チームゼロスタート

 産業廃棄物対策課の課員定数を変更する市条例が九月市議会に上程され、なんにでも反対票を投じることが慣習になってしまっている左翼野党まで賛成して満場一致で可決され、十月から「チームゼロ」が発足した。いきなり課員が十二名も増え、県警からの現役警察官の出向も二人から六人に増員された産対課は一躍環境保全部の筆頭課に躍り出てしまった。それどころか今や市庁内で一番目立つ課だった。負け戦が一転して勝ち戦となれば官民問わずこんなものである。十月一日の辞令交付式はさながらチームゼロの発足式となった。市長が辞令を手渡すのは幹部職員に限られているのだが、チームゼロだけは特別で十二名全員に三条(みすじ)市長がじきじきに辞令を交付した。さらにチームが被るために新調したグリーンのパトロールキャップまで市長がチームリーダーの清宮警部に手渡すという演出ぶりだった。帽子の金糸のエンブレムは宮越が知人のデザイナーに依頼したもので、ロゴの周りに鷲の翼が描かれ蹄が取り縄を掴んだ図案だった。宮越には昇格の辞令が合わせて交付され名実ともに清宮警部に次ぐチームの司令塔になった。チームゼロへの辞令交付の模様はプレスにも公開され、翌朝の新聞の地域面には三条市長がチームに辞令を交付するシーンの写真付きで女性中核市長が不法投棄撲滅に乗り出すという見出しが踊った。鎗田課長のパフォーマンスは大成功だった。

 初日は、昼間の現場の状況を十二人全員で確認した。翌日には早くもチームゼロの夜パトがスタートした。警察なら危険な現場に出す前に最低三か月は缶詰研修するところだが、素人をいきなり第一線に配置するのがお役所ならではの能天気さだった。もっとも翌週から法律の研修だけは用意されていた。

 夜七時、チームゼロのパト車二台が東部環境事務所の駐車場に到着した。初夜間パトロールには事務所も参加することになっていた。駐車場にたまたま出ていた伊刈が一人でチームゼロを出迎える役になった。チームゼロ専用車として入札によって納車されたダークグリーンのCR-Vは、白が多い公用車には珍しくなかなかかっこよかった。チームゼロのメンバーは環境担当にお決まりのグリーンの作業服ではなく夜闇で目立たない濃紺の制服を着ていた。足元は編み上げの半長靴で固められズボンの裾は靴の中にまとめられていた。事務所が使っている普通の半長靴の方が現場をパトロールして回るだけなら使い勝手がいいが、編み上げの方が走りやすいから警察的にはこれだなと伊刈は変なところに感心した。伊刈を見とがめて珍しく宮越のほうから近付いてきた。入庁以来ずっとエリートで出先の経験がほとんどなかった宮越は犬咬への出向も県庁での出世のワンステップとしか考えていないに違いなかった。どう考えても現場好きだとは思われなかったが年度途中で主幹に昇格してチームゼロの実質的な指揮官になったことをとりあえずは喜んでいる様子だった。市に出向中だけのこととはいえ出先で部下が三人だけの伊刈とは二ランク役職が離れてしまった。

 「事務所の分の帽子です」宮越はロゴ入りのパトロールキャップを六つ伊刈に手渡した。

 「これが話題のロゴだね。悪くないじゃない」あえて尋ねもしなかったが余分な二つは所長と技監の分だろうと伊刈は解釈した。

 「別にお世辞はいいよ」宮越はいつものように偉そうだった。これが彼の弱点だということに本人は全く気付いていないし気付こうともしなかった。

 「事務所に入りませんか。この時間はもう誰もいませんけど」

 「事務所からは誰が参加しますか」

 「私と長嶋、それに喜多の三人です」

 「わかりました。せっかくですからお邪魔します」市に出向して半年目にして初めて宮越は東部環境事務所に入った。他のチームゼロメンバーも宮越の後に続いた。まるで本社社員が子会社に行幸するみたいだった。宮越と清宮警部以外の四人のメンバーは新顔だった。四人のうちの二人が警察官なのは挙動ですぐにわかった。市職員の二人は転勤早々の夜パトに戸惑いを隠せず環境事務所の外でも中でもきょろきょろと視線が定まらなかった。警察官の二人はさりげなく状況を確認しながら表情を相手に読ませない訓練を受けていた。事務所内は照明が半分落とされ仙道のデスクの周辺だけがスポットライトを浴びたように明るくなっていた。市もISO14001の認証を受けていたので夜になると不必要な照明を消すように励行されていた。本庁はともかく出先はたいてい無視していたが環境事務所だけは生真面目にルールを守っていた。仙道は今夜のパトロールには参加しなかったがチームゼロの初陣を歓迎するために居残っていた。

 「ご苦労様です」清宮警部から先に仙道に声をかけた。人徳者で知られる警部に偉ぶるところはなかった。

 「たのもしいお姿ですな。期待していますよ」仙道が立ち上がって出迎えた。

 「仲間内でお世辞はやめましょう。今夜の段取りを簡単に決めておきませんか」やっぱり宮越は偉そうだった。

 「こちらへどうぞ」仙道は打ち合わせテーブルに六人を案内した。喜多が先回りして明りを灯けた。

 「新米のチームゼロとしては、夜パトの経験のある事務所に参加していただいて頼もしいかぎりです」

 「足手まといにならんといいですけどな」仙道は清宮警部のお世辞には乗らずに謙遜した。

 「事務所には一番たいへんな森井町を担当していただこうかと思っています」清宮は本題に入った。

 「森井町だけですか」伊刈はせっかくの夜パトが始まっても指揮権は本課にあり、事務所の判断で自由な動きができそうにないと悟って不満そうだった。

 「安警の報告でも最近森井町の動きが活発のようです。事務所には森井町の活動を阻止していただきたい」

 「ダンプを見つけたらどうしますか」伊刈が尋ねた。

 「チームゼロの目的は不法投棄を未然に阻止することであって検挙じゃありません。ダンプを捕まえるということにはこだわらないでください」

 「なるほど、それがチームゼロの基本方針ですな。警察とは違うというわけだ」仙道が感心したように言った。

 「森井町だけでも複数の現場があります。事務所の車一台でどうやって止められますか」伊刈は具体的な作戦がないのかと迫った。

 「それは長嶋がわかっていますよ」質問した伊刈ではなく清宮警部は長嶋を見た。長嶋は上司の前で表情を微塵も変えなかった。

 「森井町全体というのは漠然としすぎています。どこかターゲットを決めたほうがいいんじゃないですか」伊刈は納得しなかった。

 「伊刈さん、チームゼロは警察ではないが警備会社でもない。現場での動き方は事務所のご判断にお任せします。これから長い戦いになります。今日はまだ初日です。今夜だけで不法投棄問題が解決するわけではないです。とにかく毎日のパトロールを積み重ねていきましょう」清宮警部は落ち着いていた。

 「見せるパトロールでもいいのでしょうか」長嶋がようやく発言した。警部の前で警部補が発言するのは異例のことだった。この二つの役職の間にはジェット機とプロペラ機くらいの差があるのだ。

 「それってなんですか」伊刈が真顔で長嶋を振り返った。

 「班長これはですね、わざとパトカーを目立つように巡回させる方法です。検挙はできませんが不法投棄を未然に断念させる効果は期待できます。それになんといっても安全ですし車両が少なくてもできます」

 「目立ってしまうと無線でたちまち通報されてしまいませんか。パトロールしていることが相手に知れたらチームゼロ全部の車両の作戦にも影響しませんか」伊刈が疑問を投げかけた。

 「ご心配には及びません。まさにそれがチームゼロの狙いです」清宮警部は相好を崩した。「ぜひ目立つようにやってください。ダンプが逃げてくれるのは大いに結構。パトカーがどうして白黒のツートンになってると思いますか。あれが夜は一番目立つんです。パンダやシマウマと同じですよ。見せパトでかまいませんよ」

 「おもしろいでなあ。見せパトですか。警察でもそんなパトロールをするんですなあ」仙道がますます感心したように言った。

 「要するに相手を上手に逃がせばいいんですね。それならできそうだ」伊刈が負け惜しみのように言った。

 「そうとも言えますね」

 「ですが犬咬から追い出しても他の地区で不法投棄をやったらどうされますか。他の市や県からブーイングが来ませんか」

 「伊刈さん、それがまさに警備というものなんです」清宮警部が伊刈をたしなめるように言った。

 「どういうことですか」

 「警備の目的は検挙ではありません。警備区域から追い出すことができればいいんです。それ以上を望んではいけません。まずそれができなければなんにも始まりません。犬咬から隣の市に追い出すことができたなら同じことを隣の市でも県でもやればいいのです。県から追い出すことができたなら、関東から追い出すことも日本から追い出すこともいずれできるでしょう」

 「そしたら次は中国ですか」

 「伊刈さん焦ってはいけませんよ。われわれはまず犬咬から追い出せるということを証明してみせましょう。チームゼロがパトロールしている地区で不法投棄ゼロを達成すれば、そこから流れが変わるでしょう」

 「わかりました」さすがの伊刈も清宮警部の理路整然とした答弁にはもはや返す言葉がなかった。

 「あの一つ質問なんですが、何かトラブルが起こったときには所轄に駆け付けてもらってもいいでしょうか」喜多が自身なげに発言した。

 「それはわざわざ言われなくてもまさに警察の仕事じゃないでしょうか」清宮警部が即答した。

 あれだけ威勢のよかった宮越が打ち合わせ中は何も発言しなかった。現場のことがわからなかったのである。

 「班長どうしますか」運転席の長嶋が後部座席の伊刈を振り返った。仙道技監がいないので事務所のパト車は伊刈が指揮官だった。警察官の信条として指揮官が絶対である。

 「見せパトもいいけどさ、やっぱり捕まえなくちゃ面白くないな。どこかで待ち伏せしてみよう」

 「わかりました」長嶋は森井町を縦貫する市道の入口にXトレールを潜ませた。伊刈は自前のハンディレシーバーのスイッチを入れてダンプ無線をサーチした。無線は傍受できたが不法投棄と直接結びつく通話は拾えなかった。伊刈の携帯が鳴動した。

 「安警です。いまどちらにおられますか」チームゼロが発足しても予算が削られなかった安心警備保障の蒲郡部長も本格夜パト初日に参加していた。

 「森井町で張り込んでます。東側の坂の途中です」

 「それじゃ反対側だ。北側農道の出口の六番の現場はご存知ですか」

 「ええ日和見的に活動している古い捨て場ですね。最近は活動がなくノーマークですが」

 「今ダンプが入ってるようです」

 「ほんとですか。それじゃすぐに行ってみます」

 「お願いします。こちらは岩篠へ移動します」

 長嶋が運転する事務所のXトレールは安警の情報をもとに北側農道に東側から進入した。未舗装の細い農道を五百メートルほど進むと鉄板敷きの仮設の進入路があった。農道からはダンプは見えなかった。ヘッドライトを消して進入路をゆっくりと進むと奥に山林を円形に切り開いた平場があり、深ダンプが三台きれいに並んで待機していた。長嶋はヘッドライトを上向きに点灯しXトレールをダンプの前の目立つ場所に停めた。ヘッドライトに照らし出されたダンプのフロントガラスの中で運転手の目が光った。携帯で誰かに通話中だった。Xトレールを降りた三人はいっせいにダンプへ走り、三人の運転手の職質を同時に始めた。

 「市庁のパトロールです。免許証を持って降りてください」伊刈は一番右のダンプを担当した。

 「え、なんで? なんか悪いことしたの?」窓から伊刈を見下ろした運転手の受け答えは場慣れしていた。

 「ここは不法投棄現場ですよ」

 「そうなの? 知んなかったよ」

 「産廃を積んでるみたいだけど荷台を確認してもいいですか」

 「急いでんだよ。もう行っていいかな」

 「オペを待ってたんでしょう」

 「オペってなんだよ、ここは病院か」

 「冗談はやめましょう。ここで何してたんですか」

 「道に迷っただけ。今連絡がついたとこだから」

 「誰に電話してたんですか」

 「会社だよ。会社の指示で運んでんだから」

 「こんな夜中に」

 「運送業の稼ぎ時は夜だろう」

 「それじゃ会社のダンプってことですか。それとも個人のですか。ナンバーから調べればわかることだけど調べるまでここで待ちますか?」

 「めんどくせえな。会社のだよ」

 「なんて会社ですか」

 「房州重機だよ」

 「三台とも同じ会社ですか」

 「ああそうだよ」

 「道に迷ったって言うけどどこへ行くつもりだったんですか」

 「会社に聞いてくれよ」

 「免許証と車検証見せてくれますか」

 「ちぇ、ほんとにめんどくせえなあ」運転手はダッシュボードをさぐって車検証と免許証を出した。伊刈は懐中電灯で車検証を照らした。

 「会社のダンプだって言いましたよね。でもこの車検証会社の名義じゃないですね」伊刈は車検証の名義をすばやく控えた。

 「会社じゃローン組めねえから俺の名前を貸したの。だけど俺のダンプじゃねえよ」

 「じゃローンを会社が払ってくれてるわけですね」

 「そうだよ。だけど会社辞めたらお前が残りは払えってさ。それがいやなら辞めんなとよ」

 「それで不法投棄をやれって言われたんですか」

 「産廃なんか運びたかねえのに社長に嵌められたんだよ」

 「つまり不法投棄と知っててやってるんですね」

 「そういう意味じゃねえよ。たとえばの話だろう。俺は不法投棄かどうかなんてなんも知んないよ。運べって言われたもんを運ぶだけだわ」

 「ダンプはあなたの名義なんだから売ったらどうですか。ローンの残債よりダンプの評価が高ければ手元にいくらか残るでしょう。それで足を洗ったらいい」

 「あんたそんな簡単に言うけどよ、社長おっかないんだよ。ダンプ売ったことばれてみろ殺されんぞ」

 「今日はここには産廃は下ろせませんよ。会社に戻ってもらえますか」

 「ああわかったよ。今日はやんないよ」

 職質を終えた長嶋と喜多が伊刈のもとに戻ってきた。

 「班長どうっすか」長嶋が先に声をかけた。

 「房州重機だってさ」

 「会社の名前うたったんだ。さすがっすね。二台目はしゃべりませんでしたよ。自分のダンプだの一点張りでね。会社の名前を言わないように含められてんですね」

 「三台目もです」喜多が言った。

 「一台目はバカか新米かってことかな」

 「それは言い過ぎじゃないっすか」

 三人の背後でダンプのエンジンが震えヘッドライトが灯った。

 「もう帰っていいっすか」先頭ダンプの運転手が運転席から身を乗り出すようにしてじれた声で言った。

 「ちゃんと帰ったかどうか、あとで房州重機に連絡するぞ」長嶋が怒鳴るように言いながら道を空けた。真っ黒なダンプの車列が巨象の行進のように動き出し、暗闇の中で車体をゆらせながら農道へと戻っていった。

 職質を切り上げて森井町北側農道を戻ろうとすると対向してくる軽自動車があった。

 「黒いアルトかな」

 「いや赤いミラですよ」目のいい喜多が伊刈の見立てを訂正した。

 「夜だと赤も黒もわかんないね」

 ヘッドライトが届く距離まで来ると赤い三菱ミラが急停車し猛スピードでバックを始めた。迷いのない運転だった。

 「すごいドラテクだ」伊刈が感心したように言った。

 「慣れきってますね」長嶋がアクセルを踏み込んだがついていけなかった。

 「あのドラテクじゃどっちみち追いつけませんね。こんな細い道は軽の方が有利ですよ」喜多が言った。追跡をあきらめて指導に戻ろうとした時、ダンプのタイヤ痕を発見した。生乾きのタイヤ痕は近くの自社処分場の門扉の下からが伸びていた。

 「さっきはなかったですよね」喜多が言った。

 「いつの間に」長嶋が運転席のドアを開けタイヤ痕の泥を触りながら言った。

 「まさかここ動いたんじゃないだろうな」伊刈は真っ先に車を降りて門扉を調べた。

 「施錠されてるけど藪をかき分ければ入れそうだな」長嶋を先頭に藪の中から現場に入った。門扉の中は間口三十メートル奥行き三百メートルほどの細長い捨て場だった。覆土用の赤土が山際に大量にストックされていた。置きざりにされたユンボのエンジンがまだ暖かかった。活動したのは三十分以内のはずだ。ユンボのバケットの先に何か埋めた形跡があった。覆土は十センチしかなく上を歩くとふかふかとバウンドした。つま先で蹴飛ばすと廃プラスチックがぞろぞろ出てきた。

 「こんなに几帳面な不法投棄をやるやつがいたとは驚きだ」伊刈がしゃがみこんで足元の産廃を確かめながら言った

 「確かに丁寧な仕事だな」長嶋がユンボの車体番号を控えながら言った。「重機の借主を調べればわかるだろうが、これはギオンの手口すね。どんなに時間がなくても手を抜かないのがやつの真骨頂ですよ」

 「ギオンって?」伊刈が聞き返した。

 「新顔の穴屋で所轄が注目してます。関西からの流れ者で無線名がギオンだそうっす。本名はまだわかりません」

 「京都のギオンですか」喜多が聞き返した。

 「ここらへんでギオンというと椿海市の祭のことかもしれないよ。喧嘩で有名な祭なんだ」

 「班長地元の情報に詳しいですね。女でもできましたか」長嶋が山勘でかまをかけるように言った。

 「ギオンてどんなやつですか?」喜多はギオンにこだわった。

 「所轄もまだよく素性を知らないんです。捨て場に近付かずどこかで遠隔操作をしているようなんすよ」

 「姿を見せずに夜パトの隙をついて覆土までして帰るなんてまるで透明人間みたいですね」喜多が妙なたとえをした。後に犬咬最強の穴屋と言われるようになるギオンは始めたばかりの夜パトに既に適応している恐るべき穴屋だった。

 森井町を縦貫する市道の固定監視を始めて三十分もしないで伊刈はいらいらし始めた。何もせずにただ交差点や現場前に居続ける固定監視は張り込みや警備でじっとしていることに慣れている警察官には苦ではないが、短気な伊刈の性分には合わなかった。わざと目立つように農道に停めているXトレールの前の市道を何度か黒いアルトが通り過ぎた。夜はほとんど通行する車両がないのでアルトの動きは扇動的に見えた。

 「あの軽もしかしてこっちを挑発してるんですか」喜多が軽の様子にたまりかねて言った。

 「あれはアランのアルトすよ」とっくに軽の存在に気付いていた長嶋が落ち着いて言った。「固定監視は正解でしたね。こっちが隙を見せればやられますね」

 「アランも無線名ですか」伊刈がほとんど聞き取れないくらいの早口で尋ねた。

 「アランはアフガン人のムハンマド・アッラームの通称です。犬咬で唯一の外国人穴屋ですよ。もしかしたらギオンの斥候を引き受けているのかもしれません」長嶋が説明した。

 「今度来たら追い散らしましょうか」伊刈がじりじりしながら言った。

 「現場を離れたらそれこそやつらの思う壺です。ここにいると決めたら動いてはだめっす」立ちんぼ(警備)の仕事に慣れている長嶋は微動だにしなかった。その時土浦ナンバーの深ダンプが一台現場の前を通過した。捨て場を探しにきた流しのダンプのようだった。

 「車借ります」我慢の限界に達していた伊刈はXトレールの運転席に飛び乗った。

 「あ、班長」長嶋が叫んだ。

 「ちょっとだけです。ダンプを追わせてください」伊刈が遠ざかるダンプのテールを凝視しながら叫ぶのが半ドアの隙間から聞こえた。

 「動いてはダメです」

 「お願いします。十五分で戻ります」

 「しょうがないすね」長嶋が喜多に目配せし二人もXストレールに飛び乗った。

 尾行の技術などない伊刈がぴったりとダンプのテールについたので、さすがに運転手も追跡に気付いた。ダンプは川をこえて隣県に渡り、海岸沿いの工業団地の区画道路を時間潰しに巡回した。

 「班長もう気付かれてますよ。持ち場に戻りましょう」長嶋が心配そうに声をかけた。

 「せめてこの一台だけでも追い返したいんです」伊刈はアクセルを緩めなかった。

 ダンプは急発進、急停車、蛇行、信号無視を繰り返し、何度も県境の橋を渡って追跡を振り切ろうとした。どんどん危険な行動がエスカレートしていった。たが頭に血が上ってしまった伊刈は追跡をやめなかった。一時間近くも追い回しているとダンプの運転者も諦めて北上を開始した。戦意喪失したのか危険運転はしなかった。それでも伊刈は追跡をやめず、つくま学園都市までダンプを追っていった。とうとうダンプは薄暗い路上に停止し動かなくなった。ようやく熱が冷めた伊刈は森井町の持ち場に戻った。

 「班長、何か入ってます」持ち場の農道脇の穴を覗き込んだ喜多が叫んだ。

 「ギオンにしてやられましたね」長嶋がうなった。

 「たった一時間ですよ。すごいですね。これがギオンのお手並みですか」喜多が感心したように言った。

 「ダンプはたぶん三台すね」長嶋がタイヤ痕跡を確認しながら言った。

 「班長、下に降りてみますか」

 「そうだなあ」長嶋の忠告を聞かずに持ち場を離れた自分の油断が原因で不法投棄されてしまった伊刈は穴の縁で呆然としていた。指揮官失格だった。

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