四十八時間パトロール

 「伊刈、今夜も夜パトできるか」朝一番に車を戻しに事務所に出勤した伊刈に仙道が言った。

 「え、連ちゃんですか。事務所は週一の約束じゃないんですか」

 「清宮警部が是非にってことだ。夜間道路検問をやるんで車が一台でも多いほうがいいらしい」

 「かまわないですよ。メンバーはどうしますか?」

 「おまえと長嶋はいったん帰って寝てから来い。遠鐘は日勤からそのまま連続夜勤だ」

 「遠鐘さんは二十四時間勤務になりますが、大丈夫ですか?」

 「サブロク(労働基準法第36条による労使協定)違反だがしょうがない。遠鐘には車中で寝てもらえ」

 「遠鐘さんはいったん帰ってもらって僕が日勤しますよ」

 「それじゃおまえが四十八時間勤務になるじゃないか」

 「班長ですから。それに居眠りは得意芸です」

 「なるほど。わかった、じゃそれで行こう。こんなことは今回かぎりだと本課には言っとくよ。向こうはきっちり八時間のシフトを組んでるのに事務所が四十八時間勤務ってのは納得できん。しかも手柄はみんな本課に持っていかれちまう。槍田課長は夜パトのプレス同行も認める方針らしい。パフォーマンスにもほどがある」

 「いいじゃないですか。デモンストレーション効果は無視できません」

 「昼間はおまえだけだがパトロールはどうする」

 「森井町の新しい現場だけは確認しておく必要がありますので一人で行ってきます」

 「過労運転はだめだ。俺が運転する」仙道が言った。

 「わかりました」

 「いいか現場には絶対に一人じゃ行くなよ。どうしてかわかるか」

 「いえ」

 「一人は殺せるが二人は殺せない」

 「そんなぶっそうな現場じゃないですよ。それに昼間は誰もいませんし」

 「誰もいないから危ないんだ。わかってないなおまえ。産廃をなめるなよ。夜パトが始まって向こうも殺気立ってる今が一番危ないんだ」

 「わかりました。それじゃ運転お願いします」

 段取りが決まると帰宅する者、パトロールに出かける者、それぞれの支度を始めた。

 「班長昼間もパトロールしてたってほんとっすか」夜パトのために夕方出動してきた長嶋が心配そうに尋ねた。

 「大丈夫、昼休みは寝てたし、これからまた仮眠をとるよ」

 「できるだけ寝てください。いざというとき班長が元気じゃないと困ります」

 「今夜は清宮警部が全体指揮を執るってことだから僕の出る幕はないよ」

 「道路検問は十一時でしたね。それまでどうしますか」

 「森井町の夕べの現場をブロックしよう」

 「ああそれがいいっすね。それなら班長も寝られますね」

 「そういうわけじゃないんだけどね」長嶋は余計なパトロールはやらずに森井町に直行し農道の現場前にXトレールを停めた。十一時の道路検問のために工業団地に移動するまで、この現場だけはやらせない。

 「班長がんばりますね」後部座席で爆睡している伊刈を尻目に遠鐘が長嶋に言った。

 「夕べの暴走の失敗を気にしてるのかもな」

 「その武勇伝喜多さんに聞きました。班長は気が短かすぎです」

 「それがいいとこなんだよ」

 「本課はどうなんですか。昨日の今日で功をあせりすぎじゃありませんか」

 「ここだけの話だけどさ、清宮警部はここで実績を上げれば次は警視だからな。それにはあと二か月だから」

 「え、どうして二か月ですか。まだ二月の警察人事まで半年近くあるじゃないですか」

 「警察の実績評価は十一月までなんだ。それが二月の人事に反映される」

 「もしかしてそれで十月にチームゼロの発足ですか」

 「そいつはどうかな。市長直々に本部長にかけあったのはほんとうだけど、その前に清宮警部がかなり根回ししたことはしたんだ。清宮警部だけじゃない。本部の生安課長の出世だってかかってんだ」

 「なんかそう聞くと空しくないですか。班長が聞いたら激怒ですよ」

 「班長には内緒にしとけ。だけど実績を上げた者が出世して俺はいいと思うよ。俺なんかは何をやったって万年警部補だけど警部になるとまた違うんだろうな」

 「役所と警察は違いますね。こっちは出世するには何もやらないことが一番なんです」

 「そんなことはないだろう」

 「役所で出世するのに手柄は要らないんです。失敗しないことが大事なんです」

 「なるほどな。じゃうちの班長はだめだな。だけど本課の課長や県から来た宮越ってやつはずいぶん出世にこだわっているようじゃないか」

 「ああ、あの人たちはそれでいいんじゃないですか。本庁と出先、配属が決まった時点で勝負はついてます。出先の手柄も本課の手柄のうちですよ」

 「俺はうちの班長が実力じゃ一番上だと思うよ。昨夜の運転だって半端な根性じゃできないな。命をかけてないと相手に伝わらない。班長が警察官なら絶対特進ものだと思うよ。うちの班長にはヤクザものだって一目置くだろうよ」

 「それ聞かせたいですねえ」

 「だめだめ寝かせとけ。班長はこれで案外ほめるとのぼせるほうだからな」二人の会話を知るや知らずや伊刈は後部座席で泥人形のように爆睡していた。

 「いまどんな様子だ」清宮警部から長嶋の携帯に連絡があったのは夜十時過ぎだった。

 「森井町で昨夜活動した現場を監視中です」

 「東部工業団地のロータリーにダンプが集結してる。予定を早めて団地内道路を封鎖するから援護してもらいたい」

 「了解しました。十五分で行けます」

 「道路封鎖はイチマルヨンマル(十時四十分)に決行する。事務所は岩篠交差点方面から団地の東側入口に向かってもらいたい。以後連絡は安警のトランシーバを使う」

 「了解しました」

 清宮は袋小路になっている工業団地内道路にダンプを囲い込んで一網打尽にする計画だった。

 「ダンプが八台になりました」安警の蒲郡部長からトランシーバに一斉通報があった。

 「予定は変更なし」清宮警部が慌てずに指示を出した。

 「了解しました。そちらの突入を待って援護します」蒲郡が応答した。

 「長嶋さん、僕に運転させてください」通報が終わるのを待って伊刈が運転席の長嶋を見た。前夜の失敗を取り返したい意欲がありありと見えた。

 「大丈夫すか?」

 「寝たから元気になった」

 「わかりました、お願いします」長嶋は逆らわずに車を路肩に停めて伊刈と運転を代わった。作戦行動が始まったら上司に四の五の言わないのが警察官の鉄則だ。

 いよいよ工業団地封じ込め作戦の決行時刻が到来した。

 「突入」清宮警部の号令で四台の車両が工業団地のロータリーを二方向から封鎖し、あっさりと溜まっていたダンプ六台を拿捕した。

 「二台が町道から逃亡しました」安警の蒲郡部長が封鎖線を突破して逃げるダンプの車影をとらえて一斉通報した。

 「わかりまた。事務所車で追跡します」伊刈は清宮警部の指示を待たずに封鎖線から離脱し逃亡したダンプの追跡を開始した。

 「どっちに行ったんすかね」工業団地出口の交差点で国道方面かダンプ街道方面かナビ役の長嶋は一瞬迷った。

 「こっちですよ」伊刈は信号の少ない国道とは反対方向の逃走路を選択したと即断しノンストップでハンドルを左に切った。小さな集落を抜けて広域農道に出る長い下り坂まで来ると、坂を降りきった遥か先にダンプ二台のヘッドライトが見えた。

 「班長、気をつけてください」長嶋が叫んだ。

 「大丈夫、追いつけるよ」伊刈はフルスロットルで下り道に突っ込んだ。スピードメーターの針は百四十キロをオーバーした。路肩もろくにない細い市道では限界を超えたスピードだった。伊刈の体内をめぐるアドレナリンも限界に達した。荒れた路面で車体が軋み硬い後部座席のシートの上で遠鐘の体がバウンドした。それでも誰も伊刈のスピード違反をとがめなかった。まさか追っ手があるとは思わなかったのかダンプはスピードを緩めて農道を流していた。坂道を降りきった後はダンプのテールがみるみる近付いてきた。

 「産廃街道に出る前に追い越しをかけて検問します」

 「ムリしないでください」長嶋ははらはらしながらも伊刈の運転技術に託した。

 「大丈夫です。慎重に行きます」

 伊刈がパッシングするとパト車とは知らずに後ろのダンプが道を譲った。伊刈はすかさず前に出て、さらに前のダンプも追い越すと道路の真ん中でXトレールを停めた。二台のダンプはやむなく急停車した。

 「産廃のパトロールです。しばらく動かないように」道をふさいだXトレールから飛び降りた伊刈は先頭のダンプの前に仁王立ちになった。すぐ後ろで長嶋が警察バッチをかざしダンプを路肩へ誘導した。いくら夜中の田舎道でも道路の中央を占拠するのはまずかった。遠鐘は付近の住宅の表札から停車位置を確認した。

 「降りろ」長嶋は二台目のダンプの運転手を先頭のダンプの前に連れてきた。先頭のダンプの運転手はまだ運転席でぐずぐずしていた。

 「お前も降りろ」警察バッチの威力で先頭の運転手もようやく観念した。

 「工業団地にいただろう。どうして逃げた?」長嶋が職質を始めた。

 「たまたま通りかかっただけっすよ。なんか事件なんすか」先頭のダンプの運転手は、パト車と気付かずにXトレールに道を譲ったのを後悔するようにアスファルトの路面を蹴った。二人の運転手の人定をとっているところへ清宮警部の乗ったCR-Vが到着した。

 「長嶋よく捕まえた。こいつらは俺が引き受ける」

 「うっす」長嶋は最敬礼した。

 「おまえらはいったん工業団地に戻れ。もうすぐ花山(警部補)が到着するから現地で引継ぎだ」

 「了解です」長嶋は命令どおりにXトレールの運転席に座った。

 「班長戻りましょう」遠鐘にうながされ伊刈も車に乗り込んだ

 「なんかあっけなかったな」緊張が解けた伊刈が言った。

 「ダンプ八台は大手柄すよ」長嶋が応えた。

 「現行にするんですか」

 「いや人定を取るだけで今夜は帰します」

 「じゃ前回と同じだ」

 「そうでもないっすよ。後で所轄が呼び出す予定です。チームゼロができてわが社(警察)も士気が上がりましたよ」

 「ていうか班長もそうですが、みんなアドレナリンが出すぎですよ」遠鐘が冷静に言った。「四十八時間勤務なんて無謀です。それにさっきの班長の運転正気じゃなかったです」

 「ごめん、もうやらないよ」伊刈は遠鐘の説教にたじたじだった。

 翌日、昼間のパトロールに出かけると、どこでも前夜の道路検問の噂で持ちきりだった。

 「昨日、大捕物をやったそうですね」パトロール中に立ち寄った柿屋の柿木が開口一番に言った。

 「うれしそうじゃないか」夜勤から連続日勤になった長嶋が挨拶した。

 「だって不法投棄が減ればこっちの仕事が増えるから大歓迎ですよ」

 「新聞にも載らないのにどうして夕べのこと知ってるんですか」喜多が疑問を投げた。

 「みんな知ってますよ。無線聞いてますからね。あんたらが検問を始めた二時間後には群馬のダンプも今夜の犬咬はすごいことになってるって知ってたそうですよ」

 「無線の情報伝達力ってそんなにすごいんですか」

 「あんたらだって聞いてんだろう」

 「まあそうですが聞かれてることわかってるのに平気なんですか」

 「そんな細かいこと気にしてちゃあゴミは運べないよ。それはそうとあんたらのボスはどうしたね?」

 「班長なら家で寝てます」

 「ほうなるほど。じゃ今夜は回らないんだね」

 「今夜も回る班があるよ。もう犬咬じゃできないってみんなに言っておけ」長嶋が答えた。

 「そうすねえ、こりゃあいよいよ根気競べになってきたねえ」柿木は意味ありげな笑みを浮かべた。

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