第34話「忍び寄る魔の手」


 リリアは夜の田舎道を走っていた。

 辺りは小麦畑ばかりで、どこを曲がればいいか全く分からないが、とにかくローズヴェルトに教えて貰った東を目指す。


 走り始めてすぐ、追いかけて来たメルの姿も無かった。


 いつのまにかメルを引き離してしまったのだが、今はそんな事気にしている余裕はリリアにはなかった。


 タケルとローグ、とにかくこの二人が一緒になってやる事など、一つしか思いつかなかった。


「あの二人、ホントに馬鹿!

 全然反省してないじゃない!!」


 リリアは何故、二人の行動にもっと疑問を持たなかったのか、それも含めて自分にも腹が立った。


「もう、絶対にニーナ先生が来たら、言いつけてやるんだから!!」


 頬を膨らませ、夜道を走る。


 その時、どこからか強い視線を感じた。


「ハッ!?」


 立ち止まって、辺りを見渡す。

 誰もいない。


「何だろう、気のせいかな……」


 リリアにとっては初めの感じではなく、どこかで感じた事のある視線だった。


「それより今は、あの馬鹿二人を探さなきゃ!」


 再び地面を蹴り出す。

 リリアにとって小麦畑の暗闇、田舎の夜道は慣れていない暗さだった。


 生まれてこの方、都会で暮らしてきたリリアは夜道を一人で歩く、という経験が無い。


 それは父親が亡くなって、リリア達が一般市民になった時、優しい母親の、数少ない厳しい言いつけでもあったから。


 幼少期は誰にでも一度は両親から言われる“夜は危ないから一人で出歩いちゃ駄目”という言いつけ。


 リリアは特に気にしなかったし、ちゃんと母親の言いつけを守った。

 しかし、十六歳になり、青銀せいぎん学園に入学するまで、その言いつけは続いていた。


 近所の同い年の子達は十二~四歳になれば、夜の街を少しくらい出歩く事は許され始める。

 もちろん、あまり褒められた事ではないが。


 リリアはそのすらも許されなかった。


 母親と過ごす事が好きなリリアにとって、特別苦になる事は無かったが、たまに二階の自室から窓越しに見える、夜道を歩く少年少女達を羨ましいと、思った事は何度かあった。


 だから林間合宿時の登山訓練で経験した夜の山は、リリアにとって新鮮な世界だった。

 そして今も。

 まだ慣れない恐怖もあるが、素敵な事も知った。

 夜空に浮かぶ満点の星はリリアの心を惹きつけるものだった。



 走る事数分。

 リリアの走っている少し遠い場所で、フラッシュのような閃光が起きた。

 暗闇の中で時々起きる閃光は、不自然に見えて仕方ない。


「あ、あそこだ! ったく、何やってるんだか……」


 呆れた表情で遠くを見つめる。

 リリアは恐らくあの光が二人の魔気がぶつかり合った時に、起きるものだと推測した。


 リリアは木剣を握りしめ、目的地に向かおうとしたその時。

 左側にあった小麦畑から一瞬、ガサッと物音がした。


「え」


 小麦畑から細長い手が伸びて来て、リリアの左腕をがっしりと掴んだ。

 あまりの驚きと恐怖に木剣を落としてしまう。

 その場にコンと音が鳴る。


「キャ!?」


 すぐさま、男の愉快な声が弾むように聞こえてきた。


「み~つけた☆」


 そのままリリアは、乱暴な力に逆らえず、小麦畑に引きずり込まれていった。


「ちょっと、痛いっ、放して!!」


 ガサガサと小麦が押し倒されて行く。

 リリアを引っ張る手は更に強くなっていく。


 それに抵抗しようとリリアは、両足に体重をかけるようにブレーキをかける。

 掴まれた左腕を右手で引き剥がそうと試みる。

 しかし、そんな事などお構いなしに引きずり込まれ、リリアは前のめりに転んでしまった。


「ヴッ……」


 左腕を引っ張られながら地面を引きづられ続けるリリア。

 引っ張る男の姿が見えないくらい、数センチごとに小麦がぎっしりと生えている。

 おまけに夜の視界の悪さで、何も見えない。


 身体が摩擦のように擦られ、顔には小麦が刺さる。

 そして、男の引っ張るスピードが上がった。


 リリアは抵抗する力も隙も無く、ただただ、引っ張られ続ける内に意識が朦朧とし、瞼は閉じていった……


「誰か…たすけ……て」



 ーーー


 メルは息を切らし、肩を揺らしながら夜道を走る。

 追いかけて行ったはずのリリアは目の前に居ない。

 すぐ追いつけると思っていたメルの予想は大きく外れた。


「もう……リリアさん早すぎっ!!」


 両膝に手を置き、立ち止まる。

 乱れた息を整える。

 ふと、夜空を見上げ月を見つめる。


 満点の星が輝く中、目で見ても分かるような凄いスピードで暗灰あんかい色の雲が、月と空を覆い隠そうとしていた。


「なんか、不気味……雨でも降るのかな……」


 メルは空を見つめるのを止めて、すぐさま足を動かす。

 走るのは疲れたので、少し早歩きを意識する。


 その時、遠くの方でピカッと閃光が何度も光った。


「何あの光……とにかく行ってみなくちゃ! リリアさんもきっとそこに向かったはず」


 目的地も決まり、早歩きから走るようにスタンスを切り替える。

 走り出してすぐ、メルの足元でコンッと高めの音が鳴った。


「痛っ! 痛った~」


 メルは気付かずに勢いよく木の棒を蹴ってしまい、足指を抑える様にうずくまる。


「もう、何なのこれ!」


 地面に転がる木の棒を見つめる。

その棒には握りから鍔があり、その先に生えているのは刀身の様に鋭い。

 メルはその剣の様な木の棒を、どこかで見た事があった。


「これって……リリアさんが……」


 木剣を持とうと握りを片手で持ってみる。


「重たっ!?」


 慌てて両手で持ち直し一瞬、真上に持ってみたが、すぐに地面に置いた。


「こんなに重かったんだ、この剣……って違う違う!

 なんでこんな所に、リリアさんが持ってた剣が落ちてるの!?」


 メルはその場で考えるように辺りを見渡した。


「リリアさーん、剣忘れてますよ~」


 とりあえず、その場で叫んでみる。

 何の返答も返ってこない。

 そこでメルはある事に気付いた。


 左側にあった小麦畑が荒れている事に。

 まるで牛が突進して行ったかのように、綺麗な一本道が出来ている。

 しかし、これは牛が突進した事じゃないくらいメルでも安易に理解した。


「もしかして……」


 メルは全身に寒気が押し寄せた。

 嫌な出来事が脳裏をよぎる。


「でも。そんな……なんで!?」


 小麦畑に出来た一本道を見つめる。

 遠くは暗くて何も見えないどころか、月明かりも雲のせいで消え始めていた。


「もし、リリアさんが誰かに襲われたなら……こっちだよね。ここで剣を落としてるなんて絶対おかしいよ」


 メルは恐怖の中、木剣を引きずらせながら一本道に入ろうとする。

 一歩踏み出した時、ガサッという音がとごからか聴こえてきた。

 メルは慌てて身体をビクッとさせる。


 そして周りを見渡しても誰も居なかった、というより小麦しか無かった。


「びっくりした~。ホントに動物でもいるのかと思ったよ……」


 肩をすぼめながら二歩目を踏み出す。


「待て!!」


 再び身体をビクッとさせたメルは、後ろを振り返った。


「なんだじぃじか~。驚かさないでよ!」


 頑固そうな声でメルを呼んだローズヴェルトは、道端からメルを覗くように見ていた。


「メル、いいからこっちに戻ってこい」


 メルはローズヴェルトの言う通りに、とりあえず入りかけた小麦畑の一本道から、道端に戻った。

 そして、ローズヴェルトに粗方の事情を説明した。


「なるほどな……」


 ローズヴェルトは考え込むように髭を詰る。


「メル、お前にはその剣、重いだろ。貸してみろ」


 そう言ってローズヴェルトは奪い取るように、メルから木剣を取り上げた。


 ローズヴェルトの腕は決して太くは無い、むしろ老いて細く見えるその腕で、軽々しく剣を持ち上げた。

 まじまじと刀身を見つめる。


「安っぽい剣じゃな……」

「じぃじ、そんな事よりリリアさんが!」


 メルはせかすようにローズヴェルトの腕を掴む。


「メル、よく聞くんじゃ。お前はあそこでたまに光が見えるのを知っておるか?」


 メルはこくりと頷く。


「よし、それじゃあ一先ず、お前はそこに向かえ。

 そこにあいつらがいるから、ここまで呼んで来い!」

「分かった、行ってくる!!」


 メルは急いで夜道を走って行った。


 そんな孫娘の背中を見送った後、

 ローズヴェルトは小麦畑に出来た一本道へとゆっくり、歩を進めて行った。


「やれ、面倒な事になったな……」

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