06 金髪×金髪=不仲

 家を出る定刻まで残り五分。お嬢のお陰で準備時間が短縮され、軽く身支度も済ませることができたため、後は親友のケースケを待つだけとなった。


 なるなるは普段お嬢と学校に通い、俺は週に三日ほどケースケと通っている。ケースケが週に三回しか来れないのはサッカー部の朝の練習があるためだ。


「おーいアイトー」


 丁度タイミングよく、朝だと言うのに無駄に元気なケースケの声が、玄関外から俺らのいるリビングまで聞こえた。俺はケースケを出迎えるために、席を立ちあがり玄関に行く。


「ちょっと待っててくれ。今鍵開けうっ――」


 サムターンを縦から横にひねろうと、手をかけた時。


 最後の言葉を言い終える前に、何者かに襟の後ろををぐいっと引っ張られて息が詰まった。なるなるはそんなひどいことをするわけがないので、当然、ミセスサディスティックのお嬢で確定である。


「ダメに決まってますわ!」


 背後でお嬢ができるだけ声を押さえて叫ぶ。


「お……お嬢、さ、すがに……死んじゃ、う」


 お嬢が立ち上がろうとする俺の襟を後ろに精一杯引っ張るものだから、俺の喉が緊急事態にさらされていた。しかしそんなもがき苦しむ俺の姿にお嬢が気が付くこともなく、ただひたすら必死に殺人を犯そうとしていた。


「ん? おーいアイト?」


 一向に開かないドアを見て不思議に思ったのか、ケースケがこんこんとドアを叩いた。


 なんとか指でつかんだサムターンをかちっと横に曲げればドアは開くのだが、首が絞まっている俺にそれをする猶予はなかった。とりあえず今は息をすることが精一杯なのだ。


「なぜ家に入れますの⁉ あの無能猿がこの状況を見たら、また忌々しい勘違いを起こしますわ!」

 

 ドアの向こう側にいる無能猿――つまりはケースケのことであるが、そのケースケに聞こえないようにお嬢は大きなひそひそ声で静かに激昂した。


 お嬢とケースケは俺を介して知り合いであり、お嬢曰く「二番目に嫌い」な人らしい。一番は誰なんだろうね。俺は知らない。


 まあ確かに『城ヶ崎カレンが一ノ瀬愛人に味噌汁をつくった』というこの状況を見れば、ケースケがお嬢と俺が恋人の関係にあると勘違いしてしまうのも仕方がない。


 そしてきっと、リア充で友達の多いケースケのことだから、その情報は刹那的に学内に広まるだろう。


 お嬢的に、それはどうしても回避したいらしい。


「とにかくっ! 隠れる場所は⁉」

「……」

「はあ、何も言わない気ですの⁉」

「……」 


 何も言わない気じゃなくて、ただ君のせいで声がでないだけだよ。あと俺の家は忍者屋敷じゃないんだが。


「こういう時だけ黙り込むなんて卑怯ですわ!」


 お嬢はさらに強く襟を引っ張った。そろそろぽきっと首が折れそう。


 それはともかく。


「……」


 どうやら限界が来たらしい。玄関で酸欠になるなんて、世界広しと言えども俺くらいしかいないだろう。


 慌てふためくお嬢。慌てふためく俺。言葉の使い道は違えど、どちらも玄関先で慌てふためく二人。……何やってんだ、俺ら。


 現在なるなるは二階で制服に着替えているため呼ぶことができない。


 ……ということは自動的にあの男に頼るしかない。ヘルプ……ケースケ、俺の命はお前に託された……!


 俺は最後の力を振り絞って、サムターンを横に曲げた。


「なんで開けたんですのー⁉」


 お嬢はさらに襟を引っ張った。しかしすでに酸欠になった俺には何の効果もない。いや、首が折れそうなのは置いといて。


 ……ってかここまで引っ張っといて破れない制服の強度にはひたすら感心する。是非軍隊の制服にお勧めしたいね。


 ガチャリと鳴ったドアの向こう側から白い光が入ってきた。その光をまとった、無駄に神々しいケースケがいつも通り、俺を呼ぶ。


「おはよーアイト。学校行こう――ってどうしたアイトォォォッ!」


 前半のケースケの笑顔はどこへやら。一瞬にして焦りに満ちた表情に変わった。それもそうだ。玄関で首を絞められる人なんて普段見ることがないのだから。


「なんでエプロンコスした城ヶ崎がいるんだ? ……なんて考えてる暇はねえ! 城ヶ崎、今すぐその手を放せ! アイトが天に召されちまう!」

「はい?」


 意味が分かっていないまま、お嬢は脱力したように襟から手を離した。


 もうすぐで絞死してしまうところだった俺は四つん這いになりながら、今まで息ができなかった分も含めて目一杯酸素を肺に取り込む。


 今日は人生で初めて酸素に感謝した日となった。


「生きてるかアイト?」

「なんとか……。ケースケがいなかったら今頃死んでたかも」

「私、先輩に何かしたんですの?」

「普通に絞め殺そうとしてたぞ」


 そう言って、ジト目のケースケが息を整える俺を指さす。意味が分からない様子だったお嬢も、指さされた先を見て状況を理解していた。


「う……すいません先輩……ってあ……」


 頭を下げると共にお嬢の全身が、コンクリみたいに固くなった。お嬢の視線の先には、俺の襟を引っ張っていた要因となった、オレンジ色のエプロンがあった。それを思い出したのだろう。

 

 もちろんケースケもこの状況を目の前にして、突っ込むのは当然のことだった。


「で城ヶ崎、なんでお前はエプロンコスをしてるんだ?」

「コスプレではありませんわ!」

「コスプレじゃないとしたらなんだ。……まじでアイトのお嫁さんにでもなったのか?」


 その言葉のあとに、どこからかカチンという音が聞こえたような気がした。


「はい? ゴミムシ先輩のお嫁さん? なぜ私がそんな終身刑よりも重い罪に罰せられなければならないのです?」

「お、おう」


 ケースケはお嬢の余りの毒舌に圧倒されて二歩ほど後ずさった。


 はは。なんてユーモアたっぷりなんだ。これが冗談じゃなかったら本気で泣いちゃうレベルだね。え、冗談だよね?


「そこまで嫌なの…?」

「はい。地球が7回滅亡しても嫌ですわ」

「うん。例えが非現実的すぎてよくわからないけど、何が言いたいかはなんとなく分かった」


 つまり、俺と結婚するなら死を選ぶということで間違いないだろう。


 そんな俺とお嬢のやり取りを見て、ケースケが口を開いた。


「うーん。やっぱり家族みたいだなお前ら。アイトとお嬢が夫婦でなるなるが双子の娘みたいな――」

「先輩。ホッチキスってどこにありますの?」


「お嬢……それでケースケに何をする気?」

「お口チャックですわ」

「ごめんなさい、全面的に俺が悪うございました」


 まるで上流貴族にひれ伏す庶民のように、ケースケがお嬢にきれいな土下座を見せた。物理的お口チャックにはさすがのケースケも恐怖を覚えたらしい。


「わかればいいのですわ」

「でも城ヶ崎」

「なんですの?」

「そのコスプレ似合ってるぞ」


 体勢は変えぬまま、ケースケはちょんと顔を上げて言う。おまけに右手にはグッドサインを添えていた。


「いい加減黙らないとそのくすんだ小麦色の髪を引きちぎりますよ」


 今日もお嬢語録はフルバースト。髪を引きちぎるなんて表現、生まれて初めて聞いたよ。


「引きちぎる!? あと金髪って言ってくれ!」


 土下座をやめて立ち上がって熱弁をふるうケースケ。だがお嬢の心には全く届いていない。むしろ興味がなさそうに蔑んだ目を向けている。


「私の髪は金髪ですが、無能猿先輩の髪は金髪ではありませんわ。天然物と人工物を一緒にしないでいただけます? 汚らわしい」


 イギリス人とのクオーターである天然金髪が、高校デビューの流れで染めた人工金髪に毒を吐いた。そして流石サディスティックゴールデンヘアー、罵倒のオンパレードで相手のライフをゴリゴリ削っていく。


「城ヶ崎の金髪も俺の金髪も同じ色じゃないか」

「質が違いますの、質が」

「髪質なんてそんな変わらないだろ」

「はあ⁉ このイガグリは何を言っているんですの? だいたい――」


 と言った具合の金髪討論に、いつの間にか黒髪に俺は蚊帳の外。お嬢が罵倒して、ケースケがそれに反論する。そんなループが延々と続いていく。


 よく考えたらこれ、なるなるに匹敵するほどの仲の悪さじゃないか? 何だ? 金髪同士は仲良くなれない生物の法則でもあるのかよ。


「「何かあったのですか?」」 


 やれやれと息をつくと、二階から制服を着た天使たちが舞い降りてきた。本日も実にベリーキュートである。


「まあな、いろいろとあったんだよ」

「「そうなのですか」」


 繰り広げられる金髪討論をしばらく観戦して、なるなるが満面のどや顔で互いの顔を見る。


「争いとは醜いものですね、ナナ」

「常に平和を心掛けたいものですね、ルル」

「はあ……」


 どの口が言ってんだ、どの口が。

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