雨の日
久しぶりに夢を見た。
俺にとって嫌な夢だ、元カノで、今では弟の彼女の一ノ瀬優奈との夢、今まで付き合ってきた中で一番長く、そして現在進行形で思いを寄せている相手との付き合っていたころの夢、普通に喫茶店でご飯を食べたり、水族館に行って初めて手を繋いだり、何気ないことで笑いあったり、相手につらいことが起きたら自分も悲しくなったり。
そんな普通でありきたりで、とても幸せな日々だった。
だから、今では手に入らないものだからこそ嫌な夢なのだ。
帰り道に急に雨に降られて濡れながら帰った時もある、その日はかなりの大雨で雷も酷く、停電も起きた。
帰りのバスを待つ余裕もなく、初めてラブホにとまったときは本当に心臓がはち切れそうなほど緊張した。
まぁ、結局勇気が出なくて致すまでには至らなかったのだが。
そういえば……
急な雷の音で目が覚めた、あれからどれくらいたったのか覚えてはいないが、少なくとも外は暗く、恐らく一時間ほどは眠っていたと思う。
リビングの窓は強風でガタガタと揺れて、雨が窓に叩きつけられて雨音が暴力的に聞こえるほどの大雨。
「そういえばあの時もこんな雨で……」
その瞬間、近くに大きな落雷が鳴り響いた。あまりの大きさに体が強張る、
「とりあえず電気でも、って点かない?」
何度電気のスイッチを押しても電気が付く気配がしない、恐らく先ほどの大きな雷で停電が起きたのか、それとも強風で電信柱が倒れたのか。
どちらにせよ、今はまだ動く気にはなれなかった。
脳が考えることを放棄して、意識もぼうっとする、そんな微かに残っている意識の中、先ほど鏑木に言われた言葉がフラッシュバックする。
今の俺には凶器のような言葉は、しっかりと弱い俺の心を突く。
はっきり言って俺はクズで、弱虫だ。そんなことはわかってるし、それを指摘されたところで痛くもかゆくもないが、どうにも引っかかる。
俺と鏑木は所詮三か月彼氏彼女の関係だったくらいで、互いのこと等それほど知らないはずで、
それなのに、何故か鏑木の言葉は重く感じられ、まるで魚の骨が喉に引っかかっているかのようなモヤモヤだけが残ってしまう、それに、モヤモヤはそれだけではない、
「優奈、泣いてたな」
もう一つのモヤモヤ、優奈の泣き顔が頭の中に浮かび上がる。
そんなはずはない、と自分に言い聞かせる。今は弟の彼女なのだと、自分とは全く関係ないのだと。
なのに、
「……なんでそんな表情するんだよ、そんなのまるで」
俺のことが好きみたいじゃないかよ、
そんなありもしない考えが頭に浮かぶ。
雨音がまた強くなる、それと同時に誰かの駆け足がリビングに近づいてくる。
乱暴に開けられた扉の向こうには、
「兄さん、優奈がいない!!」
焦った表情の弟がいた。
************
急な雨に降られて近くの公園へと逃げ込んで見たものの、かれこれ二時間、雨は止むどころか激しさを増していくばかりで私は途方に暮れていた。
「はぁ、なんでこんなことに」
そんな私の独り言は激しい雨音のせいで誰にも届かない、少し寂しい気持ちを吐き出すように大きなため息をつく。
そういえば前にもこんな雨が降っていたような、まだ太一と付き合っていたときのデートの帰り道だった気がする。
急な雨に降られて初めてのラブホに入った時はまだ覚悟はできていなくて、恐怖で体が震えていた、そんな私の頭を太一は優しく撫でながら、震えているのが寒かったと勘違いしたのかはわからないが、羽織っていたジャケットを私にかぶせてくれた、おそらく優しい太一のことだからそんなエピソードを覚えていたりはしないのだろう。
ただ私は今でもそんな些細な太一の優しさの一つ一つを鮮明に覚えている。
「好きだったなぁ……」
いや、好きなのか。
触れられるとドキドキして、他の女の子と話しているとヤキモキして、話すだけでその日一日幸せな気持ちになるのだ。
まるで学生同士のピュアな恋愛のようだと自分で恥ずかしくなるほど私は太一が好きなのだ。
だからだろう、鏑木さんとキスをしている場面に遭遇した後、何も考えられず家を飛び出してきてしまったのは今思えば私のただの醜い嫉妬なのだろう。
「あぁ、ほんとに何してるんだろう」
すっかり冷えてしまった体を温めるために自分自身の体を強く抱きしめる、だけど寒さは誤魔化せても虚しさは消えてはくれない。
瞬間、私の近くで大きな雷が落ちた、
「もうやだ」
雷が苦手であるはずなのに、今では何も感じない。
いっそこのまま雷に打たれて消えてしまえれば、なんて馬鹿なことまで考えてしまう。
こんな時、太一ならどうするだろうか、あの時と同じように震える私を抱きしめて優しく撫でてくれるのだろうか。
そんなありえもしないことを妄想しながら一向に止んでくれない雨雲を見つめていた。
「大丈夫!?」
何度目かの落雷の後、びしょ濡れで息を切らしている太一が現れた。
「なんで!?」
本当はうれしい、泣き出してしまいそうな程に、それでも私にそれを言う資格は無い。でも自然と涙はこぼれてくる、
「なんでって、ふざけんなみんな心配してるんだぞ!」
「別に探してなんて頼んでない!」
嘘だ。本当は来てくれて嬉しい。
「……弟の彼女に何かあったら」
その言葉の後、私の中の何かがはじけた音がした。
「だったらなんで太一が来るの! なんで……」
神様は意地悪だ、
「私が今一番合いたい思っていた人がくるの!?」
「え、それって……」
もうだめだ、後戻りはできない。
気が付けば、私は太一の胸に飛び込んでいた、涙を見せないように、顔を押しつけながら、太一はそんな私を抱きしめてはくれず、ただただ私が離れるのを待っていた。
そんな微かに離れた曖昧な距離でようやく気が付いた、本当にこれは終わってしまった恋なのだと。
************
急に抱き着いてきた優奈を俺は引きはがすことが出来なかった、本当ならここで引きはがすのが弟の兄として正解なのだろう。
でも抑えられない、泣き出している彼女を見ているととめどなく愛しさがあふれ出してきて何も考えることが出来なくなってしまう
。
俺は今どんなを顔をしているのだろう、雨に打たれて指先の感覚がなくなってきている。俺でこうなのだから優奈はもっと冷え切っているのだろう。
そんなことを考えていると、優奈は俺から離れ只真っすぐに俺の目を見つめた、
「もう大丈夫」
その瞬間、今までで一番強い雷が閃光を放ちながら周囲に激しい振動を与えた、
雷が大の苦手である優奈はその雷をものともせずに俺を見つめ、
「今ままでありがとう」
そう告げた優奈の顔は妙に晴れやかで、気味が悪くなるほど綺麗だった。
その言葉を告げた後、嘘のように雨はやみ、優奈は俺に背を向けて歩いていく、本当なら追いかけていくところなのだが、何故か動き出せない。
俺に背を向けて去っていく優奈が優奈じゃないような気がして声をかけることも出来なかった。
雨上がり特有の肌のべたつきが気にならないほど、その時の俺は決して取り戻せない何かを感じてしまったのだ。
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