接近
人は気まずさが最大値に達すると思考回路が働くなるらしい。
言い訳の言葉も思いつかないほど追い詰められた状態、それが今だ。
これが友達とかに見られた程度のことならば少々噂されて済む話なのだが、今回はそうではなく、よりにもよってバーサーカー鏑木、弁明したとしても制裁は免れない、と思っていたのだが。
「まぁ、見てればわかるし」
そう鏑木は言った、鏑木曰く俺の優奈を見つめる視線や、仕草が、そう言っていたらしく、久しぶりに会った温泉での時から俺と優奈が昔そうゆう関係だったのではないか、と感づいてはいたらしい。
その後も凶暴化することなく、俺は初めて鏑木という女と文化的な会話をしていた。
「てか、昔の女がまだ好きなんだ。未練たらたらって女々しい」
「いや、言い返す言葉もないけど」
「それで今は弟の彼女? ほんと、救われない」
そんな会話をしていると少し違和感を感じた。
今まで鏑木は俺と会話をするとき、言葉の節々に異常なまでの独占欲を感じざるを得なかったのだが、今ではどうだろう。
独占欲というよりも、完璧に冷めた感情しか感じない。目の前の鏑木は本当に鏑木なのだろうか? そう思っても仕方がないレベルで。
「鏑木さん?」
「私のことはほのかでいいよ、前はそうだったでしょ?」
「いや、なんていうか。おかしくない?」
「何が?」
本当に何を言っているのかわからない、という表情のままの鏑木に俺は少し恐ろしさに似た何かを感じていた。
「なんか、さっきまでとは別人だなって」
「別人も何も、これが本当の私だよ、……あーさっきまでの私は演技、その方が面白いかなって」
「は? どうゆう……」
問いかけを言い切る前鏑木は真剣な表情で俺に告げた。
「だから、これからは演技の私じゃなく、本当の私を知って欲しい」
「何を……」
その瞬間、俺の唇に何かが触れた。
あまりの出来事に一瞬思考回路が停止した、だが目の前の鏑木はおかしそうに笑っていた。
「本当にキスするかと思った?」
俺の唇に触れていたのは鏑木の指だった。
「好きでもない女にキスされそうになってよけないって、それでまだ優奈ちゃんのことが好きだって本気で言い切れるの?」
「そ、それは……」
鏑木はおかしそうに笑った、完全に今俺は鏑木に振り回されている。
そう思った時には時既に遅し、鏑木の後ろのリビングのドアが開いていた、そしてそこに立っていたのは、
「ごめん、お邪魔みたいだね」
何故か今にも泣き出してしまいそうなほど弱々しく見える優奈だった。
駆け出してどこかに行った後、リビングには痛いほどの沈黙が訪れた、言い返すことのできないクズな俺は、何も出来ずに天井を見上げた。
数秒ほど立っただろうか、スッと俺に背を向けて出て行く鏑木が
「それであんたはどうすんの?」
その言葉の返答を返すことができない俺は、これで何回目かになるかもわからないため息をこぼす。
鏑木はそんな俺を見つめ、呆れた様子でリビングを去っていった。
「本当、どうすんのこれ」
床に寝そべりながら瞳を閉じた。
************
sideC鏑木ほのか
今まである一人を除いて他人に興味を抱いたことなどなかった。
子供の頃はよく大人達から大人しい子だね、とよく可愛がられていたが、わたしから見れば大人はただの生きて行くための道具程度にしか思えなかった。
それはわたしがスカウトされてアイドルになってからも同じで、笑って踊っているだけでお金がもらえるなんて簡単な仕事だと本気で思っていた。
実際興味などなかったのだが、他に退屈を凌げそうなものが存在しなかったから、ただの暇つぶし程度に始めた仕事であったがアイドルの仕事はそれほどつまらなくはなかった。
そんな時、いつもライブに来る所謂アイドルオタから酷いストーキング被害に遭い、私は泣く泣く活動を自粛せざるを得なくなった。
しかしそれでストーキングが終わる訳でもなく家の外に出ればもうそこにそいつはいて、手を出してくる訳でもないが非常に気味が悪かった事を覚えている。
そこでようやく自分はこんなにも弱いのだと、初めて自覚した。
だけど気づいた時はもう既に遅く、私はある日のコンビニからの帰宅途中、男に捕まった、その男は私のデビュー当初からのファンだというストーカー男で、肌は汚く体臭も酷い、その時私はその男が悪魔に見えた、口を開くたび異臭を放つ唾が顔にかかり、何度も吐き気を催した。
魂胆は見えていた、おそらく私の体が目的なのだろうと、この悪夢から早く覚めるためにはそれしかないのだと、諦めるしかなかった。
これから起こるであろう事態を深く考えたくなくて目を閉じた、荒い息遣いが徐々に近くなる、そんな時、
「そ、そこどいてぇぇ!!」
その言葉の後、甲高いブレーキ音がして、私を抑え込むストーカー男が地面に倒れこむ音がした。そして目を開けると、
「とりあえず乗って!!」
自転車に乗った冴えない男がいた、その時は少女漫画でよくある白馬の王子だとか運命の人だとか思わなかったけれど、少なくとも地面に倒れこんでいるストーカー男よりはましだということは把握できた。
「え……」
有無を言わさず自転車の荷台に乗せられ、彼は勢いよくペダルを踏みこむ、後ろに人を乗せているため何度もバランスを崩しかけたが慣れているのだろう、どことなく安心感があった。
そして数分後、自転車は止まり、彼は一息ついてから、
「危なかったね」
そういって曇りのない笑顔でそういった。
その瞬間、私の中の何かがはじけた気がした、人前で泣くなんて思ってもみなかったが、生憎今は夜、少し遠くにある電灯に憤りを覚えたが彼の胸にすがり涙と鼻水でびしょびしょなシャツをみて少し引いていた彼だったが、やさしく、ただ優しく頭をなでていてくれた。
「家まで送るよ?」
「……大丈夫」
せめてもの抵抗、最後まで人に甘えるわけにはいかないという意地は震えている足を見られて却下された。最後まで顔を見せないように下を向いていたので正体はばれてはいないと思う、がさすがに恩人にお礼は言わなくては、なんて思いながら家の前まで到着した、それでも下を向いたままの私に彼は
「これ、勇気が出るお守り。弟からもらったやつだけど俺はもういらないからさ、君にあげるよ」
そういって私の手首に真っ赤なミサンガを巻いてくれた、
「あったかい」
「え? そんな効果ないと思うけど……」
初めて顔を上げた時、彼は困った表情をしていた、そんな人間の表情を初めて愛しいと思えた。その後彼は何かを思い出したかのように急いで去っていったが、私の手首にまかれた真っ赤なミサンガはとても温かくてまた少し涙が出た。
それから二か月がたってようやく復帰できたアイドル家業の最初の握手会で彼と再会した、友人に無理やり連れてこられたのか、いやいや他のアイドル達と握手していく彼を見て、初めて嫉妬した。
色々な感情を教えてくれる彼のことをもっと知りたくて気が付けば告白をして付き合っていた。
「はぁ、やっぱりわたしって弱いな」
さっきまで彼にきつく当たっていたことが嘘みたいにへなへなと廊下に座りこむ、実際あんなことを言うつもりはなかった。
ただ、私よりも優奈を選んだのならばシャンとして誠実に向き合って、昔私を助けてくれたようにかっこよくいてほしかった。
今は足首にまかれた真っ赤なミサンガをなでて、心を落ち着ける。
「それ、僕が兄さんにあげたミサンガだね、妬けちゃうなぁ」
「あんたには関係ないでしょ」
「うわひどい、それにしても兄さんは罪作りな男だね、こんなに可愛い女の子を悲しませてさ」
彼の弟はにこやかに笑いながら私を見つめた、ただ、実際は何とも思っていないのだろう、一度じっくりと話し合ったからわかる。
この男、今井裕司は兄の幸せしか考えていない変態だ。
この男が何を考えどうしたいのかなんて、共犯者の私にもわからない。
ただ、一つ言えるのは。
「まぁ、兄の幸せに誰かの犠牲はつきものだからね、せいぜい頑張ってよ。僕の自慢の兄のために」
この男は極めて危険だ。
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