大手柄
夜勤明けの宮越が引継ぎのために産対課に上がってきた。いつもは日誌とキーを預けるとそのまま帰宅するのだが、今朝だけは違っていた。
「課長、朗報がございます」宮越は鎗田課長のデスクの前に立った。
「なんだね」
「昨夜のパトロールで不法投棄ダンプを一台も見かけませんでした」
「どういうことかね」
「犬咬の夜に平和が戻ったということです」
「まだ夜パトを始めて三日目じゃないか。そんなに劇的な効果があるものなのかね」
「はい私にも予想外の成果です」
「わかった。疲れているのに悪いがちょっと一緒に来てくれないか」鎗田は立ち上がって部長室に向かった。
風祭部長は応接で接客中だったが鎗田はかまわずに入室した。来客は古参の市議の御辻だった。
「ちょうどよかった。先生も聞いてください」
「なんだね課長、唐突に」風祭が御辻市議に失礼にならないかと顔をしかめて鎗田を睨んだ。
「私はかまいませんよ。鎗田さんどうかしましたか」御辻は社交的な笑みを絶やさなかった。他の議員より先に新鮮な情報を聞けるのは歓迎の様子だった。
「チームゼロがとうとう不法投棄ゼロを達成しました」
「何を言ってるのかね。まだ発足したばかりじゃないか」
「ですが夕べはダンプが一台も来なかったそうです」
「ほんとかね」
「宮越主幹説明して」
「はい」鎗田の背後に控えていた宮越が進み出た。「昨夜チームゼロ三班でパトロールを続けましたが、確認できたかぎり産廃ダンプの走行はゼロでした。現在環境事務所に指示を出して活動した痕跡のある現場があるかどうかを確認させておりますが、おそらく昨夜は不法投棄ゼロを達成できたと思います」
「なんと」風祭もさすがに驚いてすぐには二の句が次げなかった。
「部長お手柄ですなあ。不法投棄全国ワーストワンの汚名返上となれば次はもう総務部長ですなあ」御辻が囃すように言った。
「部長、市長レクの予定は取れるでしょうか」功をはやる鎗田がたたみかけた。
「まあ待ちたまえ。まだ昨夜一晩だけのことだろう。せめて一か月はゼロが続かないと市長には報告できんよ。ぬか喜びになってもまずいだろう」
「それはそうですが市長にご一報だけでも」鎗田は部長の慎重な姿勢に不満そうだった。
「瞬間的にでもゼロは快挙だよ。これまで十年間産廃ダンプの走らない夜はなかったからね」御辻が言った。
「この状態を続けて必ずや年間不法投棄ゼロを達成します」鎗田は自信ありげに言った。
「不思議なもんですなあ風祭さん。夜もパトロールをする、こんな簡単な解決策にどうして十年も気付かなかたんですかなあ。まさにコロンブスの卵じゃありませんか。次の市議会には報告願えるんですか。いやいっそ私が質問しましょう」御辻は質問のネタを握って快哉の表情だった。
「もちろん先生に質問をお願いできれば願ったりかなったりです。市議会はちょうど一か月後です。そのころにはチームゼロの成果もはっきりしているでしょうからねえ」
「久しぶりに明るい話題ですな」御辻は質問のネタができたことに満足して立ち上がった。鎗田と宮越が最敬礼で市議を見送った。
「先生に聞かせたのはまずかったんじゃないかね課長」風祭部長は崩していた相好を真顔に戻して言った。
「どうしてでしょうか」
「これで市議会の質問日まで公表できなくなったじゃないか。しかももしも夕べの状態を維持できなかったとしたらかえって攻められるよ」
「そんなことはないかと」
「とにかく朗報は朗報だ。君たちには大いに期待しているよ」
「おまかせください」鎗田は苦い表情を隠して一礼し部長室を後にした。
「宮越主幹、県庁から電話です」課に戻ったばかりの宮越にチームゼロの日勤メンバーから声がかかった。
「県庁?」
「小糸さんという方です」
「ああ小糸か」宮越は受話器を受けとった。
「宮越さんとんでもないことになってます」電話口の小糸が言った。
「どうした」
「犬咬で夜パトを始めたおかげで周辺の市町村で不法投棄が急増しているんです」
「どういうこと?」
「どうもこうも宮越さんが一番状況はわかってるんじゃありませんか。それでうちの課長が犬咬で何をやってるのか説明に来てほしいっていうことなんですが、これから来られますか」
「これからか。今日は夜勤明けの非番なんだよ」
「課長がかんかんですよ。そんなに犬咬が気に入ってるなら一生居続ければいいって」
「それは困るなあ」
「老婆心ですがやっぱり今日のうちに来た方がよくないですか」
「わかった行くよ」宮越は帰宅するふりをして鎗田課長には説明せずに県庁に向かった。
産業廃棄物課で宮越を待っていたのは逸見課長と不法投棄監視室長の船形主幹だった。
「宮越副主幹」船形はわざと宮越を県庁での役職で呼んだ。市庁でどんな役職をもらおうと県庁では関係なかった。「犬咬で何をやってるか教えてもうらおう」
「十月から夜パトを始めたのはご存知だと思いますが」寝不足もあって宮越はいくらか憮然としていた。
「それはわかってる。どんな体制でやってる」
「十二名四班です。毎晩二班が八時間ずつ回ります。夜六時から朝八時までの十四時間ですから二時間は重複します。夜食のための休憩時間が一時間あります
「一班が夜六時から朝三時まで、もう一班が十一時から朝八時までってことか」船形が問い直した。
「そうです。不法投棄が一番多い夜十一時から朝三時までは二班体制です」
「考えたな」
「そうでもないです。県庁でも頼んでいる安警の監視記録によって決めました」
「市が夜パトを始めたおかげで隣接の地域で不法投棄が増えてるってことはわかってるのか」
「それはしょうがないんじゃないですか」
「おまえ県職員じゃないのか。県と市と連携をとるべきだろう」
「県も夜パトを始めると聞いていますが」
「それは来年の四月からだ。いますぐにってわけにはいかん」
「前倒しはできないんですか」
「人事とかけあったがムリだそうだ。一人二人ならかまわないが十人以上となると定数条例を改正しなければならん。そう簡単にはいかんよ。警察からの出向だって右から左にはいかんだろう」
「市だってそこは同じですよ」
「とにかく三月まで今の状況じゃもたん。どうしてくれるんだ」
「こっちこそどうすればいいんですか。市の夜パトはいまさらもうやめられませんよ」
「四月になれば市と同じ夜パトチームを二十四人体制でスタートさせる。なんとかそれまで持たせられんか」
「いきなり二十人四ですか。市の倍ですね」
「そうだ。それくらい必要だろう。それまでのつなぎとして安警の夜パト予算を倍増する。とりあえず予備費で対応して十二月補正に盛り込む」
「倍増っていうと」
「一日四班だ。そのうち二班を犬咬周辺の専属にする。ついちゃあおまえに頼みがある」
「なんですか」
「安警と連携して市外に追い出したダンプを県外まで追い出してほしい」
「そんなことできませんよ」
「やってもらわないと困る」
「ですが」
「うまく行けばおまえを主幹のままで本課に戻すと課長がおっしゃってる。そうですね課長」
「宮越さん」逸見課長がゆっくりと口を開いた。「犬咬で不法投棄がゼロになっても県全体で減らなければ意味がありませんよ。県全体でゼロにしましょう。犬咬で半年間実績をあげていただき、その経験を県の夜パトチームに伝授して欲しい。いきなり室長とはいきませんが犬咬での経験を生かして県でも主幹としてチームを率いてもらいたいんです」
「それじゃ四月に県に戻れと」
「早ければね」
「でも今度は隣県で不法投棄が増えてしまいませんか」
「隣県でも夜パトを始めればいいでしょう。やってもらえますか」
「わかりました。できるだけ安警と連携して周辺の市町村まで追ってみます」真っ赤に充血した目をこすりながら宮越ははっきり答えた。そうは言っても具体的な策があるわけではなかった。複雑な心境で産廃指導課を辞したときには眠気はどこかにすっとんでいた。
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