゃんと休むように見張るから」
「そう。じゃあ行こう、アキラ」
「はいはーい」
たぶん、今ハルの頭の中には『あの日』のことが浮かんでいるだろう。それはアキラも同じだ。ハルのことを損な性分だと評したものの、自分もそれは大差ないことを改めて感じる。
たぶん、これはもう一生このままだ。それならそれでいい。今自分が生きていることに意味があると思いながら、ハルの気持ちを軽く出来るように、強くなるだけだ。そうすればいずれ、自分の目標も達成出来る。
あの人の犠牲だって、なかったことにはならないはずだ。
ハルの隣を歩きながら、アキラは改めてあやかし祓いとして生きることを誓った。
遠ざかって行くアキラの背中を見つめながら、真冬は小さく息を吐く。
「……ったく、あいつは……」
決して能力値が低いわけではない。むしろ出自を考えれば恐ろしく能力値が高い。
霊力量は生まれ持った資質に関わるものだから、いつどんな形で手に入れたかは実はさほど関係無い。
問題は、そのコントロールの方だ。これは当然ではあるが、霊力と向き合う時間が長いほど緻密なコントロールが出来るようになる。例えば千夏などは、幼い頃から特殊な環境で霊力のコントロールに向き合い続けてきた。この組織でもトップクラスの術者だろう。
だが、アキラは霊力を手に入れてからたったの五年。コントロールするための技術を学び始めてからは四年程度だ。たったそれだけで霊力を武器の形に具現化出来るようになった。本来ならば、十年以上コントロールの術を学んでようやく出来るようになるというのに、だ。
それだけすごいことをしているのだと、アキラは自覚していない。その上、あの軽さだ。もっと真面目に取り組めば、さらなる高みへ登れる可能性を秘めているのに。
だからこそ、腹が立つのだ。そんな真冬の肩を千夏が叩く。
「まあまあ。真冬ちゃんも帰るよ~。分析は俺が付き合ったげるから!」
「……指導はともかく分析は上手いですからね。ご協力お願いします」
「あれ、なんか棘がある!? ま、いっか! よっしゃ、帰ろかーえろ~」
軽い、という点で言えば、この人も同じだった。真冬は半ば呆れるように目を細める。
「単純な人だ……本当に昔から変わらない……」
昔から、真冬のことを気に掛けてくれていた。こうして憎まれ口を叩きながらも、頼っていくと真正面から受け止めてくれる。
何よりも、千夏がいなければ、真冬は今ここに立ってはいなかった。
仕方がない、今日くらいは素直にこの人に甘えよう。初任務の夜くらい、子どもの頃に戻ってもいいだろう。
そんなことを考えながら、真冬も千夏に続いた。
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