第12話 トラッキング

 リークは情報社会において、上手く立ち回るために重要だ。信頼できるソースで裏付けする必要があるが、もし完璧に利用できたとすれば、それに関する事象を制御するための糧となる。


「大佐。配置に付きました」

「よろしい。標的が現れ次第始めろ」


 五島は貨物駅を見下ろせるビルから作戦状況を見守っていた。

 不良大尉はカリナの安否はもちろんこと、サーカスの首謀者も逮捕或いは始末するつもりだろう。

 その小さな視点が、いつも理解できなかった。

 余計なことに首を突っ込んだせいで、全人類の資産が損なわれかけている。

 サーカスが民間人を数人犠牲にすることと、カリナという有能な生体兵器の安全。どちらの優先順位が高いかなど明白だ。エリックはカリナという財産の扱いを間違った。

 彼女は軍が回収するべきだ。本当ならあの時に手に入れる算段だった。

 しかしエリックは無理矢理彼女を強奪した。そのツケを払ってもらおう。


「サーカスが日本自治区を騒がせようが何をしようが、そんなことはどうでもいい。カリナさえ手に入ればな」


 もし彼女が手に入るなら、犯罪者と取引だって行う。

 違法ではある。だが、軍なら全てが許される。



 ※※※



 貨物コンテナがアームによって列車に載せられていく。

 以前は列車ではなく輸送機が使用されていたこともあった。だが、テロリストによって遠隔操作され、都市部に墜落すると言う大惨事を引き起こしてからは、列車輸送が基本となっている。

 クラッキングの危険性自体に変化はないが、レールしか走れない都合上、被害の規模はある程度コントロールできる。利便性を下げた結果、犯罪者たちの人気は急落したようで列車を用いたテロ事件はめっきり減少した。

 アンドロイドの警備兵と運転士が列車を動かし、別の拠点へと搬送する。機械化されていれど、基本は古い時代から変わっていない。


「あれだ」


 ブランクが一つの列車を指示した。ほとんどがモノレールではあるが、それは今や珍しい地走型だ。わざわざ不便な地走型を使うのには理由がある。


「噂じゃ、まだ汚染物質が残っているって話だが」

「ガセネタだとお前は知っているだろう」


 ブランクの指摘ににやりと笑う。


「そうだな。だが、気味悪がって近づく奴は少ないだろう。核ミサイルの爆心地には」


 東京の郊外にあるそこは、アメリカよりもたらされた三発目の核兵器が炸裂したグラウンドゼロだ。クラッカーが世界中のシステムをクラッキングしたクラックパンデミックによって制御を奪われた核ミサイルが、日本へ誤発射されたのだ。

 最悪なことに、アメリカは最初に核攻撃を仕掛けて来たロシアに報復したつもりだったらしい。しかし実際に被害を受けたのは日本だ。

 そしてロシアもまた、核攻撃をするつもりなどさらさらなかった。全てがクラッカーによる自作自演だ。


「昔は生体認証が最高のセキュリティの一つだったが、今は……」


 エリックは列車に近づいて、貨物駅を運営する会社の社員しか突破できないはずの指紋認証をあっさりと突破する。当時の核保有国は核兵器に厳重なセキュリティを施していた。核ミサイルも、本来ならそう簡単にクラッキングできない。コードは常に変わるし、大統領の生体認証のみならず生命反応も必要だった。

 それでも、不可能ではなかった。軍内部に裏切り者がいたことも成功確率を高めていた。

 それに、核兵器は報復兵器だ。撃たれたと認識すれば撃つ。そして、核が撃たれたかどうかは肉眼で直接視認しているわけではない。偽装データで核報復させることも可能だった。そして、撃たれた方はまた報復する。発射ボタンへの介入が難しくても、偽装データの送信とミサイルの着弾地点の操作なら比較的容易だ。

 核抑止は国家に対して有効だが、個人に対しては無意味なのだ。生物兵器が貧者の切り札なら、核兵器はクラッカーの遊具だった。

 瞬く間に、世界は壊れた。せめてクラッカーたちの思想が統一されていればまだましだったかもしれない。

 だが、彼らは個人だった。協力はすれど、一人一人目的は違ったのだ。確証バイアスによってネットで得た誤情報を盲信してしまった者もいた。だからここまで悲惨なことになってしまった。


「アンドロイドは任せておけ」


 ブランクが先行して列車内のクリアリングを始めた。

 彼の言葉通り、アンドロイドは任せて大丈夫そうだ。

 だから、その他の要因については自分で対処しなければならない。

 運転席のコンソールを操作しながら、通信回線を開く。


「いるんだろ? 少佐」

『ウィンストン大尉。元、大尉』

「五島少佐。いや、大佐」


 馴染みの声と顔だ。通信越しなのは幸運でもあり、また不幸でもある。


「残念だな、大佐。あんたは直接出張ってくると思ってた。なのに、近場で観察しているだけとはな。撃ち殺せなくて残念だよ」

『お前の前に易々と姿を現すほど、私は愚かではない。なに、必要とあれば対面できるとも。そう遠からず未来にな。生体か死体かは、わからんが』

「くそったれが。あんたのことは昔から嫌いだった」

『奇遇だな。我々の作戦を引っ掻き回すお前のことが、私も嫌いだったとも』

「狙いは何だ?」

『既知の事実を訊き返す癖はまだ治らないのか? 忘れ物を取り返しに来ただけだとも』

「カリナは渡さない」

『軍を敵に回してでもか?』

「何が敵だろうと俺は全員殺すぞ。死なせたくない部下は下がらせておくんだな」

『安心したまえ。死んでもいい人間しか送っていない』


 貨物ステーションの監視カメラには不審人物は映っていない……ように見える。が、エリックはシステムを自分で設定しなおし、複数の人間が浮かび上がってきた。

 流石に熱源探知まではできないが、明らかに不審な人影が表示されている。


「死んでもいい連中だと……」


 軍は嫌いだが、彼らなりの正義があることは知っている。しかし五島大佐にとっては、彼らは軍の道具だった。自分の目的を果たすための駒。

 軍全体の問題ではあるが、それでも奴に対する不快感はぬぐえない。みんなやっているからと言って悪事に加担する目の前の犯罪者に対する認識が変わらないのと同じだ。


『どう対処する?』


 エリックは五島の不敵な笑みを睨みながらブランクに応じる。


「簡単だ。向かってくる奴は倒す」

『軍に対する宣戦布告か。流石、不良大尉だな。いや、犯罪者。お前は指名手配されている。我々だけではない。警察やスレットハンターも追ってくるぞ』

「追えばいい。わかっていると思うが、あえて警告するぞ。俺は武器を持ち襲って来た奴は容赦なく殺す。軍人ならわかるだろう? 武器を持つってことは殺される覚悟はできてるはずだからな」

『その言葉、そのままお前に返そう』

「言われなくともわかってるよ」


 エリックは通信を切断した。と、同時に銃声が響いた。周辺映像をチェックすると、熱感知できない人影がアサルトライフルを列車に向けて点射している。連中の装備を確認して、珍しく戦術家たちが仕事をしているのを見受けた。


「くそっ、全員対クラッカー用装備か」


 機構銃の類は装備されていない。支援ドローンも展開していない。古き時代の戦争が目の前で起きている。自己判断する賢い銃ではなくAI未搭載のバカな銃を使うのは第三次世界大戦前の古い時代の出来事だ。


「おい、平気か?」


 ブランクに訊ねたエリックは扉から外に身を晒して、光学迷彩で隠れているつもりの兵士に銃弾をお見舞いした。足を撃ち抜かれた男が姿を現して苦悶の声を上げている。


『こちらは平気だ。奴らはナノマシンによる生命機能拡張をおこなっていない』

「軍のナノマシンはオンラインに接続しないと役に立たないからな。これもクラッキング対策の一環だ」


 軍人の離反や違反を避けるための措置だ。もし、スタンドアローン版のナノマシンを適用するとすれば、裏切る可能性がない少数精鋭に限られる。

 だが、彼らは死んでもいい人材。裏切りの可能性を考慮したら、そんな贅沢仕様は有り得ない。


(くそったれめ)


 心の中で毒づいて、目につく兵士を銃撃する。本当ならサイレンが鳴り響くところだが、警備用アンドロイドどころか警察の陰形もない。情報規制が掛かっている。軍の独断で。


『増援はなさそうだが、それなりの数を投入しているようだ。全滅させるのは難しいだろう。特に、お前のように急所を外した戦い方では』

「たまたま外しただけだ。まぁ軍にここまで死んでも構わない人材がいるとは思わなかったのは事実だ」

『ここで足止めを喰らうのは好ましくない』

「ああ。だからこその攻撃だ。サーカスは俺かお前のどちらかが脱落することを期待している。ほどほどにな」


 まだ本気ではない。本気ならこの貨物駅ほど吹き飛ばしているはずだ。

 だが、そこまでしないということは死体を手に入れたいのだろう。行方不明という単語は生存の可能性を滲ませる。カリナの交換条件に死体が含まれているのだ。


『ここでの戦闘行為は無意味だと考える。追撃されるリスクを承知の上で、発進するべきだ』

「そうでもない」

『五島一茂が彼らの生死を気にするとは思えないが』

「それはない。意外に思うかもしれないが、大佐は使い捨ての人材を育てるのがうまいんだ」


 列車内に隠れてマテバをリロードする。落ちた六発分の薬莢が音を立てた。


「最低限の処置はする。心の中では人形だと思っていても、表面上は形式的な処理を行うのさ」


 そして、本当なら助かったかもしれない屍が増えていく。まだ、無能であればよかった。あからさまな使い捨て扱いであれば、引退したり命令に背いたりして生き延びた奴らもいたかもしれない。

 だが、五島は有能だった。殺してもいい部下と生かすべき部下を見極め、まるで死人が出ても本意ではないかのように周囲を騙す天才だった。必要不可欠な作戦での人的損害であれば、諦めもつく。だが、奴はコスト削減のために死人を出す男だ。


『急所を外せば、治療に部隊を割かざるを得ないか』

「本当ならそれが当たり前なんだがな」


 しかし五島は申し訳程度の医療班しか送らないだろう。それでも、ここの連中は数人治療に割かれるはずだ。


「前に戻って来い。後ろの防御を手薄にしろ」

『その作戦で行くのか』

「ああ、列車は一両だけでいいからな」


 目につく兵士をダウンさせていく。同時に、列車の発車準備に入った。



 ※※※



 薄暗いシェルターの中で、エリックは怯える少女へ不敵な笑みを向けていた。


「軍人? それって敵じゃない!」


 普通の軍人であればすぐさま反論しそうなことを少女は告げた。

 だが、幸い、自分は普通の軍人ではない。不良大尉だ。

 エリックは涼しい顔で返答する。


「その認識はあながち間違っちゃいないな。昔の軍がどういうもんだったかは知らないが、今の軍は控えめに言ってくそったれだ」

「……反論しないの?」


 カリナ・キャンベルは戸惑う眼差しを向ける。エリックはにやりと笑うだけだ。


「同意見だからな。敵と認識するほど過激でもないが、正義と思うほど盲目じゃない。それで? 君は敵に所属する君と似通った考えの男に対して、どう接する?」


 カリナは毒気の抜かれた表情をしたが、すぐに我に返って後ずさった。


「敵には変わりないでしょ。知ってるよ。みんなに教えてもらったもん」

「ここの連中にか?」


 エリックは小型シェルターを見回す。


「こんなところに君を閉じ込めた連中に、聞いたのか?」

「身寄りのない私を育ててくれたいい人たちよ!?」

「その点は間違いなく、いいだろう。育てた、という部分に関しては。問題はその目的だ」


 カリナの目に迷いが浮かぶ。エリックの見立て通りだ。


「君は不審に思ってるな」

「そんなこと――」

「そうでないなら、君は既に俺を攻撃しているはずだ。なにせ、俺は敵だろう? ここの連中にとって、軍は敵のはずだ。なのに君は他の連中と違い、俺の話を聞いた。……洗脳状態ではないな」

「洗脳? 私は洗脳なんて――」

「よりわかりやすく言い直すなら、教育だな。君たちみたいな子どもは基幹が希薄だ。フォーマットを合わせる必要もなく、いろいろと詰め込める」

「……そんなのはどこでもやってるでしょ」

「まぁ、そうだな。教育……学習のプロセスは変わらない。愚策を行うところはある。暴力で言うことを聞かせたりな。だが、ここは違う。だから今、君は反論しようとした。そして、何が正しいのか理解し難くなっている。そうだな」


 カリナは目を泳がせた。もし、力による支配と教育であれば、彼女はすぐに連中に反発したはずだ。そして自分の意見にも同調した。だが、ここの連中は違う。

 それはここにたどり着くまでに閲覧した資料や兵士……子どもたちから得た情報で結論付けていた。


「優しかったんだろう。正直驚いた。下手な学校より懇切丁寧な教育方法だ。モデルケースとして体系化して、アホな学校を運営する奴らに見せたいくらいだぜ。俺の教師役だった無駄な熱血漢はここの教育論を是が非でも知りたがったろうな」

「言ったでしょ。ここの人たちはいい人たちだって」

「言っただろう? 方法は良かったと」


 カリナが黙る。エリックはシェルターの外の様子を確認し、安全だと判断して続けた。


「問題は目的だ。薄々気付いてるだろう? だが、奴らが優しすぎて、言い出せなかった」


 エリックはカリナの瞳を覗き込む。カリナは困惑しながらも視線を外さない。


「こいつらはな――仲間を育てていた。サイバーテロを起こすための有能な戦闘員を。その中で一番優秀なのが、君だ。カリナ・キャンベル」

「道具として利用するために、攫いに来たの?」


 強気な性格らしく、負けじと言い返してくる。少佐なら、ここで当然だと返事をしただろう。

 だが、幸い自分の階級は大尉だった。いや、階級なんて関係ない。


「助けに来た。まぁ、言葉だけで信じてくれるとは思ってない。今から行動で証明してやる。俺は不良だからな」


 エリックの開き直った物言いに、


「わかった。信じないけど、ついていく」


 とだけカリナは応えた。



 ※※※



 役立たずからの通信が陣取っているオフィスに響く。


『逃げられました……』

「案ずるな。列車である以上、行き先は限られている。救護チームを向かわせた。部隊を二組にわけろ。片方は追撃に向かえ」


 五島はポーカーフェイスで悲しむふりをしながら、先遣隊に告げた。通信を終えて、心の中でぼやく。

 ……くそったれどもめ。


「とんだ役立たずが。特攻でもして列車を止めればいいものを」

「遺体が必要でしょう」


 キュロス副官が冷静に指摘する。わかっている、と同意したうえで、


「あんなオーソドックスな作戦を止めることができないとは……流石は三軍だけはある」

「僭越ながら大佐、この作戦はあくまで様子見でしょう」

「わかっている少佐。しかしあそこまでコケにされては、怒りも付随しよう」


 五島は苛立ちを隠せない。奴らの手口は敵を後部車両に集結させ、列車を発車。その後に後部車両を切り離して逃亡する、という誰でも考えつきそうな方法だった。

 数的にはこちらが有利だったのだ。数で物を言わせて包囲すれば良かったのだが、無能な使い捨て共はエリックとブランクの射撃能力の高さに怖気づき、前部車両に侵入することができなかった。あえて抜け穴のように攻撃が手薄だった後部へと誘導されてしまったのだ。


「大佐」

「なんだ、キュロス少佐」

「例の情報提供者から連絡です」

「ふむ……つなげ」


 五島は表情を切り替え、通信に応答する。画面は真っ黒だった。一見しただけでは相手が誰かはわからない。わかってはいるが。

 それでも、五島は知らないふりをした。


「やぁ、リーク元。相変わらず正体不明だな」

『気遣っていただき光栄ですよ、大佐』

「いやはや、何のことかはわからない。ただ、私は世界のために戦っているだけだとも。君みたいな善意の情報提供者の情報を用いてね」

『そんな善意の情報提供者から、次に最適な襲撃ポイントのお知らせです』


 送信された情報をもとにキュロスが分析を始めた。


『初戦は難儀な結果に終わりましたね』

「僅かな期待はあったが、足止めが限度だった。まぁ、当初の目的は達せただろう」

『おかげさまで焦ることなく安全なルートを通行できました。感謝します』


 今回の作戦はただの時間稼ぎだ。情報元を安全に逃走させるための。

 なので、憤る必要はないが、相手はエリックだ。あの忌々しい男に対して、感情が必要以上に暴れていることは否めない。


「しつこいとは思うが、もう一度確認させてくれ。条件は死体と交換で構わないな」

『その通りです。エリック・ウィンストンの遺体と交換で。ブランクについては処理して頂ければありがたいのですが、そこまでは求めません』

「どちらにしろ、あれも世界に対する脅威だ。幾度となく軍事作戦を妨害されている。まさか日本自治区にいるとは思わなかったが」

『それはありがたい限りです。パッケージの状態を確認しますか?』

「いや、いい」

『反発的な傾向がありますが問題はなく?』

「そちらも問題はない。これは正義だと言い聞かせて命令すればあれは何の葛藤もなく街を吹き飛ばすだろう。元よりそのための道具として、教育されてきたのだからな。事実、お前の甘言にも引っかかっただろう?」

『ええ、そうですね。正義だと言えば、簡単に引っかかりました』


 ブラックアウトした画面の中で男――黒沢が笑う。

 五島もポーカーフェイスを解除して笑みを漏らした。

 軍と保険屋は切っても切れない関係なのだ。

 とにもかくにも重要なのはあの生体兵器だ。彼女さえ手に入れば、後はどうでもいい。

 正義のためなら許される。軍のためならば。



 ※※※



 崖の上では風が荒んでいる。少女の心と同じように。


「正義のため」


 そう呟いて、人質ごとテロリストを吹き飛ばした。


「正義のため」


 そう言って、多くの民間人が勤務する商業ビルを爆破した。中にいた一人の犯罪組織のリーダーを殺すために。


「正義のため」


 そう言い訳して、人々が暮らす旧国家自治区に向けて、核ミサイルを撃ち込んだ。地下組織を確実に殲滅するために。


「軍ならば、全てが許される」


 上官兼教育係の口癖はいつの間にか少女に移っていた。出世街道を順調に進む上官は、軍に認められ軍から持て囃され軍をいずれ指揮する予定の男だった。

 彼の行為を咎める者はいない。軍だから、赦される。

 反発する者も……いるにはいる。が、次の日には死体になっていた。

 同じように教育された仲間の内、異論を唱えた者は守秘義務の名の下に消えた。

 眼鏡の上から、狙撃銃を構える。機構狙撃銃だ。

 崖の上から対象を視認する。周囲には一般人と護衛がいる。

 敵は広場の中にいた。ちょうど祭りがやっているので多くの人々で賑わっている。標的は右手にジュラルミンケースを所持していた。中身は高濃度に圧縮された殺人用ナノマシン。空中に瞬時に拡散し、特定の対象だけを抹殺する人工の殺人ウイルスだ。

 そして、分析官の報告によって、商品が買い手に渡るまではバイヤーの生命反応とリンクしていることがわかっている。

 もし対象が死ねば、ナノマシンが強制的に散布される。無差別モードで。


「……」


 無言で、作戦開始前に渡された装備をチェックする。防護用マスク。コンバットスーツも気密性の高い物が支給された。

 何を意味するのかは考えるまでもない。だが……マスクをつけようか迷う。

 ターゲットを始末する気ではいる。

 正義のためだ。仕方ない。

 だが、自分だけ逃げるのは……嫌だった。

 多数のために少数を斬り捨てる。そのプロセスを否定する気はない。

 綺麗事だけで物事は進まない。ここで敵を逃してしまえば、より多くの被害を産む可能性がある。……本当に?

 くらり、と視界が歪む。吐き気がする。

 だが、命令は覆らない。だから、この葛藤に意味はない。

 息を吐いて、止める。スコープ内で標的をロックし、引き金を引いた。

 カチリ、と音がする。ほぼ同時に聞こえるはずの発砲音は聞こえない。


「――ッ!?」


 反射的に拳銃を抜いて背後へ向ける。だが、立っていたのは自分と似たコンバットスーツを着た男だった。


「惜しいな」

「え……?」

「どうやらその銃、故障しているようだ。残念ながら民間人巻き込み大作戦は失敗だな」


 男は含み笑いをしている。直後に怒りに満ちた上司が通信を送って来た。


『エリック、お前! ライフルをハッキングしたな!』

「なんのことだ、少佐。俺じゃなくて整備班のミスだ」

『ええい、奴はここで始末する。命令は変わらないぞ――』

「わかってるさ。これから対応する。通信終わり」


 男は一方的に通信を切断すると、眼下に広がる広場を見下ろした。


「ったく、軍のやり口には反吐が出るぜ。効率のために民間人を犠牲にするなど本末転倒だろう。お前もそう思わないか?」

「え……? あ……」


 問われて、戸惑う。しかし男の言葉には一理ある。

 今までの作戦は、止むを得ず民間人を巻き込んでしまった、というわけではない。

 効率化だ。民間人を救うより、民間人ごと殺してしまった方が素早く終わる。

 言わば時短のために、無垢の人々は死んだのだ。全ての可能性を考慮したうえでの犠牲ではなく、楽をするために。


「わたし――」

「ああ、そうか。お前はあれか。情報軍特殊作戦群セキュアの中でも特殊な奴だな。聞いてるよ。孤児だったり、テロリストの兵器として使われていた人間を保護――という名目で兵器化する部署があるってな。疑問を感じるのは難しいか」

「うあ――」

「落ち着け。お前を責める気はない。ただ、少し手伝ってくれるとありがたい」

「手伝い……?」

「ああ」


 男は眼下の標的を顎で示した。持ってきていたガンケースの中から旧式銃のDSR-1を取り出す。


「こいつでここから援護してくれ。第一案が失敗したとなりゃプランBで行くしかない」


 しかし男の顔からは作戦失敗の陰りは見えない。むしろ作戦通りのように見える。


「あなたは……」

「ああ、俺にはこいつがある」


 得意げに銀色のリボルバーを抜いた。マテバだ。


「それでも、苦戦しそうだからな。援護してくれたら大助かりだ。嫌だって言うならまぁ、一人でどうにかするが」

「違う……」

「ん? どういう――ああ、名前を聞いたのか」


 男は合点がいったように頷いて名乗る。


「俺はエリック。エリック・ウィンストン。階級は大尉だ」

「私は、オリヴィア」

「いい名前だ。オリヴィア、援護頼めるか?」


 返答を拒む理由はなかった。……あったかもしれないが、エリックが消し飛ばしてくれた。



 ※※※



 少女軍人だった頃の記憶を呼び覚ませば、次に何が起きるかは想定できる。


「軍のやり口には反吐が出るわね」


 軍の次なる動きを推理したオリヴィアはぼやく。隣のシーノは気楽そうに後頭部に両手を当てている。


「いやあ、現実って本当くそったれだねえ。どっちが犯罪者かわからないや」


 にやにやしながら、シーノは作業を見守っている。オリヴィアは保管場所であるアパートの一室でガンケースを取り出していた。

 中身はDSR-1。エリックからもらった銃。


「いいのかな? オリちゃん? そんな物騒なものを取り出して。警察の備品じゃないよねそれ」

「知らないの? シーノ」


 馴染みの銃を構えて、オリヴィアは問い返す。


「正義のためなら、何をしても許されるらしいわよ」


 彼女に向けて、懐かしい教訓を口に出した。

 この教訓はとてもありがたい。何せ、これから行動を起こすための免罪符となり得るのだから。

 感謝しながら、オリヴィアはアパートを後にした。

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