下請け偽装
翌朝一番、宮越から直々に調べてほしいと連絡があったので伊刈のチームは海老名建設の自社処分場の状況を確認した。宮越自身は前夜の追突事故の後始末に悩殺されていた。現地にあったのは二十メートル四方程度の穴で、そこに雑多な産廃が捨てられていた。新たに搬入されていた廃棄物は建設系の下ゴミを集めて潰したもので海老名建設の自社物かどうかは疑わしかった。
海老名建設は犬咬市内に本社があったので通告なしに立ち入りを断行した。海老名社長は在社していた。四十代前半の背の低いずんぐりとした男で、外見は大人しそうだが芯はなかなかしたたかな様子が伺えた。アポなしの訪問に最初は面食らっていたが、すぐに落ち着きを取り戻した。
「不法投棄なんかやっていませんよ。これをご覧ください」海老名が示したのは解体工事を下請けに発注するためのFAX送信票だった。
「これがなんの証明になるんですか」伊刈はわざと意味不明だと言わんばかりに問い返した。
「つまりね下請けの千賀(せんが)が解体した廃材をうちの処分場に搬入させてるんです。別にかまわないですよね」驚いたことに千賀は前夜にチームゼロのパト車のCR-Vが追突事故を起こしたダンプの名義会社だった。さらに千賀は森井町の六番の現場で拿捕したダンプの名義を持っていた房州重機の親会社だった。海老名社長にとっては痛恨の自殺点だったが、その重大さに全く気付いていなかった。
「現場に入っている下ゴミは千賀が入れたものだと言いたいわけですか」伊刈は千賀の問題にはあえて触れずに問いかけた。
「そうです」海老名はまだ自分が示した書類に自信がある様子だった。だが策に溺れるとはこのことだった。伊刈は長嶋と顔を見合わせた。
「この書類をお預かりして検討させていただいてよろしいですか」
「どうぞ。うちはやましいことはしておりませんから」
伊刈は書類の写しをもらって海老名建設を辞した。
「班長どう思いますか」Xトレールが駐車場を出るなり長嶋が伊刈に尋ねた。
「偽装工作の主導権が千賀にあると考えればトリックは簡単に解けるよ」
「もうちょっとわかりやすく説明してもらえないすか。自分はそういう知能犯みたいなことにはとんと疎いもんで」
「要するに元請と下請けを逆転させてるんだよ。ほんとの元請は千賀なのに書類上だけ海老名建設を元請にして千賀が下請けに入ったように偽装したらどうなると思う。海老名建設の自社処分場に千賀の産廃を海老名建設の自社物として捨てられることになるだろう」
「すんません班長、俺には難しいっすね」
「僕はわかりました」喜多が言った。「建設系廃棄物は元請が排出業者ですが下請も排出者とみなしてもかまわないことになっていますよね。ただし下請の産廃を元請の産廃にはできないです。だけどですね元請と下請を入れ替えてしまえばそれもできちゃいますよね。これはすごい偽装ですよ」
「ビンゴ」伊刈はうれしそうに応えた。「しかも今回のゴミはたぶん千賀が解体した自社物ですらないんだよ。千賀が収集運搬を受注した産廃を海老名建設の自社物に偽装して投げたんだ。つまり自社物偽装の不法投棄なんだよ」
「手が込んでるってことっすね」長嶋はまだ納得できない様子だった。
「そんな難しくないですよ。架空の注文書をFAXで流すだけで自社物偽装ができるなんて千賀も考えましたね」遠鐘もすっかりカラクリがわかったように言った。
「自分はまだよくわかりませんが千賀が犬咬の不法投棄の常習者の常連だったことは間違いないすね」長嶋もなんとなく偽装が見えた様子だった。
「つまりこういうからくりだと思うんだ。千賀は犬咬の不法投棄現場が閉まっていたときの予備に海老名建設の自社処分場を使ってたってたんだよ」伊刈はさらに推理を膨らませた。
「で、どうしますか班長」長嶋が運転しながらバックミラーに写った伊刈を見た。
「とにかく同じ手口を二度と使わせたくないな。千賀の本社はどこかな」
「印南村です」遠鐘が答えた。
「ちょっと遠いけどまだ県内か。立入検査をやってみるか」
「県庁の管轄すけど大丈夫っすか」長嶋がまたバックミラーを見た。
「県外だって行ってるのにいまさら県内に行くも行かないもないよ」
「それじゃ自分は房州重機と千賀の背景を洗っておきますよ。やばい連中だと困りますからね」長嶋は警察官らしい勘でなにかマルボーらしい匂いを嗅ぎ取ったようだった。
長嶋が調査したところ予想したとおり千賀の親会社の房州重機の足代社長はその筋の人物だった。千賀の社長は足代の倅で両社は同じ住所、経営も一体だった。リスクの高い業者だとわかったので伊刈と長嶋の二人だけで立ち入ることにした。房州重機と千賀の事務所はとても社屋とは呼べない駐車場の隅に建てた勉強部屋程度のプレハブ小屋だった。中には錆が浮いたスチール製の事務机が二つと粗大ゴミ置き場から拾ってきたようなレザーが破れかけた応接ソファがあるだけだった。立ち入りを通告しておいたので、足代親子がそろって待っていた。ほかに事務員はいなかった。房州重機の足代社長は坊主頭で恰幅のいい親父で見るからにはぐれ者だった。無精ひげを蓄えた倅は親父よりも一回り小ぶりなチンピラという印象だった。
「まあかけなよ」父親の足代が狭い事務所の半分を占有している古いレザーのソファに座るように促した。早くもただならぬ雰囲気を感じた長嶋はわざと足代社長の隣に座った。いざというときに側面から暴力を抑止できるそのポジションが好都合と即断したのだ。足代の倅はソファには座らずに事務所の奥で不機嫌そうな顔で立っていた。伊刈は血の気が多そうな倅の様子が気になったが長嶋は倅を無視するように背中を向けていた。
「さっそくですが海老名建設との取引関係がわかる帳簿のようなものはないですか」伊刈が口火を切った。
「あ?」足代はわざと聞こえないふりをした。
「千賀と海老名建設の取引を記録した売掛帳とかですが」
「んなものはないよ。現金だかんな」
「だったら現金出納帳はどうですか」
「それをなんにすんだよ」
「それがあれば千賀が海老名建設の解体工事を何件受注したかわかるじゃないですか」
「わかってどうすんだよ。うちには帳簿なんかねえな」
「海老名建設の処分場に何台運んだかわかる書類は何もありませんか。台数を確定しておきたいんです」
「なんで」
「海老名建設の処分場には何百台分も産廃が入ってるんです。これから撤去を命ずることになると思いますが千賀が入れた分が何台か確定しておいたほうがよくないですか」伊刈はちょっと微妙な言い方をした。
「そんならなんかあるかもな」足代社長は倅に指示してノートを持ってこさせた。
「こんなもんだな」足代社長が不用意に見せたノートには驚いたことに伊刈がほしい情報がすべて書かれていた。海老名建設の処分場に運んだ日付、台数、金額が手書きで記録されていたのだ。伊刈は無言で数字をメモした。
「つまりダンプ一台五万円、十六台で八十万円を捨て料として海老名建設に支払ったことになるんですね」伊刈は確認したばかりの数字を足代につきつけた。
「さあどうだかね」足代社長は答えをはぐらかした。見せてはいけないノートを見せてしまったことに内心は焦っていた。
「海老名さんの説明と違いますね」
「それじゃ海老名が嘘をついてんだろう」足代社長はわざと伊刈から目線を逸らした。
「聞きたい数字はいただいたので今日はこれで帰ります」そう言ったものの伊刈はすぐには立ち上がらなかった。
「また来るってことかい」
「犬咬に来なければこっちももう来ませんよ」
「なるほどそういうことか。ふうん」足代社長はボクサーのような眼光でぎろりと伊刈を睨みつけた。
「どうですか」伊刈は我慢して目をそらさなかった。
「わかった、もう海老名は使わねえよ。そのかわりおまえらもこれっきりにしときなよ」これ以上つっこむとただじゃおかないという威圧だった。
「そろそろ行きましょう班長」潮時だと思ったのか長嶋が伊刈に目配せして立ち上がった。
翌日、再び海老名建設を訪ねた。足代から縁切りを通告されたのだろうか海老名社長は青ざめていた。気の毒だがこうした連中とかかわって途中で抜けたら法外な落とし前を要求されることになる。予定の利益を上げられなかったのが損害だと因縁をつけられ、悪くすると会社も家も車も全部取られてしまうのだ。
「千賀は捨て料を払って産廃を入れたことを認めましたよ」
「嘘だろう」海老名は前回の余裕を失っていた。
「ダンプ一台五万円、十六台で八十万円払ったそうですね。これは立派な無許可処分業ですよ」
「倅が勝手にやったことなんだよ。俺は何も知らないんだ」海老名は小心者に特有の弁明を始めた。
「倅さんはどこにいるんですか」
「さあどこにいるのか」
夫が苦しい言い訳をするのを内装の子会社を経営している奥さんが不機嫌そうな顔で聞いていた。どうやら社長はやり手の奥さんに頭が上がらないのだ。千賀との危ない取引も倅ではなくこの奥さんの小知恵で始めたことかもしれなかった。
海老名建設はそれからほどなく倒産した。本業の建設業の経営不振が原因か、足代に落とし前をゆすられたためかわからないが、伊刈と長嶋が心配したとおり会社だけではなく自宅も車も何もなくなってしまった。もちろんやり手の奥さんには離婚された。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます