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ゴールデンウィークが終わり、その次の週末。
俺はおばさんの紹介の物件を内見しに出かけた。山下のマンションからは電車で2駅。出発する前にちらっと見た限り、やはり山下は寝室にこもっているようだった。
内見先の物件の持ち主は、やはりおばさんだった。また見分けのつかないおばさんが増えてしまった。物件は築年数こそ古かったが、しっかりリノベーションされていて悪くない雰囲気だった。広さも山下家ほどではないにせよ上々で、家賃もだいぶ安くしてもらった。ここで決まりだ。
おばさんの世間話を流しつつ契約を進め、引っ越しの日時を決めて帰途につく頃には、すでに日がだいぶ傾いていた。
山下のマンションへ戻ると、またしてもおばさんに捕まった。今回はさすがに覚えている。物件を紹介してくれたおばさんだ。名前はやはりわからないが。
「あら、山下さんとこの。今日内見だったわよね、どうだった?」
「すごくよかったんで、決めてきちゃいました。紹介してくれてありがとうございます」
ちょっとだけリップサービスも加えて俺は答えた。すごくいいという程だったかはともかく、感謝しているのは本当だ。
「そう、よかった! ってことは、もうすぐ引っ越すのね。寂しくなるわぁ」
これもリップサービスが含まれているのかもしれないが、それでも俺は少し嬉しかった。長い長い世間話にはうんざりすることもあったが、お世話になったのも確かだ。もうこのおばさんの話に付き合うこともないのだと思うと、少し寂しい。そう考えると、最後に聞いてみたいことに思い当たった。
「あの、1つ聞いてもいいですか? 山下さんに聞いてみたかったんですけど、失礼かなと思うと聞きにくくて」
「もちろん! ぜひ何でも聞いて」
おばさんは嬉しそうに答えた。考えてみれば、俺の方から話題を振ったのなんてこれが初めてかもしれない。おばさんにも少し失礼なことをしていたかなと思いつつ、口を開いた。
「山下さんって、何でスキンヘッドなのか知ってますか?」
割と思い切って言ったつもりだったが、おばさんはきょとんとしている。なんだそんなことか、というところだろうか。しかし、おばさんの返事は、俺の質問への答えではなかった。
「何言ってるの?」
「え?」
「山下さん、きれいな長い髪だわ。女性らしくてすごく素敵じゃない」
俺は言葉を失った。
怪訝そうにしているおばさんとの会話を強引に打ち切り、俺はその場を離れた。急いで部屋へ戻ろうとしたが思いとどまり、近所のファストフード店に一時退避した。
山下は女性じゃない、どうみても男だ。じゃあ、おばさんの言う「山下さん」は一体誰だ? 髪は部屋にこもるようになってから剃ったのかもしれない。だが、性別はどう説明する?
山下が俺に嘘をついているのは間違いない。一方で、俺よりずっと前からあのマンションに住んでいるおばさんが知っているということは、あの部屋に「山下さん」が住んでいたことも間違いない。ということは。
山下は、山下ではないのか?
俺の知る山下が実は山下ではなく、あの部屋に住んでいた本物の山下さんに成り代わっているとすれば辻褄は合う。
だが、なぜだ? なぜそんなことをして、そんな嘘をつき、そしてなぜわざわざ俺と同居なんかしたんだ?
脳裏に、自称山下の不自然な行動が次々と蘇る。風呂もトイレもあまり使わない。出かけることもほとんどない。自炊もせず、出来合いのものばかり食べる。自分が使ったあとだけ念入りに掃除をする。
俺よりも先に住み着いていたはずなのに、俺よりも明らかに部屋の施設を使っていない。
まるで、痕跡を残さないようにしているみたいだ。
そこまで考えて、強烈な悪寒が俺の背筋を走った。自称山下は自分の痕跡を消しながらあの部屋に住み、俺を招いて自由に暮らさせた。つまり。
俺はろくに手を付けなかったハンバーガーをゴミ箱にぶち込み、ダッシュで店を出た。マンションへの短い道のりを全力で走り、階段を駆け上る。もどかしい気持ちでドアを開け、この約1ヶ月で初めて、山下の寝室にノックもせずに踏み込んだ。
日中はいつも寝室にこもっている山下はしかし、いなかった。それどころか、山下の存在を示唆するものはすべて持ち去られ、寝室はもぬけの殻になっていた。残っているのは、冷蔵庫だけ。
山下は、この部屋にいたのは俺だと錯覚させたかったのだ。それはなぜか。
山下は、俺がここに来る直前の3月末、冷蔵庫を新しく購入した。それはなぜか。
その答えは、目の前の真新しい冷蔵庫の中にある。
冷蔵庫の最下段、冷凍室を恐る恐る開く。女性らしい長い髪を備えた美人と目が合った。顔以外もも一緒に収められているようだが、全容が見えるほど開く度胸は俺にはなかった。
すべてをなすりつけられたことを悟り、俺は一歩後ずさりし、崩れ落ちた。
奇妙な同居人は、物言わず虚空を見つめている。
山下との同居生活 @munomuno
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