第9話 異世界の構成
目を覚ますと、太陽はとっぷりと暮れて真っ暗模様の夜になっていた。
あれほど疲れていたのだから朝までぐっすりだと思っていたのだが、思いのほか早くに目が覚めたようだ。
そういえば、体力が完全に無くなっている状態だと、逆に寝れないと聞いたことがある。
上半身を起こすと体中の筋肉が悲鳴を上げた。
普段デスクワークしかやってない人間があれほど動き回ったのだから仕方がないが、それにしてもこの激痛はつらい。
とりあえず風呂に入って筋肉をほぐして体力を回復させようか。
さすがに部屋に風呂はないが、大衆浴場なら真夜中までやっているはずだから、この時間帯でも問題なく入れるだろう。
俺は最小限の動きで済むように身を縮めた状態のまま、入浴セットを携えて部屋の扉を開けた。
「あ、どうもサトー。おはようございます」
部屋を出ると、真正面の部屋からパプカが顔をのぞかせた。
俺と同様、身を縮めながら入浴セットを抱えている。
実は俺とパプカはご近所なのである。
冒険者は根無し草が多い。
そもそも収入が安定しないから契約更新をしなければならない賃貸に、家賃を払うのを好まないし、拠点としている街に仕事がなくなったなら、よそに移らなければならないので身が軽い方が都合が良いのだ。
そんな冒険者が好むのが、ギルド運営の宿泊施設。
つまりはギルド二階にあるこの部屋だ。パプカも他の冒険者同様、ここに泊まっているのである。
「おはよう。お前も今から風呂か?」
「奇遇ですね、サトーもですか。ちょうどいいですし、一緒に浴場まで行きませんか? 見たところ歩くのも大変そうですし、良ければ肩を貸しますよ?」
「お前だって足ガックガクじゃねぇか。しょうがないから俺の方こそ肩を貸してやるよ」
俺とパプカは互いの肩をつかみ、お互いの体重を支え合いながら一歩ずつ階段を下りて行った。
大衆浴場。
ファンタジー世界にある浴場と言えば、石でできた中世の風呂を想像するだろう。装飾の凝った内装に、ライオンの口からお湯が出るアレだ。
しかし、この街においては話が違う。ものすごくざっくり説明すると、銭湯なのだ。
外装は夕焼け模様が非常に似合う古めかしいコンクリ製で、中に入れば番頭さんがお出迎え。
脱衣所には畳が敷き詰められて、風呂の壁には富士山が描かれている。
まさに古き良き日本。昭和世代が遠い目をするようなコッテコテの銭湯なのだ。
なぜこうまで日本色が濃い施設があるのか。昔、とある学者が提唱した説がある。
”ここは転生、召喚された日本人によって作られた世界である”
俺も含め、最近この世界にやってきた日本人は一人残らずこう思った。
「なんて基本に忠実なファンタジー世界なのだろう」と。
魔法があって、魔物がいて、それを狩る冒険者がいて、彼らが所属するギルドがあって、魔王みたいな悪者がいて、そいつを討伐する勇者だっている。
幼いころからゲームや漫画に親しみのある日本人なら容易に想像できるファンタジー要素を、これ見よがしに詰め込んだ世界観。
だが、学者が言うには「すべてが逆」なのである
この世界にやってきた日本人が「なんてファンタジーっぽくない世界なのだろう」と思ったのかはわからないが、この世界の仕組みの発祥者はたいていが日本人なのだ。
先ほど使った念話機もそうだ。今俺が使っている銭湯もそうだ。
もっと広く言えば、ギルドを創設した人間は転生者だったらしい。
俺たちが暮らしている王国を立ち上げた初代国王も日本風の名前を持つ。
よって「すべてが逆」
『日本人が思い浮かべるファンタジー世界』
ではなく
『日本人が思い浮かべたファンタジーを詰め込んだ世界』
なのだ。
もちろん数ある説の一つに過ぎないが、こうまで日本人にとって快適な設備があるのだから、少なくとも信憑性はあるだろう。
ファンタジーにはそぐわないが、こういった快適さを追い求めざるを得ないのは日本人としての性なのかもしれない。
風呂から上がり牛乳を一杯。限界まで熱された体に冷たい牛乳が流し込まれる。
なんと素晴らしい瞬間だろう。
暖簾をめくると、先に風呂を済ませたパプカが俺を待っていたようだった。
湿った髪の毛にほのかに染まる頬と唇は、たとえロリっ子でもなかなか艶めかしく見えた。
「サトー、お風呂に入ってさっぱりしたことですし……久々に一杯やりに行きませんか?」
片手でくいっとお猪口をすくう仕草はちょっとオッサンぽくてどうかと思うが、彼女の意見には賛成だ。
俺は無言のサムズアップで意思を表明した。
ギルドはその役目を終えて、夜の酒場へとその身を変えていた。
冒険者たちはその日稼いだ金をすべてつぎ込まんとする勢いで酒を飲み飯を食っている。
「「乾杯!」」
ジョッキについだビールは俺の手に、パプカはオレンジ色の飲み物が入ったジョッキを片手に持って飲み会の始まりを告げた。
気に半分ほど飲み干すと、互いに大きな息継ぎをした。
「ぷっはぁ! あー……この一杯のために生きてるって感じがする」
「ジジ臭いことを言いますね。若いうちからそんなことを言ってると老けるのが早くなっちゃいますよ?」
「口の端からスルメを覗かせるロリっ子に言われたくはない」
パプカとはたまにこうやって飲み会を開く飲み仲間だ。
部屋がご近所と言うこともあり、時々愚痴を言い合いつつこのような場を設けているのだ。
パプカの愚痴の8割はゴルフリートに関することで、俺の愚痴の8割はとある赤髪のポンコツ冒険者についてである。
「あ、お酒きれちゃった……ウェイターさん! お酒追加で! あとケーキ! おっきな野苺が乗ったショートケーキをください!」
パプカの注文に気持ちよく返事をしたウェイターは、あっという間に注文の品を用意してテーブルへとやってきた。
こんな酒場でケーキを頼むのはパプカぐらいのものなので、用意してあるケーキは彼女専用なのだ。
よって注文が来ればノータイムでやってくるのである。
「はいお待たせ。野苺のショートケーキと、パプカちゃん専用スペシャルドリンクだ」
「おお! ありがとうございますウェイターさん! やはり一日に一回はここのケーキを食べないと締まりませんからね」
口いっぱいにケーキをほおばって、スペシャルドリンクで胃に流し込む姿を見ているとちょっと胸やけを起こしてしまいそうだ。
さっきまでスルメをかじってた口でよく食べられるな。食べ合わせは悪くないのだろうか?
ちなみに余談だが、彼女がお酒と思って飲んでいるスペシャルドリンクは、アルコールが一滴も入っていないただのジュースである。
年齢的には十分に酒を飲めるのだが、やはり容姿から酒を飲ませてはいけないという心理が周りに及ぶらしい。
でもまあ、ただのジュースでも十分にテンションが上がっているので、本人がおいしいと言っているなら問題はなかろう。
「しかし今日は大変でしたね。お父さんの悪ふざけはともかく、あんなに強いモンスターがいるとは想定外です…………やっぱり疫病神なんじゃないですか、サトー?」
「人聞きの悪いことを言うな。そこにいるだけで厄介ごとを引き付ける人間がそうそういてたまるかっての」
「あー……そういえば彼、最近見てませんね。南の方で火山の大噴火があったと聞いたので、今頃はそのあたりですか。ドラゴンの巣が壊れて、南側の街は相当厄介なことになっているそうですよ」
「いや、西方でゾンビが大量発生したって話もあるし、そっちじゃないか? ダークワイバーンとかリッチーが発生したらしくてさ、各支部からプリーストが招集されて中央も大変――だ、そうなんだけど」
おかしい。何か違和感がある。俺とパプカは首をかしげて互いを見合った。
「なんだろう、すごく嫌な予感がする」
「奇遇ですね。実はわたしも同じことを考えていました」
と言ったところで、その嫌な予感は的中する。
相も変わらず、素晴らしく早いフラグ回収だ。
酒場のドアが勢いよく開かれた。
と言うより、モヒカン頭の男が吹っ飛ばされた衝撃でドアがへし折れたというのが正しいだろう。
荒くれ物が多い冒険者たちだが、さすがにこの展開には皆驚いたらしく、一瞬で酒場の中は静まり返った。
そして、倒れ込んだモヒカンをまたぐように一人の少年が店内へと来店した。
「やれやれ、酔った勢いで女の子に絡んでんじゃねぇよ。面倒くさい」
入ってきたのは全身を黒い衣装で包んだ少年。
背中には体の大きさに見合ってない剣を携え、頭の上にはアホ毛を乗せたイケメンだ。
名をキサラギ・コースケ。
すごくわかりやすいが念のため説明すると――――彼は召喚者である
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