穴屋とのかくれんぼ

 昼間のパトロール中、伊刈の胸ポケットで携帯が震えた。

 「森井町で新しい穴を見つけました」安心警備保障の蒲郡部長からの連絡だった。蒲郡は現場叩き上げの警察官OBの勘で誰よりも伊刈を信用していた。

 「新しい穴? いつの間にですか。場所はどこですか」

 「西側の市道の坂道の左側です」

 「それだったら夜パトの張り込みに使ってた農道じゃないですか」

 「ええまさにそこです」

 「すぐ行きますから待っててください」

 現場に急行すると市道沿いの目立つ場所に安警のCR-Vが停まっていた。市道脇に確かに新しい穴が掘られていた。市道の坂を上りきったところから農道に僅か二十メートル入っただけの場所だった。夜パトを始めたときXトレールを停めた路肩から僅かしか離れていなかった。

 「昨日今日掘った穴じゃないな」穴をのぞきながら伊刈が言った。間口は狭いが奥は三十メートルの崖地で満杯にすれば五万立方メートルは余裕で入る大穴だった。坂を上がりきったところで急カーブしているため意外と盲点になっていて夜は坂下からも坂上からも穴があるのにこれまで全く気付かなかった。

 「なめてんな。夜パトやってるときからあったってことか。それで軽が様子を見に来てたんだ」伊刈は抉り取られた穴の縁から中を覗き込みながら自分の不注意にほぞをかんだ。この場所にはよくよく悪い因縁があるようだった。

 「たぶんだいぶ前からあいてた穴でしょうね」蒲郡が答えた。

 「手際のよさからするとここもギオンかもしれないな」長嶋も腕組みしながら穴を見下ろした。

 「穴に降りられませんか」喜多が言った。

 「こっち側からはムリですね。ほとんど垂直堀りですよ。奥の沢のほうから回り込めばあるいは」

 「行ってみましょう」伊刈を先頭にチームの三人と安警の二人が三十メートルの崖を降りた。崖下の沢に立つとひんやりとした秋の風が吹きこんできた。

 「やっぱりでっかい穴ですね」蒲郡が初めて下から見上げた穴の大きさに感嘆したように言った。

 「班長新しいゴミが入ってますね」喜多が産廃に被せた土を半長靴のつま先で蹴りながら言った。

 「あんまり崖に近付かないほうがいいですよ。ヤマが来る(崖が崩れる)と大変だ」蒲郡が喜多に注意した。

 「班長どうしますか」長嶋が伊刈を見た。

 「ギオンの現場をもういっぺん全部点検してみよう。宮越はチームゼロが三日間で不法投棄ゼロを達成したなんて報告してるみたいだけどそうでもないのかもしれないよ」

 伊刈のチームは森井町の北側農道沿いの現場に向かった。そこは門扉に閉ざされた自社処分場だったが手口の巧妙さからギオンの現場としてマークしていた。

 「班長、ダンプのタイヤ痕があります」喜多が言った。

 「まだ新しいな」伊刈は息を飲んだ。

 「見てきます」伊刈の指示を待たず遠鐘がひらりと門扉を乗り越えた。

 「どうだ?」姿を消した遠鐘に伊刈が塀の外から声をかけた。

 「細長い現場ですね。奥行きは百メートル以上あります」

 「ゴミはどう」

 「入ってます。十台くらいです。覆土してますがかなり新しいみたいです」

 「わかった今行くよ」

 伊刈も塀をよじ登った。長嶋と喜多も続いた。遠鐘が報告したとおり両脇を山林に縁取られた細長い陸上競技用トラックのような捨て場だった。門扉から数十メートルほどのところに一メートルほど盛土した場所があった。半長靴で土を蹴ると埋めたばかりのゴミが出てきた。紙くずがまだ真新しく活字がはっきり見えた。

 「最近不法投棄されたってことかな」伊刈は長嶋を見た。

 「ええそおっすね」長嶋が答えた。

 「どうしたらいいと思う」

 「ギオンだけでこれじゃ、ほかの穴屋も活動を始めたら事務所のパト一台じゃ止めようがないすよ。チームゼロにがんばってもらわないと」

 「チームゼロにできるかな」

 「ともかく今は夜パトにやってもらうしかないっすね」

 「もしかしたら夜パト作戦じゃだめなのかな」伊刈は額に右手を置いて考え込むように押し黙った。

 「宮越主幹なんだか変じゃありませんか」チームゼロの阿比留警部補がハンドルを握りながら宮越を見た。

 「何が?」

 「事務所の長嶋の報告だと不法投棄が再開してるっていうんですがダンプを全く見ません。平穏そのものですよ」

 「事務所が見つけたのは先月の不法投棄なんだろう」

 「長嶋がそんないい加減な報告をするとは思えません」

 「だったらたまたまだろう。ダンプを見かけないことはいいことだよ。そのための夜パトじゃないか」

 「はい、まあそうなんですが」

 チームゼロはそのまま夜間の巡回パトロールを続けたがダンプとは一台も遭遇しなかった。

 「いちおう現場を確認してみては」

 「そうだな」宮越も阿比留の意見に同意して車を降りた。夜半から雨が降り出し合羽を着ての現場確認となった。

 「宮越さん」安警の蒲郡部長から宮越の携帯に連絡があった。

 「どうしました?」

 「新しい現場です。産廃ダンプを追跡して見つけました。今動いてます」

 「ダンプが居たんですか。現場はどこですか」

 「森井町を抜けて西へ向かい、最終処分場のエコベストの焼却炉の脇道を入ったところです。自社処分場らしく入り口には海老名建設と書かれています」

 「そこはさっき回りましたよ」

 「見張られてるんですよ。チームゼロの車両が通り過ぎるのを待ってたように現場が開きました」

 「それならすぐに向かいます」

 「やめたほうがいいです。そっちの車は監視されてるんです。近付けば逃げてしまいます」

 「今もまだ監視されてるってことですか?」

 「ええそうですよ。逆監視ですよ。うちの車はうまく隠れてますがチームゼロの車は目立ちすぎですよ」

 「どうすればいいですか」

 「ご指示いただければうちの車で先乗りして現場の連中を足止めしておきます。その間に駆け付けてもらえれば」

 「わかりました。安警は十分後に先乗りしてください。チームゼロは二十分後に二台で向かいます。十分間だけねばってください」

 「わかりました」

 電話を切ると、宮越は深く息をついた。「阿比留さん、この車は逆監視されてるそうです」

 「そうじゃないかとは思ってました」阿比留は驚かなかった。

 「え、知ってたんですか」

 「市庁の車庫を出るときから変だと思いました」

 「車庫から」

 「ええ怪しい車がいましたからね」

 「そこまでやってるんですか」

 「宮越さん、こっちはたった十二人で八時間勤務だから実質四人、向こうは一現場十人で勤務時間なんかありませんよ。しかも現場はいくつもある。不法投棄ゼロなんてそう簡単なことじゃないんです」

 「簡単だとは思っていませんが」宮越は寡黙になった。

 「で、どうするんですかチーフ」阿比留はわざと大声でチーフと言った。

 「二十分後に猿楽町の海老名建設の処分場に踏み込みます。それまで逆監視車をひきつけてください」

 「わかりました。チーフもだんだん現場感がわかってきましたね」

 十分後、蒲郡から宮越に予定どおり活動中の現場に先乗りしたと連絡が入った。

 「阿比留さん、安警が現場を足止めしたそうです」

 「わかってます」阿比留が運転するパト車はUターンし、雨の中フルスロットルで猿楽町に向かった。もう一台のパト車も現場に向かように指示した。門扉に閉ざされた現場の前で蒲郡部長と長瀬川が作業員たちに囲まれていた。相手が何人だろうと警部時代にガマの異名をとっていた蒲郡はひるまなかった。門扉の奥には産廃を積み上げた小高いマウンドがあった。ユンボのコバルト色のアームも見えた。宮越を先頭にチームゼロの三人が駆け付けるのを見て作業員たちは目を見張った。警備保障会社には逮捕権がないと高をくくっていたが形勢逆転だった。もう一台はまだ到着しなかったが現場指導を開始した。

 「何やってんだ」阿比留警部補が最初に怒鳴った。

 「別になんもやってないすよ」作業員の一人が言った。

 「ここは許可がない捨て場だろう」

 「俺らには関係ないっすから」

 「じゃなんでここにいる」

 「ちょっと散歩っすよ」作業員はあくまで白を切った。

 宮越が蒲郡に近付いた。「どんな状況だったんですか」

 「うちが踏み込むと同時に門扉が閉まりましてね、こいつらが現場から出てきたんですが関係ないの一点張りでね。とにかく宮越さんが来るまでの時間かせぎと思って押し問答を続けていたんです」

 「なるほど」

 そこへ逆監視車とおぼしき黒塗りの古いセドリックが現場に到着した。捨て場の首謀者と思われる長身のヤクザっぽい男が降り立った。

 「なんの騒ぎだ」男が一括すると作業員たちが道を開けた。

 「あんた誰だ」阿比留が男に向き直った。

 「あんたこそ誰だよ」

 「警察だ」阿比留は警察バッチをかざした。

 「なるほど。で、オデコがなんの用だ」

 「ここはあんたの土地か?」

 「そうだけど何か」

 「門扉を開けられるか」

 「あいにくと鍵を忘れてね。ああ産廃の調査だね。うちも困ってんだ。誰かに棄てられちまってさ。警察の方でなんとかしてくれないかね」

 「しらばっくれるなよ。とにかく免許証を出せ」

 「俺は運転しないから免許証なんてないね」

 「どうでも名前を言わないつもりか」

 「名前くらいならね。嵐山って言います」語尾がちょっとしゃくれた。

 「京都か」

 「そうどすえ」嵐山はばかにしたように京都弁の女言葉を使った。

 「なるほどおまえがギオンか」

 「俺は祇園より先斗町が好きだねえ。さてともう引き上げてもいいかね、警部補殿。それとも逮捕しますか」嵐山は捨て場に居ただけで逮捕などありえないと知っている様子だった。

 「さっさと引き上げろ」

 「おい警部補殿が引き上げろってよ。さっさと消えろ」嵐山の号令で作業員たちはたちまち散り散りになった。

 「宮越さん、あれがギオンですよ。初めて見ました。なかなか姿を現さないやつでね、所轄も探してたんですがやっと面がわれましたよ」蒲郡が言った。

 「ギオンか」宮越はため息混じりに言った。

 「チーフ、二号車から電話です」ゼロのメンバーの一人が宮越に携帯を手渡した。

 「どうした?」

 「すいません、ダンプを追跡していて追突してしまいました。向こうが急ブレーキを踏んだものですから」二号車を運転していた坂城からだった。

 「はあ?」宮越は思わぬ事態に唖然とした。

 「ほんとにすいません。ダンプが急ブレーキを踏んだものですから」気が動転した坂城はまた同じことを繰り返した。

 「こっちの現場に合流するはずだったんじゃないのか」

 「ダンプを見つけたものですからつい追跡してしまいまして」

 「けが人は」

 「大丈夫です。ただCR-Vのフロントがかなりへこんじゃいました。フェンダーでタイヤがバーストしたんで走れません」

 「ダンプはどうなんだ」

 「見たところなんでもないですが弁償しろっていきまいてます」

 「会社か個人か」

 「千賀という会社名義なんだそうですがほんとは自分のダンプなんだって運転手は言ってます」

 「なんですぐに連絡しない」

 「すいません、気が回らなくて」

 「わかった、すぐそっちに行くよ。あ、それから警察も呼んでおけよ。事故証明が必要だぞ」宮越は冷や汗をぬぐった。事故を起こしたのは二号車でもチームリーダーの責任は免れなかった。

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