母は政略結婚を選んだ

めめ

どうして

 幼いころ。

 たしか雨が降っている日に、私は尋ねたことがある。


「ねえママ。どうしてママは、パパみたいな人と結婚したの?」


 父は日本でも有数の大手企業の社長だった。

 毎日世界中を飛び回り、何週間も父の顔を見られない日が続いていた。

 父が会社で重要な立場にいることもその忙しさも知っていたけれど、その時の私にとって、自分より仕事を選ぶ父が少し恨めしかったのだ。


 家庭を母に押し付けているように思える父を、私はどこか遠い人だと感じていた。

 だから、そんな父がどうして母のような人と結婚できたのか、幼い私は知りたかった。


「あら、由美はまだ知らなかったかしら」


 窓の外を見つめる母が口を開いた。


「政略結婚、というものがあるの。あの時、好きな人がいたのだけれど」


 私はドラマで見たことがあった。

 力を失いかけた家が、何とかその地位を維持しようと金持ちや政治家の息子たちに娘を押し付けるのだ。

 その際、娘の声は誰にも聞いてもらえず、歳の離れた有力者の男を夫と呼ばされ、その家の姓を名乗らされた挙句、実家には帰してもらえない。

 両親と他の兄弟たちが幸せになれるならと自分を無理やり納得させ、馴染めない家庭で夫に尽くす日々が始まるのだ。


 たしかに母と父の歳は随分と離れているし、それこそ父娘と間違われることもあるくらいだ。

 母はいつも父の帰りを心待ちにしていたものだから、そのような理由で結婚しただなんて信じられなかった。


「小さな町工場でね、大手企業との契約一つでどうにか生活ができていたの」


 社長という立場を利用する、よくある話だ。


「家族の生活を天秤にかけられたら、そりゃあ結婚するしかなかったもの。好きだった人のことも忘れなくちゃならなかったわ」


 と、窓の外で雷が轟いた。

 まるで心の叫びを代弁しているようで、すぐには耳から離れてくれなかった。

 いつもなら怖がって母に寄り縋るところだが、その時の私には、苦しそうなのにどこか余裕を隠していそうな母の方が不思議と恐ろしく感じられて、手を伸ばすことができなかった。


「そうやってママは」


 怖がらなくてもいいのよと言いたげに、母の手がそっと私の頬に触れた。


「何もかも失ったパパを手に入れたの」

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